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E202:シャッター通りを歩く意味

祖母の家も含めて、周りはお店がたくさん並んでいました。

祖父母のお店から歩けば、すぐ近くに大きな商店街があって、ありとあらゆるお店が並んでいました。

都会の住宅街に住んでいた私は、
「商店街」の雰囲気がとても好きで
長い休みのたびに、祖母の住むこの街に、自ら電車を乗り継いで、やって来ました。

賑やかな商店街が、いつも私を迎えてくれました。
「あー夏休みが始まったぞ!」
そんな解放感とともに、ただの住宅街育ちの少年は
「豆腐屋の孫」に変身するのでした。

でも、残念ながら、全部過去形です。

あれだけあったたくさんのお店はほとんど閉店してしまい、今はシャッターだけが並んだ、ひとけのない商店街になってしまいました。

いわゆる、「シャッター通り」というものです。

それは最寄り駅で、電車を降りる人の数や、電車の車両数でわかるのですが、「あの頃」とは違い、本当に人が少なくなりました。

令和の現在も営業しているお店は、全盛期の一割にも満たないと思います。

そもそも、祖父母の店も
もうとっくにありませんし

小さい頃、可愛がってくれた商店街の人たちも、
ほとんどいなくなりました。

そこから歩いて15分ほどの親族の家に行くために
私はあえて、そのシャッター通りの商店街を通って行きます。

母は、「寂しくなるから」 
と言って、その道を歩く事はなくなりましたが、

私はあえて、歩きます。

私も母と同じく、たまに寂しいと思う事はあります。
でも、その寂しいシャッター通りを、なぜ1人で歩くのか…?

あえて、そこに答えを見つけるとすれば、
その道は、「40年前祖母と手をつないで歩いた道」だからだと思います。

あの頃、一緒に歩いた祖母は、当然横にいないわけですが、もうそこに「悲しみ」の感情はありません。
寂しくて悲しかった時期は、当然ありましたが、もう乗り越えました。

今の感情を説明すると、あたたかい気持ちになる、ということでしょう。

それは多分、そこかしこに祖母の面影や思い出を感じられる、懐かしい道なのだと思います。人けのない、寂れた商店街は、やっぱり、思い出の詰まった「あの時の道のり」なのです。

静かなシャッター通りなのに、
(これは、私だけでしょうが)
歩くだけでなんだか心が落ち着いていく
「お散歩セラピー」みたいな状況になります。

この夏も歩いてみたいんですけど、
さすがに、この40度近い気温の中で歩くと
夢に出てきて、お説教されそうな気がするので
やめておこうと思います。笑

涼しくなったら、私はまた、そこを歩くと思います。

母は、「なぜわざわざ寂しい道を歩くの?」
と、不思議そうな顔をするでしょうけどね…


【連続投稿: 123日目   ライランⅡ:  34日目】

今日は34日目です

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