日本銀行

「お金」の価値とは何か ー 「中央銀行」と「金利」の役割。

 「日銀についてはもうわからないな...」

 2016年1月29日、日本銀行がマイナス金利政策を発表した直後「損切丸」が思ったことだ。欧州中央銀行(ECB)は実行していたものの、まさか日銀はやるまい、と予想していたので、持っていたポジションから出た損失と同時に大きな「虚脱感」を覚えたのを記憶している。

 それまで大損したことはあっても何度も取り返してきたが、この時の「虚脱感」は格別だった。銀行を取り巻く規制の厳格化など様々な事情も重なったが、その年の10月に自主退職を申し出る大きなきっかけになった。長年日銀とは対峙してきたが「もうこれ以上頑張れない」という感覚に陥った。

 この時のショックは一体何だったのか? 辞めて3年経ち、このような note を綴っている者として改めて考えてみようと思った。そもそも「中央銀行」の役割とは何だろう。

 「お金」のことを考える時、面白い例だと思ったのが2019.11.27稿.「ロボットは商品を買ってくれない」 ー ある経済関連の書籍を読んで思うこと。 でご紹介した「父が娘に語る経済の話」(元ギリシャ財務大臣、ヤニス・バルファキス著)に出てくる「タバコ経済」の話だ。収容所の中で配給品の物々交換をする「経済」が成り立つ中、その中でも「貴重品」だった「タバコ」が様々なものを計る基本の尺度になった、という。コーヒー100グラムはタバコ3本、紅茶100グラムはタバコ4本、といった具合だ。

 これを世界的に展開したのが「金本位制」だろう。詳細は経済学者、エコノミストの方々にお任せするとして、ざっくりいうと「金」を物の価値を計る基本尺度として経済を運営する制度のこと。1816年にイギリスで始まったとされているが、当時「貨幣」はあまり信用されておらず、希少価値のある金との交換価値を国が保証することによって「お金」を循環させる仕組みを取ったという。上述の収容所の「タバコ」と役割が似ている。

 その後第1次世界大戦で一時中断されたが、第2次世界大戦後、莫大な戦費や補償の支払いをするために「金ドル本位制」がアメリカ主導で復活。しばらく続いた後、やはりベトナム戦争で嵩んだ戦費の支払いなどのために1971年、いわゆる「ニクソン・ショック」によりアメリカが金とドルの兌換を停止。1ドル=@360円だった「固定相場」も終了し、1985年の「プラザ合意」を経て今の「変動相場制」に移行している。主要通貨が米ドルなので「ドル本位制」と呼ぶ向きもある。

 前置きが長くなったが、現在は「貨幣」そのものを国が信用保証し、ものの価値を計る基本尺度となって経済が回っている。「タバコ」「金」になぞらえれば、「貨幣」も貴重なものであってしかるべきであろう。

 そこで俄然クローズアップされてくるのが「中央銀行」「タバコ」や「金」になくて「貨幣(法定通貨)」にあるもの ー それが「金利」であり決めるのは「中央銀行」である。つまり彼らの主たる役割は*「金利」を上げ下げしながら「お金」の(希少)価値を守ることであり、それ故に「通貨の番人」としばしば呼ばれている。

 実際「損切丸」が金利の仕事を始めた時、米ドル金利は9%もあり(その後長期に渡って3%まで利下げ)、ドイツマルクも9.75%まで上がったこともあるし、英ポンドは12~15%が普通だった。バブルの頃の円の預金金利も軒並み5%以上あり、「1億円あったら利息(500万円~)で暮らせる」というのが共通認識だった。

 いろいろ考えていて2016年に感じた大きな「虚脱感」、「もうこれ以上頑張れない」の根源に辿りついた。大袈裟に言えば、現在のマイナス金利政策や「異次元緩和」は「中央銀行」の自殺行為ではないのか?「金利」によって「貨幣」に価値を与えるはずなのに全く逆のことをし始めたのだから。

 「価値」があってこその基軸としての「タバコ」であり「金」であり「貨幣」である。その価値を毀損する政策を行っているのに、それを価値判断の基準にしろ、というのは無理がある。これが今の「得体の知れない居心地の悪さの正体」(2019.11.16.稿)であり、大きな「虚脱感」の元。**そもそもの役割を無視しているのだから「もうこれ以上頑張れない」

 **こうなるとマイナス金利政策を行っている日銀やECBは「中央銀行」というよりも一種の課税機関と考えた方が分り易い。日銀法では国債の買取禁止など財政と金融政策の分離を謳ってはいるが、実際は財政と一体化していると考えるのが自然だ。従来のように景況感などをベースに「金利政策」を推測する事にあまり意味はなくなり、むしろ新日銀法第4条に規定されている「政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、政府と連絡を密にし十分な意思疎通を図る」の条文がクローズアップされることになる。これが「アベノミクス」の骨格であると考えるとわかり易いかもしれない。

 随分堅苦しくなってしまったが、要は「金利」は(希少価値の対価として)「もらえるもの」から「払わなければいけないもの」に転化しつつある。根本的要因はとても返せないほどの「国の膨大な借金」だ。日本、ヨーロッパだけでなく、これはアメリカも同じ。見た目の金利はプラスの国もあるが、物価対比でみた「実質金利」はほとんどの先進国でマイナスだ。つまり「お金」に付与されている「金利」を皆払っている状態。金利の専門家を自認する「損切丸」も未だかつてこんなことは経験したことがない。

実質金利G5

 「現代貨幣理論」(MMT)などはもっともな理屈に見せているが、政府サイドから見ると都合の良い「プロパガンダ」に過ぎない。未だに給料などを「価値の減るお金」で渡されている生活民はよく考えた方がいい

 この事態を脱却するのに最も都合の良いのは「インフレ税」である。「物価上昇」が難しければ、あとは「通貨価値の毀損」。物事を一気に進めようとすれば「新しい基準」の創設、つまり「新貨幣」への切換しかない。「デジタル通貨」が候補の最右翼なので、この「損切丸」でも度々取り上げてきたが、どうも「リブラ」は既得権益に潰されてしまった感が強い。しかし「物価上昇」が難しければこの「新しい基準」の模索は続くだろう。

 今我々は壮大な金融の実験場に置かれており、過去で言えば「ニクソン・ショック」や「プラザ合意」に匹敵する歴史的変化に今後直面すると筆者は見ている。過去には膨大な戦費の支払いが契機だったが、今はそれらを遙かに凌駕する国の借金が膨らんでいる。せめて後悔しないようにできるだけの備えはしておこうと思うが、さてどこまで出来るか...。

 「歴史は繰り返す」- History teach us Nothing. 

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