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昔の自分のアカウント出てきた

題の通りである。

今まで(旧)Twitterで数多のアカウントを使ってきたが、ちゃんと最後は供養するよう心掛けてきた。

書くのに使った時間、失われていくデータよりも、残ったものが悪霊になることの方が怖かったからだ。

だからこそ、供養していないアカウントが発掘されたのは結構衝撃だった。

しかも鍵がかかっておらず、いつ知り合いに見られてもおかしくない状態になっていた。命知らずだ。

使われているのは2019年3月23日から2019年4月6日の15日という短い期間。

今日は、このアカウントから2019年春の自分を回顧したいと思う。

(アカウントを削除したいと思ったが、今使っていないメールアドレスを使って登録していた。そのため削除は叶わなかった。記事内で紹介するツイートは内容を一部改変しているが、どうかアカウントを探さないでほしい)



気力について

嫌いなものが歪んでしまうのは許せるが、好きなものが歪んでしまうのは悲しいことだった。それをまっさらな目で見られないのは辛かった。一人になって、音がなくなると色々なことを悔恨する。人生の分岐を何度も見返して「ここでこうなっていたら」を繰り返すだけの時間。

午後2:44 · 2019年4月4日

許さないと、怒りが伝われと思ってしまった自分がいる。醜い

午後6:47 · 2019年4月6日

この時の私、まだ怒る気力がある。

この時の自分にあって今の自分にないものは、瑞々しい怒りとか、野心とか、そういうものである気がしている。

どこに置いてきたのかは分かっている。

失恋だったり、受験だったり、コロナだったりの中でのいくつかの具体的な経験を通して、私の「若さ」は削り取られてしまったのだ。

とにかくこの必死さがかわいくはある。

蛇足・Googleカレンダー

この記事を書こうと思い2019年、Googleカレンダーで2019年3月23日の投稿を見ようと思ったら、まだ使ってないはずのGoogleカレンダーに大量の書き込みがあった。

どうやらその時期は、突発的にGoogleカレンダーを使って予定管理していたらしい。

過去の自分の行動にはとにかく一貫性がない。

自己が日々一貫性を持って続いていくものであるというイメージが持てていないからだ。

その傾向は多少マシになったものの、今も健在である。

そこには勉強と遊びと部活を両立しきれていない自分の姿があり、ちょっと恥ずかしかった。

Googleカレンダー、思ったよりパンドラの箱だった。

勉強について

自宅学習する!模試と最上位クラスのため頑張る🔥

2019年 3月 8日 (金曜日)

ここの「最上位クラス」というのは、高校であると噂されていたが実際は存在しなかったものだ。

クラス分けは大体ランダムで、ただ1年次に前後の番号だった人とは同じクラスにならない、という条件だけが設定されていた。

恐らく文理に分かれた際の国立最難関理系クラスのことを指してそう呼ばれていたのだろうが、噂でもなんでもいいから同じクラスになりたかったらしい。

2019年3月の私が同じクラスになりたかった人間は多分、出席番号1つ前の男の子である。

何をどうしても同じクラスになることはなかったのだと、今は分かる。

他にも勉強時間をメモしたツイートが発見された。

この意欲が続いていれば、もう少し違う未来があったかもしれない。

最後に、必死について

死にたいって思った。比喩じゃない。死の重みを、衝撃を見なかったふりをするように、育てられた。その結果、死がどのくらいの大きさで、どんな形で、どんな味がするのか知らない。知らなくてもいい星のもとで、好奇心だけで口にする死は、いつだってふわふわと頭上を漂っている。

午後2:46 · 2019年4月4日

「死」という言葉は暴力的なので、これはnoteに載せるか迷った。

しかしこれも自分であるので、最後に載せておく。

私は20歳で生まれ直したと思う。

自分自身を傷つけることが減り、他人を傷つけることも減った自分を誇らしく思う。

それでも1日に1度は「死」を考え、「こんなはずじゃなかった人生」について考える。

これが自分に残された子どもの部分なのか、生来の性質なのか、殴られた後の傷痕なのかは知らない。

ただ「必死に前に進もうとしても、前の水しかかき分けられない人生、本当にやってられないや」という気持ちは、今も昔も変わらないことが分かった。

それだけでこのアカウントを発見した価値があったと思う。

削除もできないし、これからも時々見返して、自分の若さに胸を痛めたい。

おまけ・着想を得た本

この本を読み、紙以外で書かれた日記の魅力に気づいた。

今までのSNSの投稿も日記のようなものなのではないか、振り返り分析することに意義があるのではないか、と感じたのが記事を書きだしたスタートにある。

続くことは尊いと思う。


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