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気がつけば小学生の頃から書くのが好きだった。

私は書くのが好きである。実績はまだない。

社会に出てからは趣味もなく、やるべきことしかしない、つまらぬ人生だと思っていた。

そんな私が親になり、長男はまさかのダウン症!
今までの私のままじゃ、なんか絶対よくない気がする…!

言い知れぬ焦燥感に駆られ、私には一体何ができるのか必死に模索してきた。

あれこれやってみて、やっと楽しみながら打ち込めるものにたどり着いたのが2年前。

それがブログだ。(細々とやってるけどな!)

ただ人生をふり返ると、私は小学生のころから物語を書くのが好きだった。

たとえば小学4年生のころ。
私は王さまシリーズの本が大好きだった。

読むだけでは足りず、自分でも王さまの物語を作ったのだ。

ジャポニカ学習帳の1番最後のページを1枚やぶき(ノートをちぎるのは背徳感があった)、私の空想の中に王さまを招待した。

できあがった作品は、使っていなかった水色のキティーちゃんのファイルに保管。誰にも見られぬよう、背表紙と表紙に

みるな!✖️100

と黒マジックペンで書き殴った。
そのくせ、机から1番手が届きやすい位置に置いていたのだ。まったく浅はかな少女である。

自作した王さま物語はクラスの友だちにも見せなかった。イケナイ物語を作った自覚がどこかにあったのかもしれない。


ストーリーはこうだ。

舞台は王さまのお葬式

王さまが大好きだった「たまご」の食べすぎで栄養が偏り、胃がんにかかったことにした。治療の甲斐なく、死去。享年は58ということにしておいた。

王さまのお世話をしていた大臣や家来たちが

「王さまぁ!
だからたまごを食べないで下さいって言ったのに!」

と泣いていたというお話だった。

なぜこんなツッコミどころ満載の話を作ったのか、今となっては分からない。

思い当たることがあるとすれば、その作品を作った2年前に、アナウンサーの逸見正孝さんが胃がんで亡くなったことだ。私は逸見アナのファンで、人知れずショックを受けていた。

その影響で、死因を胃がんにしたのだと思う。


しかしながら、もしうちの息子が10才になってこんなストーリーを自作したのを見つけたら、「…大丈夫?」と声をかけたくなるだろう。

当時の自分が一体なにを表現したかったのか非常に気になるところだ。

ちなみにこの話を小学校の先生をしていた義母に話すと、お腹をかかえて笑っていた。

6年生のときには、担任の先生に私が作った物語を見てもらっていた。

卑弥呼に関する話だったと思うが、あまり覚えていない。

先生がいつも笑ってくれたのがうれしかったし、業務で忙しい中、私が作った駄文を読んでくれていたのは本当にありがたい限りだ。

中学生になると物語は書かず、川柳ばかり詠んでいた。

友人たちも川柳創作に付き合ってくれた。

その中で未だに忘れられない、友人がこっそり詠んだ、とても甘酸っぱい川柳があるので紹介したい。

あの人に 県に行ったら 告白するぞ


「県に行ったら」とは中文連の県大会のこと。

残念ながら県大会には行けなかったので告白はせずに終わったが、思春期だったあの頃しか詠むことができない素晴らしい句だと思う。

…なんか話がズレた。

とにかく私は書くのが昔から好きだった。

私の文章を読んでくれた人が、クスッと笑ってくれるのがよろこびであることは、当時から何も変わってないんだなぁと人生の棚卸しをしていて気づく。

これからも書くことを楽しみたい。
そして、読者の方々に笑みを届けられたら、と思う。

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