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自ら、そして全体のフェーズの移行②‐次世代との分担

 大切な富田という地やマイノリティの地や人が長い年月をかけて培ってきたストーリーを途絶えさせないように・・・
 2008年に地域に戻り、そう願い、深くコミットすることで怒涛のように走ってきた。

 2016年に法人事務局長に着任した当初、これまでの長い年月の中で社会運動が培ってきたものや人にリスペクトを感じつつも一方で、“従来の対策事業下のスタイルや意識”から、社会的企業として企業経営も担いながらまち全体のイニシアティブをもち社会変革を起こしていくスタイル“へと転換できなければそもそも長年培ってきたものは拠点ごと消滅する
 その危機意識の中でほんとうに多くの人たちの支えと力をかり、足らずを補ってもらいながら変革を遂げ、一定の成果と全国からの評価も微力ながら得てきた。ただ、コミットの裏側では数多くの矢も引き受けてきた。そして、その危機意識はいまだに全体化されているとはいいがたいのも事実。

 その中で、大きな転換を図るため自らにグリップを引き寄せ、業務執行理事兼事務局長として権限と責任を一身に引き受けることで変革を起こし牽引するスタイルをとってきた。
 賛否両論あるだろうが、2016年当初何もしなければ2年半後に拠点そのものを失うという危機的な状況下において、短期間で変革を遂げる必要があった。そうでなければ今拠点はない。この数年学んだことは、誰かがコミットし責任を引き受けなければコミュニティや地域支援は簡単に崩壊するということ。

 ただ、そこからとりわけ2021年度以降には組織も拡大しネットワークも拡大する中、抱える人、支える人、影響する人も増えてきた。その中で事務局が業務過多になること(これは今年度、組織基盤強化で大幅に改善)や個人(自分自身)に負荷をかけて変革を遂げていく道(この部分は自分ということで後回し)には限界が来ている。この数年、多忙を極める中でこれ以上時間をつくるのは不可能なところまできた。精神的、肉体的にもこれ以上の負荷がかかると倒れるところまで来ている

 あきらかに“組織のフェーズ”が変わっているにもかかわらず、従来のあり方を続けようとしていてそこに限界が来ている
 そして、今だけにとらわれず長いスパンで見たとき、次世代へと分担するスタイルに変えていくタイミングに来ている

 それは以前のようなこの場を投げ出して卒業してしまおうとする無責任な方法ではなく、足場をおきながらも次世代へと渡し分担する道
 そして、自分自身は近い将来、この場に違った立ち位置で立つために次の道の準備をしていくタイミングにも来ている。

 自分自身はいつでも自由に生きられる。ただ、一方で与えられたミッションを生きることも求められている。


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