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言語を変えて伝えるってどうすることなのか

「あれ?!この子の名前って、ももこだったっけ??」

そのとき私が手にしていた本は、岩崎ちひろ絵・文『ゆきのひのたんじょうび』の英語版。
タイトルは『Momoko’s Birthday』。

このタイトルを目にした時、とてつもない違和感を感じた私はすぐに日本語の原書を探し出した。やっぱり、この子の名前ちいちゃんだよ。

えっ?なんで?翻訳されたら主人公の名前が変わってる。それってありなの?!

私はしばし混乱して、2冊の絵本を並べて読み比べた。

いわさきちひろ ぼつご50ねん

今年、2024年は、岩崎ちひろさん没後50年にあたる年だそうです。東京と長野県安曇野にある「ちひろ美術館」では特別展が行われています。

私は、一時帰国のタイミングで東京のちひろ美術館にお邪魔してきました。

本投稿のトップ画像は、ちひろ美術館の図書室で見つけた絵本たち。一つの絵本が何ヶ国語もの言葉に翻訳されて並んでいる姿はなんだかとても頼もしい。そう感じながら絵本を手に取ってみたら、主人公の名前が違っていて、心底驚いた。

翻訳にはその人の読み取り方が滲み出る

ちひろ美術館を訪れる数週間前。実は、この『ゆきのひのたんじょうび』を私なりに翻訳して友人にプレゼントしていた。

その友人は中国人。私に岩崎ちひろの絵がとても好きだと教えてくれて、中国で買ったという画集を見せてくれた。日本人の絵を好きだって言ってくれたことがなんだか嬉しくて、その友人のお誕生日に岩崎ちひろの絵本をプレゼントした。

プレゼントする前にあらためて読んでみると、たった数文字、たった数行の短い言葉たちに込められているちぃちゃんという少女の心の機微を感じた。そして、日本語の読めない友人にもなんとかこの内容を伝えたいと思い、私なりの翻訳をしたのでした。

翻訳機に入れてみては、ちょっとニュアンスが違うかも、とアプローチを変えてみる。

たとえば、この一文
「あかいぼうしとてぶくろ おかあさんからもらったの」

私はこの一文を翻訳する時に、この少女は、おかあさんからプレゼントをもらったことを伝えたいのか?あかいぼうしと手ぶくろがあることを伝えたいのか?で迷ったんです。

そして実際の翻訳本を読むと、雪が降るくらい寒い誕生日にこの暖かいプレゼントをもらえたことを喜ぶ。というニュアンスが伝わる言葉に翻訳されているように感じた。

なるほど〜。
かなり行間を読んだ上での翻訳だなぁ。

受け取って伝えるという循環

どうも、翻訳のように言語を変えて伝えるためには、原語が表すニュアンスへの理解度が必要そうだ。

特に絵本のような短い日本語は、言葉そのものよりも行間に含んでいる意味を読み取ることが必要なのではないかと思う。それを子どもの頃から自然とやっている日本人って、素直にすごい。

そういえば、私が今年受講したライティングゼミの主宰者・さとゆみさんは、ライターは翻訳家に近い仕事だと思う。と言っていた。

翻訳家は言語を変えて伝えなおす。ライターは言語は変えずに伝えなおす。違いはあれど、両者とも自分がどう受けるかによって、アウトプットの形は変わってきそうだ。

受け取って伝える。という循環の中にいる人たちなんだなぁ。

2024年3月。さとゆみゼミ4期の仲間と共に始めた#note1000日チャレンジ
25投稿目。今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!