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歳時記を旅する 11 〔追儺〕

鬼役にほどよき痛さ追儺豆         土生 重次
                    (昭和六十三年作、『素足』)
 京都・壬生寺の節分会では、壬生狂言の『節分』を上演する。
 「節分の日、後家は豆を用意し、柊に鰯の頭を刺して門口につけ、やってきた厄払いに厄を払うまじないをさせる。厄払いが去ると、今度は蓑笠をつけた旅姿の鬼がやって来る。後家はこれに驚いて逃げ出す。そこで鬼は策略を練り、門口の鰯を食べ、魔法の「打出の小槌」で着物を出して変装して後家を呼び出す。
 鬼は後家にたくさんの着物を与え、共に酒宴を始めるが、酔いつぶれる。後家はつい欲が出て、鬼の小槌を奪い、着物まで剥ぎ、その正体を見て叫び声をあげる。鬼はその声に目を覚まし、何もかも取られたことに気付き、怒って後家につかみかかろうとするが、後家は鬼の嫌いな豆をまいて鬼を追い払う。」(『壬生狂言』壬生寺 編)
 句の鬼は、逃げ回りながらも、面に当たる豆の音に、厄が払われていることを実感しているのではなかろうか。

段々に声張り上げる鬼やらひ        佐野  聰
                      (平成八年作、『春日』)
 壬生狂言は、一般の能狂言とは異なり、全ての演者が仮面をつけ、一切せりふを用いずに、「カンデンデン カンデンデン…」と鉦と太鼓のリズムに乗って展開してゆく。
 人間の喜怒哀楽が身振り手振りで表され、せりふがない分、観ていると、想像が無限に広がって、心を掴まれる。
 句の鬼やらい、声を上げているのは鬼の方か豆打つ方か。鬼の声に負けじと豆打てば、自ずと声は大きくなる。

半月の落つこちさうだよ明日は春      磯村 光生
                      (平成五年作、『花扇』)
 この節分会では、参詣者が境内で炮烙(素焼きの丸い平たい鍋)を求め、願意を墨書して奉納する。この何千枚にもなる炮烙は、春の四月の壬生狂言「炮烙割」の中で舞台の手摺から豪快に落とし割られる。この炮烙が割られることによって、奉納者は厄除開運が得られるのだという。
この春の日永のパントマイムのような壬生念仏を、与謝蕪村は「永き日を云はで暮るるや壬生念佛」と詠んでいる。
半月のうち、満月に向かう上弦の月は夕方に、新月に向かう下弦の月は朝方に見える。句は、朝方に東の空に上がろうとする月だという。落っこちそうなくらい重たげに上がる月に、春を待ち焦がれる思いを重ねている。

 (俳句雑誌『風友』令和三年二月号 「風の軌跡―重次俳句の系譜―」)


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