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「かわいそうな人」との付き合い方(長め)


おかぴです。

久しぶりにカタカタとパソコンに向かい合っていてなんだか新鮮な感じ。
ここ最近どう過ごしてきたかはまた改めて記録を残すとして、今日はタイトルの通り『「かわいそうな人」との付き合い方』ということについて書いてみようと思います。お時間があればお付き合いください。

もくじ
◎「かわいそうな人」について
◎「付き合い方」について
◎伊香保温泉に行った時の話
◎無意識に今までたくさんの人を助けていた
◎まとめ

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◎「かわいそうな人」について

 わたしがここで定義するかわいそうな人というのは、いわゆる社会的弱者のことです。外国人労働者、女性、高齢者、低賃金労働者、ホームレスなどなど。少し対象者として異なりますが、環境問題の被害下にある動物やフードロス問題の食糧なんかも入ります(あくまでもわたしのなかで)(食糧にも感情移入するw)。

◎「付き合い方」について

 小さい頃から社会的弱者の方々に対してどうあればいいのかを両親や祖父母と話す機会が多く、自分もできることをしたいというマインドで生きてきました。進んだ大学では社会学を主に受講したのですが、すぐに答えが出ないのがこの世界。「どうしていますぐに助けてあげられないんだろう」と、知識が増えるほど比例するようにわたしの中に絶望感が生まれていきました。そして、わたしがとりこぼしているかもしれない、世界の片隅で泣いている人は他にいないのかを探し続け、見つければ何もできない自分に絶望し、せめてもの寄り添いとして彼らのために涙を流すということを続けてきました。
 これらの社会的弱者の方々を取り上げるニュースやドキュメンタリーは日々わたしたちの目に入ってきます。虐待の末に死んでしまった子ども、自分の将来のためと涙を飲んでセクハラを我慢した女性など、今日もわたしの知らない誰かが同じ世界でさまざまな理由の中で涙を流し、時に亡くなっている。そしてわたしはその人たちに対して無力感を覚えたまま今日も変わらず息をしている。そんな自分に罪悪感を覚えて、自分には価値がないと思い、死を持って懺悔をしたくなる。せめてもの「何もできないわたしの命が無くなることで、究極に彼らに寄り添っていることにならないだろうか」と考える。これがいまのわたしの「かわいそうな人」への付き合い方です。

 また、わたしの特徴として、一度会った人の顔はだいたい覚えているということが挙げられます。名前を覚えられるかは別として顔はほぼ覚えてる。なので、もう二度と会わないであろう人にさえ慈悲の気持ちを持ってしまいます。一期一会と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、旅行先に立ち寄ったコンビニの店員、通りすがりに悲しい顔を浮かべていた高校生など、一期一会のレベルを超えて人を想ってしまいます。しかも感謝の気持ち、幸せを願う気持ちならいいのに、決まってほとんどが悲しい妄想をしてしまうのです。

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◎伊香保温泉に行った時の話

 たとえば先日こんなことがありました。

 友人と伊香保温泉に出かけたときのこと。ある旅館の予約を友人にとってもらい、宇都宮からレンタカーを借りてウキウキしながら出発しました。女子会プランというもので、かわいい浴衣を無料で選び、ヘルシーな部屋食をいただける贅沢なプランです。部屋に着いて脚を伸ばそうと思った矢先、仲居さんのベトナム人女性が、とても上手な日本語でお話ししながらお茶を淹れてくれました。その後の料理を運んでくるときや布団を敷く時なども、働いているほとんどの人がベトナム人の方々。なんて仕事が丁寧なんだろう。礼儀が正しくてとにかく一生懸命。ついついありがとうを言いすぎちゃうくらい、彼女たちの働きぶりは見事なものでした。

 本来であれば「とてもいい話」で終わるかもしれません。しかしわたしはつい外国人が働いているというだけで「かわいそうな人かもしれない」とラベルをつけていました。もしかしたら日本で働きたいと夢を持って来日し、まさに今彼女の夢が叶っている瞬間かもしれないのに、「お給料はちゃんと支払われているかな?」、「不当なパワハラとか受けてないかな?」、「休暇はちゃんともらえているのかな?」と思考を巡らせてしまったのです。そう思うと、ちゃんとお金を払っておもてなしを受けているはずなのに、サービスを受け取っていいのだろうか?と悶々とし始めてしまいました。彼女に「仕事大変じゃない?」と憶測のまま聞こうとするのを友人に止められるほど、わたしの思考はネガティブにしか働いていなかったのです。その後この話をした別の友人に「勝手に相手の裏側を想像してネガティブに誘導するのはあまりよくないと思うし、失礼な気がするよ」と言われ、誰かに対して憶測で心配することは時に人を傷つけかねないということに気づきました。

