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「頭を垂れる稲穂かな」 - マーケットに対する畏敬の念と「謙虚さ」。

 マーケット関係の仕事を離れて3年余り、少し緊張感が欠けていたのかな、と自戒の念も込めて今回の「損切丸」は書いてみる。

 とにかく今回のコロナショックに関しては全く想定出来ていなかった。強いて言えば、次の危機が「金融危機」ではなく「全市民型危機」であることだけは合っていたが、全世界的なウイルス感染までは想像が及ばなかった。もっとも仕事を続けていても想定できていたかどうかはかなり怪しい。

 思えば毎回パニックで酷い目に遭う度に自分の「未熟さ」を悔いてきた危機は毎回違う顔を見せる。欧州通貨危機で半年分の収益を1日で吹っ飛ばした時は(e.g. 1日物の英ポンドの金利が100~200%に急騰)、教訓としてなるべく1~3か月等期間物を前倒しで調達し、足元の資金繰りは極力減らすスタイルに変えた。それでもリーマンショックの時はまた資金繰りに奔走する事になってしまった(担当の円は大丈夫だったが、今度はドルやポンドが足らなかった...)やはり銀行界には「驕り」があったと言っていい。

 「損切丸」「危機」の度に力を尽くしてきたという自負はあるが、回を重ねる毎にやはり「人の手が届かない何か」「マーケットに対する畏敬の念」が強くなっていった。年を取ったせいもあって(苦笑)、「紙一重」とか「運が良かった」とか思うことが増えたように思う。

 それでも何とか20数年やってこれたのは、おそらく「謙虚さ」を保ってこれたから。「謙虚さ」というと極めて日本的な感じがするが、英語で言えば RESPECT に近いだろうか。酷い目に遭ってもへこたれず、人のせいにせず、かといって自暴自棄にもならず、その時やれることに徹すること。

 今回のパンデミックもそうだが、マーケットに限らず「自分は大丈夫」という驕りが後の「しっぺ返し」を招く全ての事に敬意= RESPECT を払いつつ「謙虚」に事に当たらなければ「運」も向いてこない。それでも駄目な時もあるが、少なくとも「悔い」のない分前は向ける

 結局為政者も経営者も一般人も、どんな人もこういう切羽詰まった局面で「真価」が問われる。長期間にトップに君臨しようが株価が上がろうが、「崖っぷち」に弱い人は本物ではない

 さて日本もいよいよ「緊急事態宣言」が出そうだが、今日(4/6)日経平均が+500円強上がって政府はほっとしているのではないか。実態は、NYの1日当りの死者数が減ったことなどから米株価の先物が急伸したのに連れ高しただけのようである。

 「スペイン風邪」に関する書き物をどこかで読んだが、4,600万人もの人が亡くなった中で最も被害が大きかったのは感染の第二波だったという。つまり現在でも多くの疫学専門家が指摘している通り、これは長期戦になる蓋然性が高い。ここで株が一時的に上がって喜んでいる場合ではなかろう。

 歴史が証明しているが、疫病は人類最大の敵と言っても過言ではない。ここはやはり「畏敬の念」「謙虚さ」 RESPECT が必要な局面ではないか。マーケットが上がったの下がったのと一喜一憂するのではなく、もっと大局的な見地から世の中の動きを俯瞰することが大事だと思う。それが**正しい意味での「投資」判断にもつながるはずである。

 **①1点、「損切丸」的な主張をさせて頂くと、雇用、景気が急速悪化してデフレになる、という主張を見かけるが、これは全くの逆だと思う。確かに需要の減速から原油が急落したりはしているが、今回もう一つ明らかになたのは「物は余ってなどいない」と言うこと。中国を起点とするグローバルチェーンの脆さが露呈したからだ。
 ②更に感染対策で先進国中心に500兆円以上の「現金ばらまき」主体の経済政策が発動される。これは明らかに法定通貨の価値を毀損する。リーマンショック後も膨大な国家債務が「隠れた大問題」だったのに、おそらくこれに更に1,000兆円規模の債務が重なるだろう。実は恐ろしいことである。
 ③一部には危機後の「国家債務再編」の議論がちらほら見えてきているが、これは国の借金棒引き、日本の古い言葉で言えば「徳政令」のこと。つまり「法定通貨価値の強制的引下げ」という名のインフレ政策が画策される懸念がある。今は目の前の危機克服に全力投球は止む得ないが、今後の「正しい投資判断」を間違えないためにも、このことは頭の片隅にでも入れておいた方が良いかもしれない。

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