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恋人と真剣に向き合いたいと思った

 昨日恋人とデートした。

すごくすごく楽しかったのだが、楽しいだけで終わらせることはできなかった。

原因はちゃんと分かっているが、一部根深い要因があるように思われるので、文章にしてなにかその根っこに対処してあげたい。

ほんと悔しいな、最近デート上手くいかないんだ。

すごく楽しい時間がある一方で、すごくしんどい時間があって、それをなんとかしたいと思っている。

 原因をリストアップしたが、どれにも対処できないような気持ちになってしまう。

なんか自己肯定感上がれば消えそうな項目ばかりだ。
(その自己肯定感をどう上げるかで困っているからしょうがないんだけど)

じゃあ自分の意識が変わらなきゃなんにも解決しないじゃん!となった。

そんなリストが↓(適当に流して読んでくれればよい)

自分が抱えている目に見えない要因
過去の恋愛での失敗、人間関係の崩壊、自分を責めて自分の価値を下に見る精神的傾向

自分が抱えている目に見える要因
沢山の課題、沢山の仕事、冬の寒さと暗さ、暗記できない諸々、リーダー論、バ先の「合わない」感、上司との連絡、なくならないto doリスト、あと少しの教習所、恋人との体力差

当日の疲れさせた事実
知らない街、長い移動時間、重たいカバン、初めての組みあわせの洋服、知らない言葉、大きい声、大きい音、街の雰囲気、休憩の少なさ、たくさんのお酒とご飯

今までに得た教訓の中で、上手に使いこなせなかった部分
自分の身なりばかり気にしていてもダメなんだということ、事前に行く場所について細かく調べておくべきだということ、意外と適当な服で行った方が疲れなくて楽しいということ、疲れたら疲れたとすぐに言うこと、時間に大体の目安を持っておくこと、物を買うことが充足感を生むという事実、物をブーストにして盛り上がるべきであること、服を見る時は目標を定めておくこと、ためらいは敵であること

 とりあえず、当日の疲れさせた事実を生んでしまった要因として、自分が大丈夫ってすぐに言ってしまう、っていうのがある。

ほんとは大丈夫じゃないことそれなりにあるんだ。

「足が痛い」とか「沢山のものを見過ぎて疲れた」とか「ここは人が多くて怖い」とか、もっと上手に言えたらよかったんだけど。

そしてそれを上手に言葉にして恋人に示せないのも悪い。


 後、浅いコミュニケーションしかできないのが良くない気がする。

マイナスの感情を示すの悪!みたいに思ってる。

だからLINEは感謝の言葉とか前向きな言葉で溢れてて、ちょっと嘘みたいになっている。


 なぜ ”深い” コミュニケーションに踏み込めないのか。

それは私側の原因としては、肉体の供与を求めない愛情に対する怯えがあるからだ。
(恋人側に原因があるのかは知らない。それを知れるくらいに話が出来ているわけではないからだ)

男性の恋愛観に対する深い猜疑心みたいなものがある。

それは中学校1年生の時の恋愛と深く関わりがある。

「中学校1年生の時の恋愛なんてかわいいものでしょ」と思うかもしれない。

それは子どもを純粋なものだと思い込む ”大人” の意見だ。

私は小学生の時、学校の先生になりたいと思っていた。

しかしもはや、そうは思えない。

それくらいその恋愛で傷ついたし、人間としての尊厳も傷つけられた、ついでに教師にも呼び出された。

具体はない、具体を話すことはできない、笑えないし同情もできないと思う。

そういう話を恋人にしてもいいのだろうか、分からない。

その相手と、大学生になって夜ご飯を食べに行った話もしていいだろうか。

5時間どうでもいい話を聞かされ続けてたまらなく苦痛だったこと、「変わっているかもしれない」と思った相手が想像以上に何も変わっていなくて絶望したこと、それなのに今日までSNSを断ち切ることが出来なかったこと、言っていいのだろうか。

 この記事は、昨日紙に書いた文章を更に整えたものである。
(整っていないという批判は受け付けない。何度書いても整わず、私も閉口しているのだ)

昨日の夜、久々に封筒と便箋を出して来て手紙を書いた。

自分宛の手紙だ。

寝る前に余裕がある時はB5サイズのノートにその日に思ったことなどを書いて、自然に眠たくなったら寝るようにしている。

しかし昨日は、手紙じゃないとどうしてもだめだった。

理由は恐らく高校生の時の女の子との経験が土台にある。

しかしその話をすると筋がぶれてしまうので、これはまた今度ということにする。

便箋は全部で4枚。

ディック・ブルーナデザインのデザインがかわいい。

書きながら、このままの関係でいたいなら、距離を置いた方が良いんだと思った。

付き合い始めは勢いみたいなところもあって、真剣さに欠けていた。

しかし向き合って、一緒に変わっていきたいと思った。

それが痛みを伴ったり、時に人間としての変化を要請したりしてもいいと思った。

恋人がそう思ってくれているか、正確な所は分からない。

しかし、そう思ってくれていることを信じてみたいと思った。

課題への対処、心が落ち着いたら検討しようかな、もしかしたら書きっぱなしで終わってしまうかもしれない。

それでもいいような気がする、2人でなんとなく乗り越えられるような感じもある。

次に会う時、ここに書いたことの何か一つでも、良い風な形にして話せたらいいな。


 ここまでこのぶっ壊れた文章を読んでくれた人がもしもいたら、心から感謝したい。

すぐに消してしまう予感するが、未来の自分にこの記事はどう思われるんだろうね。

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