月日は流れ、わたしは残る、片雲の風に誘われる: 滝田誠一郎 『長靴を履いた開高健』
「私の釣魚大全」「フィッシュ・オン」「オーパ」など、開高健が記した釣りにまつわる紀行と、その紀行に関わった人々への取材を通し、人間・開高健を生き生きと再構成して描き出した優れた評伝。
たとえ釣りにはまったく興味が無くても、この評伝を読み進めるうちに、開高健に魅惑され、「ああ、叶うことなら、世界中を旅するその場に居合わせて、笑い、落胆し、驚く経験をしてみたかった」と思わずにはいられない。
京都の神学者である杉瀬祐は開高健について「作家が釣りをしている」と評したという。「この人は釣り師ではないと思った。釣り作家でもない。作家そのもの。作家が釣りをしているんだと思いましたね」と。
小説家の残した「オーパ」のまぼろしの取材メモには『赤道6時に夜が明け、6時に日が沈む』とだけ記されている部分があったという。
そのメモが、実際の原稿ではこうなる。
『「オーパ!」(驚きの感嘆詞)とつぶやかざるを得ない』と著者はいう。
同感だ。同時にその赤道の雲を自分も見たかったと思う。自分がみたあの空が作家の内面を通してどのように表現されるのか、その奇跡に立ち会いたかったと思えてくる。
「オーパ!」。
第1回の見開きのリード文の作家の言葉を著者は再掲する。
驚きを失ってしまった現代にあって、半ば子供の脳を持った大人衆である開高健と驚きを求めて彷徨う旅に出ようと、作家と著者が魅惑する。
作家は"橋の下をたくさんの水が流れた"という表現をしばしば使ったという。下敷きにしたのはギョム・アポリネール「ミラボー橋」。
人はこうして片雲の風に誘われるだろう。
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