一人であっても一人じゃない。

私は、上京して早2年となる。親元を離れて感じる不安もあれば、一人でどこまで出来るだろうか、という楽しさもある。

ふと、一人で過ごす時間の中で、自分の人生を振り返ってみると、実は、「一人で生きてきた時なんて一度もなかったんだなぁ」ということに気づいた。

上京してから、食事、洗濯、洗い物、買い物など、これまで親に頼っていたことを自分でするようになった。

ある意味、自分の中では「自立できた」と思っていた。だが、どんなときでも自分の周りには「誰かによって作られたもの」が散りばめられている。

例えば、今、自分が着ている服。その服は、おそらく自分のお金で買ったものだろう。しかし、それは、「自分で作ったもの」ではない。

なるほど。人間、一人孤独の時間を生きているように見えて、いつでも自分を支えてくれている「誰か」がいたんだな、、。

かつて、経済学者であったアダム・スミスは、「分業」の重要性を説いた。一つ一つの仕事が相互に影響し合ってるからこそ、社会は成り立つ。だから、「世の中に無駄なものなんてない」と。

それは、人間同士にも言えることなんだろうなぁ。直接、見たことも、話したこともない人達と、実は繋がって生きているのが、今生きている社会なのかな。

ある意味、毎日が「奇跡」なのかも。。。

当たり前のように来る毎日に、うんざりすることもある。でも、その当たり前が、どこかの誰かを支えている。

そう、人生に無駄なものなんてない。「いま」を生きる一人一人の努力が、明日の誰かを支える一歩になっている。

未来は未知の世界。明日、自分は誰の人生の一歩を作ることが出来るのだろう。あるいは、誰の一歩によって明日の自分が作られていくのだろう。

また明日、誰も知らない新しい自分が目を覚ましたら待っている。今日も「当たり前の日々」が始まる。だって、当たり前の日々にするために「誰か」が精を出しているのだから。

よし、自分も誰かの「当たり前」を作るために精を出そう。自分のために生きる「楽しさ」より、誰かのために生きる「喜び」を感じられる自分になろう。

もしかして、優しさというものは、自分のことを考える時間より「誰かのために出来ること」を考えるなかに生まれてくるのかもしれないなぁ、、。

続く。

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