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「頑張れない」ことは決して悪いことじゃない。

世の中には「頑張れる」人がいる。
目標に向かって一心不乱に進める人。最後まで頑張り抜ける人。誰よりも努力ができる人。「自分の使命はこれだ」と、人生に使命を見つけて情熱的に打ち込める人。
そういう人がたくさんいる。

でも、そうじゃない人もいる。
私もその1人だ。

昔から頑張り抜けないことが悩みというか、「もっと頑張ればいいのに、それができない私って、本当にダメなやつ…」と思うことが多かった。
部活でも受験勉強でも「もっと頑張れば上を目指せるのに、頑張れずに、そこそこで手を打つ自分」が、情けないしすごく嫌いだった。

私の周りには「頑張ることが得意」な人が大勢いる。
人生に使命を見つけ、寝る間も惜しんで打ち込み、周りを巻き込んで、目標に向かってまっすぐ頑張り続ける人たち。
彼らを見ると、自分の不甲斐なさを突きつけられているようで「頑張れない私って本当にダメだわ」って落ち込んでしまう。

私はどうして頑張れないの?
もっと頑張りなよ。上を目指しなよ。
もう1人の自分がそう言ってハッパをかけてくる。
「そうだよね。頑張らなきゃね」そう思うんだけど、すぐに息切れしてしまう。

私は自分の使命も(いまのところ)見つかっていないし、情熱を注げる何かもない。

でも、頑張らなきゃ。
あの人達みたいに、上を目指して走らなきゃ。

そう思えば思うほど、理想と現実の自分のギャップさらに落ち込む。

でも最近、「私とあの人達とは違う。私はそもそも頑張ることが苦手。あの人達は頑張ることが得意。そこが違うんだ」ということに、やっっっと気づいた。

誰でも頑張ればなんとかなる、そう思っていたけど、そもそも「頑張る」という行為自体が得意な人と苦手な人っていると思うんだよ。

絵を描くのが得意、苦手。料理を作るのが得意、苦手。早く走るのが得意、苦手。泳ぐのが得意、苦手。

それと同じ感じ。
頑張るのが得意、苦手。

それに気づいたから、私は「頑張る」ということをやめた。
向いてないことはやるもんじゃない。

そうしたらすごく楽になった。
「頑張ってる人たち」を見ても「すごいなあ」と思うだけで、比べて落ち込むことはなくなった。
私とは違う特性を持つ人達なんだ、という認識ができたから。

もしどこかに、私みたいに「頑張れない自分」を責めてしまう人がいたら、きっと「頑張るのが苦手」なだけなんだと思う。

そんな自分を許してあげて欲しい。
あなたはそういう特性なだけ。
別に悪いことじゃない。

一緒に「頑張る」ことを手放そう。
「頑張る」ことは得意な人に任せて、我々はのんびり行こう。

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