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父がいない初めての父の日がくる。

街中では「父の日」商戦が行われている。
そこらじゅうで「父の日」というワードを目にし、耳にする。
このワードでこんなに胸が締め付けられるなんて思いもしなかった。
昨年までは、このワードで悲しい思いをしている人がいるなんて想像できなかった。

父はガンが見つかって10ヶ月余りで亡くなった。80年と2日の人生。
治療が始まって数ヶ月間は、放射線の副作用もなく、食欲もあり普段通りの生活をしていた。
だからガンを甘く見てしまったのかもしれない。
弱っていく父を見ても「そんなに簡単に死なない」とどこかで思っていた。

医師の宣告した余命より長く生きることはできたが、悔いが残る。
父が亡くなってからたくさんの死に関する本を読んだ。
父の死から半年以上たった今も後悔の気持ちは薄まらない。

最期はあれで良かったのか。
病院に連れて行かなければ良かったのではないか。80歳にはなれなかったかもしれないけど、人間らしく最期まで生きられたのではないか。

死について触れることを避けていたけれど、どうやって生きていきたいかを聞けばよかった。

病気が見つかったときにやっておきたいことを聞けば良かった。
まだご飯も食べられて体力があるときに。

最期に何か食べさせてあげたかった。
もっと早くに対策していればできたかもしれない。

自宅での治療ができるよう早くから手配すればよかった。
仕事なんて放っておいてそのことだけを考えればよかった。

もっと会いに行けばよかった。

父の日にプレゼントをあげると、「おー」と嬉しそうに受け取ってくれた。
口下手なので、精一杯の気の利いた感謝の言葉を言ってくれたことを思い出す。

両親が健在の人には今後 私のような後悔をしてほしくないと切に思う。


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