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デジタルで「書き殴る」のは難しい

デジタルで「書き殴る」のは難しい。特にnoteはインプットのレイアウトがとても整っていて、書きながら「どう見えるのか、どう見せるのか」と考えやすい。ブロックを入れ替えたり、長さを見直したり、文章を考えながら別のことも考えやすい。

常にいろんな意味でのバランスを考えて文章を書いている。もちろん読みやすさや見やすさに考慮した文章は悪くない。むしろみんなそれを目指している。

ただ、たまに「整え過ぎちゃっていいのかな」と思うことがある。例えば棟方志功の版画彫りのように、そこにある何かを彫り出すことに熱中するような文章は書かなくていいのか。荒削りだけれど芯があるような文章は目指さなくていいのか。

パソコンで書くとレイアウトが見えてしまうので、絶対「バランス」から逃れられない。「バランス」に抗って、崩れたまま進むのが難しい。

でもポメラを使うとその呪縛から離れられるなと思った。今もポメラで書いている。画面には文字しかない。思った順番で書いていて、誤字や打ち間違いは直すけれど推敲して入れ替えたり戻ったりはしない。というかそれが面倒くさいツールなので助かる。

画面もそんなに大きくないので、全体量はパッとは分からない。ここまで書いて長いのか短いのか把握していない。つらつら書き綴っている。

「書き殴る」のは文字通り手書きでもできる。ただしデジタルの場所にアップしようとすると二度手間だ。それに打ち直して清書するときに冷めてしまう。手書きには手書きの熱があり、たぶんあれも見た目のバランスを含めた「そのときの書き殴り」だから味が出るんだろう。デジタルに打ち直した時点で1つ興醒めするのはきっとそのせいだ。

その点、ポメラだと「デジタルの書き殴り」ができる。出したい文字列、文章をポンポン打つとデータになってくれる。私が使っているDM200はキーボードが大きめで、通常のパソコン遣いとあまり変わらない感覚で打ち込んでいける。

さて、ここまで書いたけれど、全体がどうなっているのかは分からないままだ。でもアウトプットとしては純粋に近いので、少しスッキリする。なんだろう、地面の穴に大声で叫ぶ感じに似ているだろうか。

たぶん書こうと思えばこのままどこまでも書いていけるんだろう。内容の質や構成はともかくとして、某かの文章を生み出し続けることはできる。

最近、古くから持っているツールを見直すことが増えた。デジタル一眼レフも2013年に買ったモデルがまだ使えると判明して、新しくレンズを付けて撮り出した。
このポメラも、外出しての取材や出張の際にはよく使っていたものの、コロナ禍からこっちは全然出番がなくなっていた。でもこうやって引っ張り出してつらつら書いているのは悪くない。

手書きでモーニングノートを書く人もいる。手書きでないと駄目だともいう。いや、こうやって打ち込みながら自分の頭を整理するのもありだ。

今、まさに涼しい朝方にいつもとは違う部屋にポメラを持ち込んで打っている。モーニングノート代わりにも十分使えると改めて思った。

さて、今日は何をしようか。

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