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カントがだんだん好きになっていく:御子柴善之『自分で考える勇気』
割とよくゆる言語学ラジオを観ている。「読書ガチ勢が、本を読むコツを教えます【◯◯を読んではいけない】#354」も面白かった。
ほぼほぼ全部「そうだよなぁ~」と思ったけれど、その中でも「易しい本から読む」って奴は本当にそう。広報の課長をしていたとき、いわゆる大手新聞社の人やNHKの人と世間話をして彼らが共通して言っていたのは「新しい分野はまず入門書を読む」ということだった。彼らはたとえば経済部であっても、流通の次が、IT企業担当、その次が証券会社なんてことがあるから、すごい勢いでその分野のことをフォローする必要があるという。
「どうするんですか?」という私の素朴な質問に対して彼らがほぼほぼ共通して言っていたことは、「入門書を4~5冊読みます。そこに共通して書いてあることは、まぁ、いわゆる定説で、共通していないことは著者独自の主張だという風に考えます。次に、人に会いにいって全般的なことを聞きます。そのときはさきほど著者ごとに少し主張の違うあたりを含めて「どういう風に捉えれば良いのでしょう」と尋ねます。そうするとかなり共通部分がどこにあり、差分をどう位置づければよいかがわかってきます」というようなことを言っていた。
ゆる言語学ラジオで話されていたこともそういった知恵のバリエーションだと思い、面白かった。
つまりやってはいけないことの第一は徒手空拳でカントの『純粋理性批判』を読もうと思ってはいけないということだ。
でも後の祭り。読書会の課題本で選ばれたこともあり、「よい機会かも」と思ってしまったのだ。こういうのを世間では魔が差すという。
読書会の方は全6回で3月に始まり、今月終了する。熊野版を私は読んできたが、終了に先だち、先日読了した。
でも、ちょっと気になるんだ。『純粋理性批判』の後がどうなるのか。でも、さすがに徒手空拳の無謀さを既に学習している。
そこで、御子柴善之氏が書いた『自分で考える勇気』を読むことにした。御子柴さんの『自分で考える勇気』は、目次の通り、御子柴さんが『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』『永遠平和のために』とイマヌエルくんの主要著書を旅をするように巡ってくれる。その具合がちょうどいい。
イマヌエルくんに関しては、どうやら私には《岩波ジュニア新書》ぐらいがちょうど良いらしい。ゆる言語学ラジオで語られている通りである。私もわかっていたはずなのに、知識というのはあるだけでは無駄であることを自ら証明してしまった。
いずれにせよ『自分で考える勇気』を、苦しかった『純粋理性批判』の感想戦を、御子柴さんとしている気持ちで読んだ。しかも『自分で考える勇気』がよいのは、目次の通り、『純粋理性批判』の続きについても、語られていることだ。「そうかそんな風に展開していくのか」と、富士山でいうと六合目あたりから山頂を眺める気持ちだ。
はじめに――「自分で考える」って?
1章 港町・ケーニヒスベルクの哲人
2章 「自由」なくして善悪なし――『純粋理性批判』を読む
[コラム]最上善と最高善/ア・プリオリとア・ポステリオリ/純粋悟性概念の超越論的演繹/悟性と理性/神の現存在証明という問題
3章 〈善く生きる〉って難しい?――『実践理性批判』を読む
[コラム]善い意志だけが無制限に善い/自由と善く生きること/最高善と神の問題
4章 自然の世界で自由に生きる?――『判断力批判』を読む
[コラム]『判断力批判』の位置づけ
5章 最高善をめざす私たち――『永遠平和のために』を中心に,1790年代のカントを読む
[コラム]社会契約論とカント
おわりに――再び「自分で考える」って?
『自分で考える勇気』はとてもよい。熊野版『純粋理性批判』を(まがりなりにも)読了した私からすると(エッヘン)、これでなんだか他の本も《読んでいなくても堂々と語れる》ような気持ちのよい錯覚に浸れる。これは御子柴さんからすれば決して正しいあり方ではないと言われるかもしれないが、少なくとも私にとっては大事なことだ。
いずれにせよ、『自分で考える勇気』を読んで思うのは、御子柴さんがイマヌエルくんのことを好きなんだなということ。その気持ちはしっかりと伝わってくるし、読んでいるこちらにもちょっと伝染してくる。熊野版『純粋理性批判』を読んでいるときは、イマヌエルくんが《ルノアールでいつも話すちょっと変わった友だち》だったのに、御子柴さんのおかげで、今は《尊敬に値する知人》へと少しシフトした気がする。
『純粋理性批判』を読み始める前は、私は「カントは別に読まなくてもいいや」と思っていた。いまは、御子柴さんとも話をしながら(もちろん脳内で)「カントっていいなぁ」に変わったのだ。
読書会はまだ第6回が残っているが、読書会の企画にも、御子柴さんにも感謝だ。御子柴さんのジュニア文庫よりは力の入った『カント 純粋理性批判 シリーズ世界の思想』の方は読了出来ずに挫折してしまったにせよ、ちょっとだけ前に進めたような気はしているのだから。
いつか、このシリーズも読んでみたいと思う。そのときにはきっとまた違った風景が見えるかもしれない。