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憧れだった「絵師になること」を諦めた話 絵も小説もコスプレもできない私は「調べて発信するオタク」になりました

割引あり

私は小さい頃から絵を描くのが好きなオタクでした。周りの人から自分の絵を見て褒めてもらえるような所謂「絵師」になることが憧れでした。ですがいまはその憧れを諦めました。

これは誰かに共感してほしいとか、慰めてほしいとかそういう気持ちは全然なくて、「絵が描ける人間」にしがみついて苦しかった過去の自分に「別に描けなくてもいいんだよ」と言いたい、同じように考えて苦しんでいる人にお伝えできればいいなと思って書きました。「オタクの在るべき姿なんてな、なんでもいいねん」。これはそんなお話です。


手に入れたいと切望するけど手に入らないものが「絵の才能」だった

小学校の頃から絵を描き始めて将来の夢は「漫画家になること!」と周りに宣言するような人間だった私は自分自身のアイデンティティを「絵が描ける人間」だと思っていました。周りに娯楽施設がない田舎に生まれ育った私は中学校を卒業するまで家に帰宅すればひたすら好きな漫画のキャラクターの絵を描いていたような典型的なオタク少女でした。三者面談で「家では絵しか描いていないんです」と言って苦笑いする母親と担任の顔をいまでも覚えています。

中学では美術部の部長を務めて「絵が描ける人間」であることを誇りに思っていた自分は当然のように周りより「絵の上手い人間だろう」と自負していました。ですが、当然上には上がいます。私なんかより上手い人が沢山居て一気にプライドを折られました。いまではTwitterでいろんな人を見つけられるし、自分より年下の人で上手い人がゴロゴロ居るのが当然のように認知できるようになりました。いまなら「そりゃいるよね〜」と片付けられる感情が当時は処理することができずに、自分の絵がとても恥ずかしく思えるようになりました。高校に進学した辺りから次第に絵を描くことを避け、オタクであることを隠すようになりました。今まで自分で築いてきた「絵が描ける人間」というアイデンティティと自ら壊したのです。私が絵から逃げた瞬間でした。


描けるけど、描けない苦しみ

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