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あなたの自分らしさとはなんですか?

2086字 単一民族国家に思う事 の続きです。

私は、ソロモン諸島でテレビもラジオもなく、ネット環境が最低の、日本人が一人という孤独な環境を経験した。

元来、特段の用事がない限り電話をかける習慣がなかった。そのため、連絡を取っていたのは父と今の妻くらいです。父に電話する理由は、生存確認のためというそっけないものでした。もし、国際電話で話そうものなら、破産してしまうでしょう。

ネット環境の酷さは、以前の記事にも書きましたが、2Gというガラ携の時代に使われていた回線です。20年以上も遅れたインターネット環境。ソロモン諸島では、facebookでは画像や写真は載せられません。Line電話が深夜になると話せますが、それも音声はひどいもので、何を言っているのか聞こえないことも多かったです。日中にLineでメッセージを送ると、1分から2分程度、たまに送信失敗する始末。日本の皆さんの楽しそうなSNSの画像は2年間、全く見られませんでした。

人間も自己防衛機能があるから、ものすごい暑さを生き抜くため、無駄な動きしなくなるんですよね。部屋か日陰でじっとしているだけ、だから大して疲れないし、夜も眠くならないのですよ!現地人も暑くて耐えられない。そういうわけで、深夜になると、音楽かけたり、外で騒いだりする。私は、余計に寝れなくなる訳です。滞在先はホテルだったのでそういう場面が頻繁にあった。酒を飲んでテラスでパーティーが始まるともう終わり。長い夜になります。だいたい、明け方頃に寝付く感じです。

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そんな眠れない夜って皆さんも経験した事ありますか?天井を見ながら、ネガティブな事ばかり考えてしまう。

そんなこんなで、私は眠れない夜に30数年生きてきた軌跡をぐるぐると辿ってしまいました。

こんな長い時間って日本では到底味わう事のない貴重な体験でした。

日本を離れてからというもの、途上国の電波の悪さもあってか、今までの友人知人とは、こちらが行動を起こさない限り、ほとんど連絡がありませんでした。ブログやFacebookなどを見て、安心して終わりなんだと思います。ひょっとして、、、友達ではなかった?とまで疑い出す。30代中盤の男子で、友人とチャットして時間を過ごす人間はごく少ないので、まあ自然かとも自覚しました。

日本と物理的に距離ができ、縄文時代に戻ったかのような暮らしをした。当時は、2年近く住む中で、日本に住んでいた事を遠い過去のように感じて記憶が薄れていった。一方で、インフラが全く整っていないが、綺麗な海と森に囲まれた島国のソロモン諸島に住んでいる事が、逆に非現実的に感じられたりもした。両方とも現実ですが、不思議な気持ちでした。

1番得た気づきは人間関係。物理的に距離ができた後、連絡を取り合っていた友人って数人だけでした。それが、真の友情なのかという議論は今回はしませんが。

とにかく、今まで生きてきて、自分が周囲の人々の影響ばかり受けてきたことに気付いた。勤務先の病院の同僚、地元の友人・知人、家族。そんな、当たり前のようにいる人々から自分を解き放って、若干逃げるようにソロモンに来てみた。自然と力が抜けた。そして、肩の力を入れずにリラックスして生きている。

ソロモン諸島では、近隣の住人に合わせるという習慣が必要なかった。私は、彼らからすると、異国からきた外人であり、違って当然だから。

日本で生活していた頃の私は、集団に遅れないように必死についていくことしか頭になかった気がする。


改めて、日本を離れて気付けたことを書く。

集団に合わせて行動するのでなく、一緒にいる人を自ら選ぶこと。

昔の私は全く逆で、、、

・周囲の雰囲気に常に気をはる

・目の前にいると、誰であろうが(家族も含め)必要以上に気を使う

・同調しようとするが自分の意志と異なる事が多く気を揉む

これらの気質によって、私の思考や行動は組み込まれたロボットのようになっていた。

集団から離れて、孤独になったソロモン諸島で

自分らしさとは何か。俺は一体何に怯えていたんだろう。

と自問自答しました。紛れもなく、周囲から仲間はずれにされる事が怖かった。異なる思考や行動で目立つ(勝手な想像)。それを嫌がっていたようです。

私は自分らしさを見ようとしていませんでした。

ソロモン諸島では周囲に合わせず、自分の思うがまま生活していた。その必要がなかったから、自分で考え、行動する。日本にいた時のバイアスから解放され、自分の脳から消し去るというリハビリの日々であった。

自分のアイデンティティを見つめ直し、前面に出すこと。

ソロモン諸島での暮らしでは、外国人だからという理由だけで、私の意志は尊重された。現地人は全く気にしないので、私も彼らの行動が気にならない。そんな外国では伸び伸びと自分らしい生活を取り戻した。爽快であった。

現在は日本にいる。仕事に戻り、集団の中でなんとなく感じる同調圧力。私は、いい意味で自分に無理して合わせる事がなくなった。自分自身を試している部分もある。帰国してからというもの人が変わってしまったかのように家族には写っていると思う。

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