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仙吉と霧の乙女号

いつもピンクのものを身につけていたトロント大のK. C. Smith教授と奥さんのLaura Fujinoさんに「遊びにおいでよ」と誘われて、ドロシーとトロントに行った。まだ若かった私たちをSmith教授もLauraさんも暖かく迎えてくれた。Lauraさんは日系3世なので、日本語はほんの少ししゃべれたが、知っている単語が古く、おトイレを「厠」と言ってしまうところが私たちにはチャーミングに思えた。

Smith教授は、30代前半の私たちからみると結構おじいちゃんに見えたが、いま考えると60代前半で、いまの私たちぐらいの年齢だったのだと思う。とてもフランクな人で、オシャレにピンクのマフラーを身につけて、トロントの街をすごいスピードで運転しながら自分の車で案内してくれた。うっかり道を間違えると「おっと、いかん」と言いながら、そのままスピードを落とさずにUターンするものだから、私たちのトロントの街の印象は、あのびっくりするようなUターンで一杯になった。

夕食に招待され、ドロシーが「ナイヤガラの滝がみたいんです」というと、Smith教授は、ひとしきり、イギリスとフランスの古戦場に関する蘊蓄を述べた後、「ナイアガラ・オン・ザ・レイクにはぜひ泊まるように」と宿の手配までしてくれた。古戦場に関する蘊蓄は、私の英語力では実はあまりきちんとはわからなかったが、Smith教授は「古戦場は面白いから、ゆっくりぜひいろいろ観なさい」と地図を拡げながら楽しそうに話してくれた。

トロントからはレンタカーでナイヤガラの滝に向かった。ドロシーはテレビで観たナイヤガラの滝について熱く話していたが、私は「観光地だよね」と期待していなかった。

しかし、実際に滝までもう少しというところまでくると、遠くに白く水煙のようなものが見えた。大量に落ちる水のしぶきなのだろう。白い水煙が遠くの丘から湧き上がるように空に向かってあがっていた。

3月の終わり頃だったと思う。おじさんたちが暖かくなるシーズンに備えて花壇に花を植えている。人も少なく混んでもいなかったので、私たちはナイアガラの滝を遊覧する観光船「霧の乙女号」に乗った。Maid of the Mist、美しい名だ。

ドロシーは、滝を裏側から観られるというので「サイエンス・トンネル」にすごい期待を寄せていたが、それが単なるコンクリート打ちっぱなしのトンネルだったという事実にしょげていた。

「霧の乙女号」には、2回乗った。観光シーズンに入る前の時期で空いていたというのもあるが、1回目は水しぶきで何がなんだかわからないうちにびしょびしょになって終わってしまい、二人で「もう一回乗ろう!」ということにしたのだ。ドロシーも「普通は遊覧船に2回も乗らないわよね。通は2回乗るのよ」とすっかり機嫌が良くなっていた。

「霧の乙女号」に2回乗ってよくわかった。ナイアガラの滝の水量はすごい。日本の滝は水が布のように見えて美しいが、ナイアガラの滝は、横の方から間近にみると、分厚いコンクリート壁のような厚みを持って水がそのまま流れ落ちているのだ。

あれから30年ほど経った。いまでもドロシーと「ナイアガラの滝は今も滔々と流れているんだよね」と話す。

どんな人にも忘れられない記憶がある。あの日のことを思い出せば、いまも心が暖かくなるような日のことだ。どんな人もというのは言い過ぎなのだろうか。

昨日の短編読書会の課題本は、志賀直哉の『小僧の神様』だった。登場人物の誰に焦点を置くかで、いろいろなことが考えられ、いろいろなことが話せる読書会だった。

私は終わり近くのこの一文が好きだ。

彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想った。それは想うだけである慰めになった。彼は何時かはまた「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じていた。(志賀直哉「小僧の神様」)

志賀直哉『小僧の神様』

私は、著者がこの小説を、仙吉がお稲荷さんの前で立ち尽くすシーンにしなかったことに共感する。寿司を奢ってくれたのがお稲荷さんの仕業では、仙吉は不可思議を信じる人にはなり得ても、他の人に何かを贈る人にはなれないかもしれないのだから。たとえ、小説の中でAの気持ちは救われなくても、Aと仙吉の気持ちとはすれちがっていても、それはそれでいいのではないかと思う。

だから、私は思うのだ。トロントでのSmith教授・Luaraさんとの思い出や、「霧の乙女号」から観たナイアガラの滝は、仙吉のあの日の思い出と同じようなものなのだと。

ナイアガラの滝の思い出は、私の心の中で今も滔々と流れている。

PS. ドロシーに夕食のときに尋ねたら、ナイアガラの滝に行ったのは4月半ばだったという。記憶は案外、アテにならない。

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