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今時アリ?!なカレンダーを目撃した話~ドアの向こうは昭和だった

そこには懐かしさもあって…



織姫と彦星もビデオ通話にしたらと言いたいくらいの猛暑の夜のnoteは昨年末の出来事にまつわる話。
当時、途中まで書いていたものをやっと完成させた。
意外に長くなってしまったがよろしければお付き合いください。
あんまり七夕にはふさわしくないけど…?


昨年末に腕時計の電池交換をすることになった。

家族一つずつの全部で三つ。


携帯電話を持ってから腕時計の出番はなくなったが、ガラケーからスマホになりケースとかサイズの関係で、腕時計ってやっぱり便利と再認識。

ということで、眠らせていた夫の時計も出して三つまとめて交換となった。

詳細は省くが、わたしの腕時計が、「電池じゃなくて故障かも…?」と思える様相だったため、なるべくコストを抑えたいとの思いがあった。

近隣を探したところ口コミから一本800円!の店を見つけたが、行くと臨時休業…。

取り急ぎ毎日使う娘の分だけチェーンのお店でやったところ、一本1200円也。
昔は1000円くらいだったけどなあと思いながら(→セコイ)、後日、当初のお店で二本をリベンジとなった。


お店は、駅近3F建て雑居ビルの1Fの一角。

入口は歩道に面しているものの、入りやすさはなく「…こんにちは…」と恐る恐るガラス扉を開けると、部屋の中の小部屋?に店主らしき人が入っていく後ろ姿が。
あら、間が悪いわと思いながら出てくるのを待つ。

ぐるりと見渡すと、室内とにかく雑然としている。
灰色の事務机とかFAXとか、作業机、古そうなスチール棚にビデオデッキ?とかDVDデッキが重なっていたりそのソフト(→売り物ではない)も雑多に置かれていた。

お店側と客を分けるカウンター状のものもない。 

窓際には、捨ててもいいんだろうけど面倒でそのままにしているうちに風景みたいになってるなんかの容器とかこまごましたものたち。

なんというか、お店と言うより、部屋。しかも昭和な…。

クチコミからも、もとは時計屋だったが今は電池交換だけやってるイメージだったが、ショーケースらしきものもなく、売り物にするには微妙な埃をかぶった時計のベルトが少しあったくらい。

父親が昔は商店街の時計屋をやっていたが、区画整理とかでビルになって、今は息子が電池交換だけやってる、とかにしても、時計屋時代が見えない。

そうこうしているうちに水音がして店主が小部屋から出てきた。
ということで、3mほど先の正面にある空間はトイレだった。

部屋のど真ん中ではないけど隅でもない位置に壁から立方体が出っ張るように存在し、ドアの向きは開閉時にこちら側に正面を見せるかたち。
つまり閉じたドアの正面はこちらからは見えないが出入りを遮るものもなく、音も丸わかりで微妙。


店主は半身が少々不自由らしく、大きく体を傾かせながら歩きわたしを見た。
60代後半くらい?
挨拶的なものも愛想もないが、不快感もなく、こういう人なんだろうという感じ。


腕時計を二本差しだすと早速作業が始まる。

背もたれの無いベンチ椅子に座って待ちながら作業を見るが、後ろの蓋を開けるのも簡単な表面の保護でドライバー?を使い、力づく(に見える)。

ちょ、ちょっと…、と心で呟きつつも見守る。
時々狙いが外れて滑って裏蓋に傷がつきそうなので、高い時計だったらナシだと思う…。

ちなみにだが、娘の電池交換時は、イマドキらしく「交換しても動かない場合(故障)でも電池交換代は貰う」とか「蓋を開けて確認した電池のサイズによって値段が変わる」とかの注意事項を聞いたが、そういうのが一切ないのも昭和っぽい。

そして、使い込まれた万力を使用しての電池交換が終了。
時計に保護のために巻いたセロハンテープの跡を、別のセロハンテープの粘着力できれいにする店主…。

そうそう、電池をセットした後に裏蓋の内側にいきなり油性ペンで書込みしてるの見えたんだが…。
え?なに勝手に!?とびびったが書いている内容は見えず、考えつくのは日付くらい。
でも、電池じゃなくて裏蓋に? 
電池じゃなくて裏蓋だからこそ驚いたと思うんだが、今となっては曖昧…。


