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結婚は誰とでもできるもの?|アドラー流の結婚観

心理学者のアドラーによると、結婚は究極的には誰とでも出来るんだそうです。
あ、婚姻届を出せば誰でも結婚できるよ!という意味の出来るじゃなくて、相手が誰であろうと結婚生活をやっていけるという意味です。

え?本当?
と思いつつも、そう言えば一昔前まではこの日本でも、結婚が当人同士の自由恋愛よりも、親や親戚が決めた結婚が主流だった時代がありました。
それでも、確かに全部が全部、不幸な結婚だったかというと実際そうでもないな?と思う部分もあったりして。

相手は誰でもいいんだよという発想も、完全否定されるものでもないのかもしれません。

アドラー流に考えるなら、、、
他者は変えられない。
変えられるのは自分だけ。
その前提のもとに、相手にいっさい期待せず、相手からの承認を求めるといった邪念も捨てる。
そしてただひたすら、家事・育児など、自分がやるべきと思ったことを淡々とやる。

相手に何も要求せず、いや、要求したとしてもその要求を必ずしも相手がこころよく了解してやってくれるなんて期待もしない。

ひたすら相手の課題に踏み込まず、だからと言って相手に従属するわけでもなく、自分は自分らしく生きる。

そんな感じですかね?

確かに、これに近いことができる人もいるのでしょう。

でもね、この関係性で互いに愛情が生まれるとしたら、そもそもお互いが自立した人間であることが必要なんです。

例えば、相手がやってくれることを当たり前とは思わずに、自分も自分ができることを自然にやる。そしてどちらかが困ったときには話し合い、互いに協力して信頼関係を築いて行く。そういう自立した者同士ということです。

ちなみにアドラー心理学で言う自立とは、自分のことが自分でできるとか、食事、洗濯、掃除など身の回りのことが親に頼らずともできるようになるとか、さらには仕事をして稼げるようになるということを指しません。

アドラー心理学での自立の定義は、自分中心の思考から離れて、自分を大切にするのと同じくらい他者のことも大切にし、他者へ関心を寄せ、他者に貢献できるようになることです。

自己中心的な人は、どんなに年齢が上がりどれだけ社会的地位が上がったとしても、本当の意味で人間的に自立しているとは言えません。

未熟者です。

そのうえでアドラーは、そもそも結婚は自立した人同士がするものだと言っています。

精神的に自立した者同士ということですね。

私は、結婚生活がうまく行かなくて「なぜ?」「どうして?」という疑問の答えをアドラー心理学に求めました。
アドラーの言っていることが自分の経験に照らし合わせても、とても納得できたからです。

そのアドラー心理学の考え方からすると、私の結婚生活がうまく行かなかったのは自立した者同士の結婚ではなかったからなんだと思います。

まぁ、私も未熟な部分は多々ありますが、少なくとも自分が親になってからは「自分より子供」という姿勢が自然と身につきました。

そしてワンオペ状態になっても、ずっと家族のために自分ができることを精一杯やってきました。

でも私は、まるで大人ではなく子供と結婚しているような感覚に陥ることが何度もあったんですよね。

例えば夫は、自分が食べたいからって、嫌がる子供からたくさんお菓子を取ってしまったり、普段の食事も、子供たちの分を残してあげるということがありませんでした。

子どもより自分。自分の要求が優先でした。
「自分の眠気」が「子どもの遊んでほしい」より勝つし。

夫婦ふたりだけの時はなかなか気づきにくかったけれど、夫婦の間に子どもができた途端に一気にそのことが露呈しました。

子供っぽいところがある…じゃなくて、本当に子供でした。(爆)


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