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#8 シナイ山で死にかけた話③

カイロ市内へ

空港に着いたら近い市街地に移動が第一のステップ。カイロ国際空港からは当然カイロ市内に。

まず今の若い人には解らないと思うので当時の事情を話しておくと、当然大学生なのでクレジットカードなど持っていない。仮にクレジットカードなんぞあっても使える店などには行けないし、使えた所で無茶苦茶される可能性もあるので使うのは怖い。

初期はトラベラーズチェックを持ったりもしていたけどあまり意味もないことに気づき、持っているのは空港で換金(換金率は悪い)したミニマムの現地通貨とわずかな日本円(換金率の良い所で現地通貨へ)のみということ。

現金が枯渇したらノーマネーでフィニッシュ、現地の低賃金でバイトするしかありません。
 

通信手段も携帯はもちろんパソコンもない、世の中にWi-Fiなど存在もしない、吉幾三状態。仲間と現地ではぐれたら終わりなので、「今日も渋谷で17時」ばりにはぐれた場合の待ち合わせ場所を決めておく。

日本への連絡手段は、公衆電話から国際電話か、当時ハイカラなインターネットカフェ(それも都市部しかない)でHotmailを使ってメールをするくらい。

今思うと不安過ぎる、、、

トラベラーズチェックとは?

トラベラーズチェックは、海外旅行者向けの小切手のようなサービスである。使い方はとても簡単で、支払いをする際に店側へ渡してサインをするだけで、トラベラーズチェックの額面に応じた支払いが可能になる。また、現地の両替所などで現地通貨に換金することもできる。
https://www.smbc-card.com/nyukai/magazine/tabisapo/prepare/travelers_check.jsp
Hotmail(ホットメール)とは?

Hotmailとは、Microsoftが提供しているWebメールのサービス名である。Windows Live Hotmailを指す場合が多い。Hotmailは、1990年代の半ばに「MSN Hotmail」の名称で登場し、Microsoftが運営するポータルサイト「MSN」上で提供された。
https://japan.zdnet.com/glossary/exp/Hotmail/?s=4

うち、カモられへん!!

空港から市街地への移動はその旅の初期テンションを左右する大事なポイントです。

今や地に堕ちつつある日本ですが、当時途上国をバックパッカーで旅行しているアジア人と言えば金持ちでお人好しの日本人一択。

塩対応で自己主張の強い白人とは異なり、日本人は観光客相手の現地の人からすれば垂涎のお客様。空港では手ぐすねを引いて熱視線を送ってくるし、視線どころか腕を組んで連れて行こうとされる。

 
ここで変なのに捕まると、ぼったくられたり、変なところに連れていかれたり、最悪危険な目にあう。

ぼったくられるといっても、本来現地の人だったら300円だったタクシー代が1000円取られるくらいのレベルがほとんどなのですが、ぼったくられた事実に腹が立ってテンションが下がります。
 
途上国の空港で空港に列車が直結されているところは少ないので、一番安全度が高いのはバス。それでもバス停の案内人や、チケット売り場のスタッフ、バスの運転手にプチぼったにあう可能性はあり。

タクシーは白タクはリスクが高く、正規のタクシーでもまあまあの確率でぼったくられるし、変なところに連れていかれます。

もう記憶がありませんが、そこらに気を付けつつ(軽いぼったくりにはあったかもしれませんが)何とかカイロ市内に到着。

最初にするのは宿探し。バックパッカーで貧乏学生の我々の相場は一泊500円以内。バックパッカーが集まる地域を見つけて、宿を回って値段交渉を繰り返して最も条件が良い宿を見つけます。

当然一人一部屋などありえず、一人だと大部屋をシェア、4人くらいだと4人で一部屋、一人当たり数百円の宿を見つけることができます。

Baby Boy 私はここにいるよ

宿は見つかり、とりま寝て起きる。

今回は次に特別なミッションがあります。ユウキに実家へ連絡させること。

2泊3日の韓国旅行に行っていると思っているユウキの親が、ひと月単位で息子が帰ってこないとなると流石に警察に相談しかねない、、、

いやユウキの親に心配をかけさせるわけにはいかない。
 
エジプトは当然暑い。ここがジョジョ第三部の舞台か、などと思いつつ灼熱の日差しを浴びながら通りの商店でテレホンカードを買う。テレホンカードの存在自体がもう若い人は知らないのか。

通りにある公衆電話でボタンを打つ。

0081(0)935〇〇〇〇〇〇

皆さん、福岡県北九州市の市外局番は「093」です。この機会に覚えてください。

この原稿を書いていて気付いたのですが、固定電話しかなかった時代、6歳からの友達の家の電話番号はいまだに覚えています。
 
微妙な間の後にギリでかかり、
数回の呼び出し音の後つながる。

「あーい、福永です。」
「あ、親父?ユウキやけど、韓国行くと思ったんやけど、なんか知らんけど今エジプトおるんよ~」
「あーん?エジプトぉ??」
「とりあえず生きとるし、ひと月近く帰れんみたいやけ!」
「エジプトってあれか、ピラミッ・・・」
ブツっ、ツー、ツー。

KEIKO's response

国際電話でテレホンカードは一瞬でゼロになりここで終了。でもまあ伝わったからOKです。

日本に帰った後、一応ユウキの母ちゃん(ケイコ)にも一言詫びを入れておこうと思ってユウキの実家に行ったところ、ケイコのコメントは、

「私がエジプト行きたかったのに!」

いい家族です。

ちなみにユウキの親父は、北九州小倉の男を凝縮したようなパンチの効いた人物なので、機会と許可があればいつかこのnoteでも紹介したいと思います。

これで後顧の憂いはなくなりました。いよいよエジプト探訪スタートです。
カイロの話も実質スタートしませんでしたね。。。 

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