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日記の効用を見直す

小学5年生から高校3年生まで、ほぼ毎日日記を書いていた。初日は「使っていない日記帳を見つけたので書き始めてみる」という感じだったと思う。寝る前にうつ伏せになって一日を振り返るのは習慣になって、不思議と続けられた。

書いてあるのは日々のこと、友達のこと、好きな人のこと、見たドラマや映画の感想、読んだ本の感想、見た夢の記録など。記憶力が良かった頃は起き抜けに夢の話を書き始めて、2時間かけて場面転換や位置情報を含めて6ページ分くらい詳細に思い出せた。

このときの「書く習慣」は間違いなく今の仕事に結びついている。好きなこと、嫌いなこと、喜びや怒りも文字にして客観視するクセがついた。怒りを書き付けるときも単なる感情の排泄だと格好悪いと思ったのであとで万一誰かに読まれても理屈が通るように考えて書いた。

学生時代は人間関係で報われない年が多く、日記にも怒りの分量が多い気がしていた。理屈といっても中学生や高校生が考えることだから、今読んだら恥ずかしいだろうと思ってしばらく放置していた。実家の「あの棚のあの引き出しに日記をまとめて置いている」とは覚えているけれど、改めて振り返る気がしない。なんか恥ずかしい。捨てられないけど確認するのが怖い。

でも先日ふと気が向いて、引き出しを開けて1冊パラパラめくってみた。日記帳は1冊終わるたびに新しい装丁のものを買ったので大きさもデザインもバラバラ。昔はどんな順番で、どの日記がいつ頃のものかを覚えていたけれど今は忘れてしまった。適当に取ったのは個人的に一番キツかった中2の日記だった。

ああ、中2だと嫌なことばっかりだったし、日記も怨嗟にあふれてるわ。読んで思い出したら嫌だな。

そう思ってめくったら、意外や意外、怒りの話は少なくてページは好きなことであふれていた。当時大好きだった刑事ドラマの感想、登場人物の魅力。NHKでよく放送されていた文学系単発ドラマの感想。夢で見た変な景色。

当時、自分がAくんを好きになったあとにBくんを好きになったことは覚えていたけれど、日記を読んだところその間にCくんとDくんも気になっていたことがわかった。惚れっぽいなー。読み返して笑ってしまった。

誰かに見せる目的はなく、いわゆる中2病的な気取ったことも書いているけれど、思ったより過去の自分は感情も色彩も抱えている。もっとつまらない時間を過ごしていたと思っていたので、これは大きな発見だった。

しばらくして『日記の魔力』(表三郎著・サンマーク出版)を読む機会があって、そこに書かれていたことがあの頃の日記の効用とぴったりで納得した。

日記は行動記録で、具体的な記録があるほど過去の自分が立ち上がってくる。セルフイメージは自分の中で偏っていくので、読み返して「事実」を確認していくのが大事。まさに今回「つまらない日々の中で感情を排していた自分像」が覆されて「意外とカラフルな感情を持っていた自分」を見つけることができた。

何でもない日常でも自分にとって大きな価値がある。だから日記を書いたほうがいいという主張は、改めて自分に迫る。ああ、またちゃんと書いたほうがいいかもしれない。

本は2004年刊行で、著者の表氏はその時点で30年間日記を書いている。最初は京大式カードに書き付けていたのを1991年頃からパソコン日記に置き換えて、検索やコピペを活用しながら思索を深めているという。

たしかに手書きにこだわらずデジタル入力にするのはありだろう。今ならスマホに音声入力でもいいし、クラウド保存のドキュメントに蓄積してもいい。

いろいろ考えて、私は持っているキングジムのpomeraを活用して、追々クラウドに保存する方法を試してみることにした。手書きだと考えるスピードに追いつかない。スマホの入力も同じで、キーボードで打ち込むのが今の自分の速度に合っている。パッと開いて入力できる点でpomeraは手軽に扱える。

表氏がいうところの「自分の思索史」の抜き書きは今までの手書きノートを使ってみよう。行動記録の日記が溜まったら紙に出力して、そのノートと一緒に保存すれば一応「1冊」として自分情報がまとまる。

twitterやSNSで書きたくなることもpomeraの行動記録に含めたらあとで検索しやすい。ネット利用時間も減るかもしれない。

『日記の魔力』を読んだら最近のいろんなスイッチが結びついてすっきりした。pomeraを開くと文章が書きやすく、この文章も「新規で開いてまとめてみよう」と書き始めたらここまで来れた。うつ伏せ寝で日記帳を開きながら「何を書こうか」と考えたワクワクもちょっと蘇っている。

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