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記憶:ガルシア=マルケス『百年の孤独』

高校生の頃、パールバックの『大地』を読んでいたら、母が「その話、おもしろいわよね」と言った。「どこが一番面白かった?」と何の気なしに尋ねたら「全然覚えてない」という答えが返ってきた。

「そんなばかな話はないだろう」と思った。面白かったのに覚えていないなんて。

でも、その通りだ。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』は20代の頃に読んで、「こんなに面白い話はないだろう」と思ったが、いまではその印象だけしか残っていない。あんなに面白いと思って読んだのに。

そのときの本はいまでも手元にある。ガルシア・マルケスがノーベル賞を取って、話題になってからしばらくして買ったのだろう。奥付には「初版1972年、20刷1984年7月」とある。若い頃に買った本で取ってあるのは、もうこの本とあと数冊だけなのに。当時の他の本はほとんどすべて処分してしまったのに。なのに覚えていない。

奥付からわかるのは、読んだのは40年前ということだ。手元にある本は、紙も劣化し、2段組で活字も潰れたような感じで、何回か読み返そうとは思ったが、読み直す気力がずっとわかなかった。長い間、ただ、「面白かった」という印象だけが、私の手元にあるだけだった。

自分にあるのは「読んだことがある」という記憶だけなのにもかかわらず、こんな面白い本が「ずっと積読」と今回の文庫本出版で多く語られたことが不思議だった。私の本でさえ20刷と、それなりに部数は出ているはずなのに。

今回、読み直すにあたっては文庫版を買った。紙もきれいで、字も少し大きい。手元の本は全体で302ページなのに、625ページと、ページ数が倍になっているぶん読みやすい。

文庫版で全体の約1/3、109ページまで読んだ。個性的なメルキアデスやホセ・アルカディオ・ブエンディアやその妻ウルスラのことはぼんやりと覚えていたが、その子どもたちや孫のことはまったく覚えていなかった。記憶の中の懐かしい顔と見知らぬ顔。とても新鮮な気持ちで読めてうれしかった。

もしかすると、時代と場所を間違えて生まれてしまったような登場人物、メルキアデスとホセ・アルカディオ・ブエンディアは、こんな気持ちで世界を眺めていたのかもしれない。

だとすると、ウルスラやその子どもたち、そしてブエンディア家に連なる人々、あるいはブエンディア家となんらかの関わりを持つことになった人々は、世界をどんな気持ちで眺めていたのだろう。

そんなことを思いながら、忘れてしまった続きを読むことがとても楽しみになっている。

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