 でも、誰かに対して慈悲や心配する気持ちを持つ性分は変えられないし、ひとつの体しかないなかでこの世界の全ての涙を拭くことは絶対できない。こうなったらわたしの絶望感はいつ晴れるんだろうか?すがるような思いで心療内科の先生に打ち明けることにしました。

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無意識だったけど、今までたくさんの人を助けていた

 泣きながら自分の無力感と生きづらさについて話すわたしをいつものように温かく、そしてまっすぐ柔らかな瞳で先生はお話を聞いてくれました。元々わたしがHSP(Highly Sensitive Person)であり、世の中や自分の身の回りについてとても敏感であることは先生も知っています。話し終えると、先生もわたしのように日々誰かに対して無力感を覚えていることを話してくれました。精神科医としてたくさんの患者さんを救っている先生ですら日々なにもできなかったとため息をつくのかと少し驚きつつ、なんとなくわかるような気もしました。「救える人を目の前にしたこの瞬間に、地球のどこかで他に泣いているかもしれない人はたくさんいますからね」と、わたしと同じ考えを話す先生。でも、先生はこう続けました。

「おかさんが無力感を覚える間は、力を蓄えてる期間だと思うんです。あらゆることに敏感になりすぎて生きづらいと思うおかさんの、その不安を取り除きたいと思うのが主治医として一番やってあげたいことだけれど、同時に、そのおかさんの繊細さと誰かの幸せを願う優しさがとても好きなわたしがいるんです。たとえ今すぐに動けないとしても、このパワーをためている時間があるからこそ発揮できるその時が来る。だから、なにもできないからと言って自分を犠牲にしないでください。おかさんがいなくなったら、こうやってあらゆることに敏感になって考えてくれる人がいなくなる。それもまた、おかさんがこの社会に望んでいないことなんじゃないかな。
「それと、わたしもたくさんの人を助けたいと思っても自分がその道のプロでなかったり、時間がなかったりするでしょ?そういうときはね、募金活動や署名活動に参加したり、クラウドファンディングをするんです。わたしの思いを形にして、代わりに誰かに届けてもらえばいいなって願いをこめるんです。こうすると、間接的にでもわたしもなにかできたと思って、その日はよしっ!って、気持ちよく寝られたりするんです。おかさんもどうですか?」

 先生の話は毎回心の中につかえることなく入ってくるのですが、今回もまた、わたしの絶望の涙で凝り固まった表情をほぐしていきました。そういえば、わたしSOKOAGE CAMPのみんなにもピットインの時間だよって話していたよな〜とか、今までも署名活動(Change.org)や募金活動に積極的に参加してきたじゃんとか。自分にとっては無意識だったけれど、間接的に思いを形にしていたんだなと気づきました。

 一見当たり前のことを話しているようにも思えますが、間接的になにかをしたことを人に話すこともなければ、それを人に認めてもらうこともあまりないですよね。それが誰かのためになっていると肯定することが行動主義の自分にとっては納得いかなかったんだと思います。もちろん、本当だったら自分が手足を動かして目の前の誰かに寄り添いたい。けど、今わたしが一番大事にしないといけないのはわたしだから、今は誰かにそれを託すことを精一杯がんばろう、そしてそれを認められるようになろう、と思いました。

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◎まとめ

 長くなったけど、わたしのこれからのかわいそうな人との付き合い方は自己否定することでも、誰かのバックグラウンドを勝手に想像して悲しむことでもなく、誰かを慈しむ自分を一番に大事にしながら、その思いを誰かに託すこととなりました。

 改めて見るととても当たり前のことをつらつらと書いたなと思うけど、でも真剣に自分が悩んでいたことだったので記録。

 やさしい世界になりますように。

追記:毎回まとめに近づくと疲れて文章簡単になるのやめたい


2019.Mar.28(Thu)おかぴ

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