まあそんなこんなで「来年からは値上げする予定だからね~」とか言われながら1600円支払った。
やっぱり安い!
そして、腕時計は無事に稼働して、今に至る。


文字盤の格子刻み(プリントではない)のデザインが大好き。
光加減で影に動きがあるのがたまらない。
高いものではないけど、直径2.3cm、シンプルで使いやすい数字の配置や時分の刻みなどわたしにとってBESTな腕時計。
同じようなデザインは、値段のハードルを上げても今、見つからない。



ということで、やっと、カレンダーの話だ。

電池交換の作業机には、電池類が分類収納された小さめの引き出しや、その他荷物が置かれていたのだが、その上にぽんと卓上カレンダーが置かれていた。

長方形で左側は写真、右側はひとつき分のカレンダーになっているやつだ。


問題はその写真で。



女性のハダカ。



「ハダチカラ」じゃないよ。

はだか。

グラビアアイドルじゃなくて、バストトップも出てるやつ。


気が付いた瞬間、ぎょっとして、ガン見。



まだ、こんなん世の中にあるの?


昭和のやつがそのまま残ってるんじゃないよね?
  →確認
  →今年今月のやつ。


マジ? なんかの付録? どこで売ってるの?

ネットでいろいろ見られるのに、わざわざここに、これ?


「セクハラ」という言葉もない時代の「セクハラ」にタイムスリップ感半端なし。

あの頃は通勤電車でスポーツ新聞折って読むおじさんがたくさんいて、堂々とエロ記事丸見えでなんだかな~と思ったり、9時からの二時間ドラマに今より生々しい性的シーンがあったりいかにもな男性優位社会だった。

だから、男性多数の場所には、恥ずかしげもなくこの手のものがあった…。


じゃあ今はというと、確かにコンプラとか厳しくなっているけど、ネットという閉じた箱に隠されて規制も届かないところの闇が広く深すぎて結局、良くなっているか、わからない。

お店のカレンダーについても、成人女性がプロとして堂々と写っているヌード写真そのものはいやらしさはあまりなく、単純にそれをここに置くことへの嫌悪だと気が付く。


そのものへの嫌悪で言えば、いかにもなエロ衣装のロリ&巨乳画像(やイラスト)の方が生理的に拒否感がある。
子供も目にする駅の掲示板でその手のキャラクターを見た時は、服着てるからOKっておかしいし、結局は男性目線がまかり通るんだよなとげんなりした。

*    *    *    *

去年 アパレルブランド H&Mがオーストラリアで展開した広告が、女児の性的対象化や人権問題だとして削除、謝罪となった。


広告は、双子?のワンピースの制服を着た女児がピンク色のスクールバス内部で横向きに立ち、顔をこちらに向けている写真。(検索すれば出ます)

キャッチコピーは「Make those heads turn in H&M’s Back to School fashion(H&Mで『新学期のおしゃれ』をしてみんなの注目を集めよう)」。

いくつか記事を読むと、性的対象よりも「おしゃれじゃないと人気者になれない」というような女児のルッキズムの助長をメディアは問題視したようだ。

写真については、これがNOなのか~というのが正直な気持ちだったし、このくらいのコピーは日本では溢れている。

海外では、子供時代に植え付けられる価値観を重く見て、この広告に「NO」を出すメディアや大人がいるのに、日本は何周遅れなのだろうと怖くなる。
「子供の人権を守れるのは大人(社会)しかない」って意識が低すぎるし、その状況が当たり前の子供が大人になって意識も引き継がれていく。


*    *    *    *


って、話を戻すが、カレンダーだ。

あれを置いておくことは、あれを置く人間だと認識されてもいいよ宣言でもあり、ある意味あっぱれだ。
卓上カレンダーであることで、実用も兼ねてるスタイルには一応なっているし、昭和ど真ん中のおじさんだろうから、そこまで意識せずにあれを置いているのかもしれん。
が、いきなり見せられたら女性はもちろん、男性だって退くのではないか?

(…まさか喜ぶ男性が多いのか? …「自分も置いてみたいが勇気がない」とかあるのか?? )




ふと浮かんだのが、店と思うからダメなんだと。

時計オタクの知り合いのおじさんの部屋で実費で電池交換して貰ってるって思うとぴったりハマる。
「おじさんしょーもなー」、って苦笑で終われる感じ。(あくまで、あのカレンダー、あの店主、この年齢のわたしが前提だが)


この室内の雰囲気といい、トイレといい、おじさんの佇まいといい、完璧な舞台設定だ。

と、気が付いたところでなんてことないんだけど、でも確かにスッキリしてる自分でこの話を終える。

今年のカレンダーも置かれてるのかなあ…。


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