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「いい文章」「いい写真」って一体なんなんだろう。

私はフリーランスとして、文章を書いたり写真を撮ったりして生きている。

この二つに共通していること。
それは、文章にも写真にも、どちらにも「正解」がない。
ということ。

もちろん、どちらにも基礎や基本はある。

文章なら「誤字脱字はしない」とか「てにをはを正しく使う」とか、写真なら「ピントは合わせる」とか「三分割法」とか。いろいろある。

だけど、その基本からはずれたところで名作が生まれる場合もあるし、基礎にとらわれて、良い文章や写真から遠ざかってしまうこともある。


では「良い文章」「良い写真」とは、そもそもどういうものなんだろう。

これが非常に難しいところで、文章にも写真にも受け取る側の好みがある。

たとえば、最近5年ぶりの新作を出した作家の村上春樹さん。
熱狂的なファンも多く、彼の文章を好きな人も多いだろう。
そういう人たちにとっては村上さんの文章は「良い文章」になる。

でも、そうじゃない人もいる。
周りくどいとか、まどろっこしいとか、そういう印象を持つ人も少なからずいる。
そういう人にとっては「良い文章」ではなくなってしまう。

写真も同じことが言える。
蜷川実花さんの写真が好きな人、好きじゃない人がいて、それぞれの好みで「良い」かどうかが決まってくる。


ここで問題だ。
私のような凡人は、一体どんな文章、どんな写真を目指せばいいのだろうか。

「良い文章」を書きたいし、「良い写真」を撮りたいけれど、どんな文章・どんな写真が良いのかが分からないと、上達は難しい。

どんな文章が正しいのか。
どんな写真が正解なのか。
私はついそれを探し求めてしまっていたけど、その道を進むと、多分小さな枠に収まってしまう気がする。

じゃあどうしたらいいのか。
まずは「自分の好き」を見つけることが大事なんだと思う。

「こんな文章が好き」「こんな写真が好き」それを自分の中の「正解」にして、そこに向かって突き進む。

それしかないんだろうなと、最近思うようになった。


世の中には、爆発的なセンスを持っている人がいる。
そういう人はきっと、こんなことをぐだぐだ考えなくても、ぱっと直感で人の胸を打つ良い作品が作れるんだろうな。

凡人の私は、コツコツと積み上げて行くしかない。
少しずつでも書きながら撮りながら。

いつか、誰かの胸を打つ文章や写真が生み出せますように。

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