少しずつコツコツ進める工夫を編み出す
社会人が何かを思い立ってコツコツ進めるには工夫が必要だ。そのコツを編み出せたような気がする。
実は、松坂和夫『数学読本』の1と2をおえるのに、3年3ヶ月かかってしまった。結構細かい計算問題も全部解いたとはいえ、高校数学の範囲だからかかりすぎだ。それはひとえにサボりながら進めたから、つまり、やったり、やらなかったり、ずっとやらなかったりという繰り返しだったということだ。
それが急に進み出したのは今年の5月の連休後。コツコツ進める工夫を編み出せたからだ。その工夫とは、ノートではなく日記帳を使うというシンプルなものだ。
それまではコクヨのB5方眼ノートを使っていた。それをA5の方眼の手帳に変えたのだ。
手帳を使う上での工夫はたった1つ。手帳のその日の部分に計算を書いていく。それだけだ。
手帳はA5の方眼なので、1日のページはそれほど広くない。それを2分割して、解いた問題の記録を書いていく。広くないので、1日分は問題を何問か解いたり、例題の考え方を記録したりすればすぐに埋まる。上記は大した計算をしているわけではないのでちょっと恥ずかしいが、ちょうど三角関数のあたりだ。
数問解くと1日分が埋まってしまうので、あまりガシガシ進むというわけではない。でも、それがいいのだ。ちょっとした隙間時間さえ見つければ、その日のミッションはクリアだ。
もちろん、疲れてなにもしない日もある。手帳だから「ああ、この日はやった」「昨日はちょっと疲れてたからやらなかった」というのが一目瞭然だ。
逆に興が乗って「もっと解きたいな」という日もある。
そのときは、手帳のそれまでの日付の空白のページにワープだ。上記だと、左ページの8月12日が、2月7日にワープしている。ワープ先の2月7日はその後、2月7日、2月16日に連続ワープしている。
この方法を編み出して、それなりに確立したのが6月の半ば。その時点では『数学読本』2は約2年をかけてやっと60%ぐらいの辺りまでしか進んでいなかった。それがこの方法に切替え、約2月で残り40%を進むことができた。
体感的には進捗に間違いなく効果がある。しかも、空白のページも興が乗ったときに埋まっていくから、手帳全体の空白率も時間とともに減っていく。これが満足度の点から非常に価値がある。
日記などを続けるコツは、書くことがなかったら写真を貼ることだ。そうすると日記帳はどんどん埋まり、しかも厚みを増していく。人は進んでいると実感できると満足度があがる。続けようという意欲も増す。
手帳にワープを導入することは似たような心理的な効果がある。何日間か空白の日が続いたとしても、別の日に調子が良いときに、埋め戻せばいいのだ。そこが良い。
この方法の工夫というかコツを強いてもうひとつあげるとすれば、この方法が《覚えるため》の勉強法ではないという点だ。ただただ、少しずつ手帳の空白ページが減っていく。それだけを目指す写経のような心だ。
何かを勉強しようというとき、《勉強しなくちゃ》という事に頭のリソースを使ってはいけない。そういうことは最小限にして、目の前のテキストや問題に、短い時間でよいので集中する。たぶんいろいろな本に書いてあるコツと同じだ。サッと始める。
手帳を使うことは、「この日に何かを書くこと」だけが目標だから、本当にサッと始められる。1日分が埋まらなくても気にしない。わざわざそこは埋め戻さない。空白がところどころあるのも味というものだ。
この方法は『独学大全』に書かれていたいろいろな手法の応用かもしれない。たとえば《技法06:行動記録表》。《行動記録表》自体は純粋に自分が何にどれくらいの時間を使っているのかを記録する手法だが、手帳を使うことで、自動的に日単位のざっくりとしたものではあるが《行動記録表》と同じ効果が生まれる。
あるいは、日課を習慣の苗床にする《技法10:習慣レバレッジ》の応用ということもできる。《習慣レバレッジ》のポイントは、足がかりとして選んだ習慣の直前や直後に習慣化したい行動を行うというものだが、今回の工夫は「取りあえず手帳を拡げる」「取りあえず何かを書く」という「取りあえずさ」を足ががかりに使う方法だと言える。
あるいは《技法12:ラーニングログ》。実は《ラーニングログ》にはコクヨの野帳を節単位の進捗記録に使っているのだけれど、それよりももう少し細かい記録として手帳が機能する。《行動記録表》×《ラーニングログ》のようなものと言えばよいのかもしれない。
この編み出した方法が、「問題を解き進めていく」というタイプ以外の独学や学びに応用可能かどうかはわからない。とりあえずの成果は、少なくとも私にとって『数学読本』を進めるのには効くという、サンプル1の方法論だからだ。
でも、たぶん、この方法は汎用性がある。もちろん対象とする分野によって合う合わないがあるだろうし、対象によっても工夫が必要だと思う。
でも、それこそが、実は《創造的に自由に学ぶ》という贅沢で豊かな部分だとも思うのだ。
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