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月に1冊の本を読む時間が、なぜ作れないのか考えてみた。

「CDTVライブライブ!」を見ながら熱唱が止まらないオカダですけれども、こんばんは。

「この曲好きだったー!」と思うのが、軽く20年以上前の曲だったりして、自分の重ねてきた年月の長さを感じる。

ああ、このままの勢いでカラオケに行きたい気分だわ。行かないけど。
ていうか、カラオケって何年行ってないだろう。


そんな話はさておき。


今日、久し振りに大型書店に立ち寄った。

本屋大賞を取った本や、ドラマ化・映画化した小説、最近話題のビジネス書など、面白そうな本がたくさんあった。

「読んでみたいな」と思うものもあったのだけど、家には買ったまま読んでいない本、いわゆる「積読(つんどく)」がたまっているから、買わずに見送ることにした。


帰宅してから、積読をざっと数えてみると、7冊あった。

途中まで読んだ本もあるけど、もはや何も覚えていないので、これはもう読んでないのと同じだろう。

しかし、読んでない本があるのに、どうして次のを買うんだ私。


そういえば、今年の元旦に立てた目標の中に「月に1冊以上は本を読みたい」を入れている私。

あれから3ヶ月が経ったが、月に1冊どころか、結局1冊も読めていない。

3ヶ月もあったのに。
日数にしたら93日。
時間にしたら2232時間。

それだけあったのに、なぜ1冊も読むことができなかったのだろう。


決して、読みたくなかったわけじゃない。

読む本は決めていたし、その本は常に机の上に置いておいて、すぐ読める状態にしてあった。
先日の北海道旅行にも「暇な時間に読もう」と持参した。

けど、3ヶ月で読んだのは24ページ。
ちなみに全ページ246ページ。

少なすぎやん…。

ちなみに、その本はこちら。
京セラの創業者、稲盛さんの著書。

人生の指針になるような、いいことがいっぱい書いてある(らしい)いい本ですよ。

それに、そんなに文字が小さいわけでもないから、多分本気になったら数時間で読み切れる。


なのになぜ、読まないのか。
いや違うな。
「本を読む時間がない」と言ってしまうのか。


おそらく、私の中で「読書」の重要度がそこまで高くないのだろう。

だから「時間ができたら本を読もう」と思ってはいるけど、実際に時間ができたら他にやりたいことや、やらなきゃいけないことをやってしまって(時にはゴロゴロしてしまって)、結局「読書」に時間が回らない。

考えてみると、これは読書だけじゃない。

「時間ができたらやりたいなあ」って思ってる編み物や、「時間ができたら見たいなあ」と思ってるネトフリ系の映画もそう。

この「時間ができたら」は多分、3ヶ月ぐらい何もやることがなくて、いよいよ暇を持て余しはじめたぞ…ぐらいのレベルじゃないと、多分辿り着けない。

そうなってはじめて「時間ができた」になるのだと思う。
あくまでも私の場合だけど。


じゃあどうしたらいいかって、これはもう「本を読むための時間を作る」しかない。
時間は待っていてもできないから、作り出すしかない。

1日10分でも20分でもいいから「この時間は本を読む」「編み物をする」って決めたらできるのかも。
映画も「毎月(毎週)この日に観る」って決めちゃえば観れる。


日々、なんとなく忙しくて「時間がない」と思っているけど、多分隙間時間はいっぱいあって、それを活用できていないだけなんだろうな。

せっかく読んでない本が7冊もあるんだから、少しずつ読んでいこう。
10分でいいから、はじめてみよう。

と、ここに決意表明。


ちなみに今日、書店で見て気になったのはこちら。

26編全て「黒猫を飼い始めた。」の1行からはじまる。
同じ入り口で、どう変わっていくのかちょっと読みたい。


あとはこちら。
今年の本屋大賞ノミネート作品。

帯のおすすめコメントが強くて、面白そうだから。
我ながらチョロい。


もし何かおすすめの本あったら、ぜひ教えてください。
積読がさばけた暁には、読んでみたいと思います。
がんばる。


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