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「布マスク二枚を笑うな!」と諭される側の気持ちを少しだけ代弁する

 何人かの友人が、Facebookでたくさんの人にシェアされている投稿に反応して、「マスク二枚を馬鹿にするのはいかがなものか」という違和感を発している。そういう調子を作り出してしまっているメディアへの批判も含めて、口汚く政府を罵しるのは止めようという呼びかけだ。

 正しいと思う。その通りだと思う。建設的だとも思う。
 一般論として。

 この投稿は、FBの投稿者を批判するつもりで書いたのではない。この方のような真摯な態度で社会を憂う、敬うべき人たちの意図が「もっと意味ある形で」人々の心にストンと落ちることを願って書いた。
 
 メディアは、出来事の部分を切り取って、肝心なところを伝えず、政府への批判を煽っている「ところも」あると思う。(毎日新聞の記者が麻生さんの「つまんねぇこと聞くなよ」を、「そこだけ」切り取ったやり方とか)。震災の時も散々見て来た。それを「マスゴミ」として終わりにする人たちも大量に見て来た。

 別に安倍政権は「和牛配布を決定」したわけじゃないし、政調部会でそういう話が出たくらいの話だ(そのズレ方も驚くべきことだが)。また、我が宰相は、布マスク二枚「だけ」を配ろうと決めたわけでもない。他にも細々とやらんとしている。
 だから、「和牛柄の布マスク二枚」とセットにしてチャかすこと「だけ」をしている人がいたら、それは個人的な深いため息だと思えばいいと思う。自分もそういうため息(要するに少々荒んだ心を表現する言葉)は出すし、時には軽薄だったり、愚痴のようなものにもなる。

 それを正当化するつもりもない。出ちゃった。すいませんだ。

 ただ、「政府の言うことをきちんとファクトとして捉え、伝え、そのもの自体を評価し、ねじ曲げたり、変な切り取り方をしないで、感謝をしよう」と呼びかけることは、それなりの工夫をしないと、また別の意味で、本来分断される必要のない心ある人たちの間に波風を立てる気もするのだ。

 昨日の出来事である。

 東京都世田谷区は、「4月は先生と児童の最初の出会いの大切な時期だから、(授業は5月末くらいにならないと見通しが立たないけど)少しでも”最初のクラス作り”(小学校教員はこれを最も重要だと考えている。意外に知られていないけど)のために分散登校をしてもらおう」という苦渋の決断を発信した。
 しかし、夕方になって突然東京都から垂直的な「止めろ」命令が来て、まさに絵に描いたような朝令暮改となった。
 
 でも私は、この決定、結末、挫折した施策の件を、決して嘲笑などするつもりはない。

 なぜならば、区長、教育委員会、校長会、区議会(政治的思惑が乱れ飛ぶのが人間世界だから、もちろんこれら全てのメンバーを同じには見ていないが)が、どのような議論と格闘と苦悩の後にこうした決定に至ったかを「ある程度の信頼と事実」を踏まえ、知っているからである。

 つまり、区の決定をバカになど絶対にしない理由は、世田谷ガヴァメントに対する「基本的信頼」が存在するからなのだ。
 PTA会長も今年で三年目だから、自治体や地域や学校でどういう人たちがどういう汗を流しているかを日々垣間見ているから、我が街の運営の仕方におおよその信頼を持っている(もちろん批判も山ほどある)。

 「和牛と布マスクをバカにするな」と諭す人は正しい。事態を大雑把に捉えてはアンフェアだからだ。

 しかし、それを聞いて少しだけゲンナリする人たちの心情も代弁したいのだ。こうなる。

 「オレ(あたし)たちは、もうこれまでに星の数ほどの嘘を、与党政治家につかれて、先人たちが汗を流し命をかけて守って来た政治や行政の正しい慣習や鉄則をズタズタにされて(公文書の改ざん!)、なおも彼らの不正と悪を司法は見て見ぬ振りをして(明らかな法令違反や刑事立件を手付けず放置!)、他国のリーダーたちの有能ぶり(ドイツのメルケル演説!)を見せつけられて、その上で、あんなことを言われているんだよ?わかるかい?二枚の布マスクは”政府一般の話”じゃないんだよ。オレたちの(情けないけど)”あの”政府のコメントと施策なんだ。嘘の限りをつかれ続けて、突然”ファクトだけをみるべし”って言われても、そのファクトを彼らにズタズタにされて来たという経緯があるんだよ。そういう川の流れの果てに今があって、それで”マスク二枚”と言われたんだ。その気持ちはわかってほしい」だ。

 繰り返す。

 メディアの報道をきちんと調べて「本当かな?」と正しく猜疑する努力も能力も必要だ。そして、できれば口汚く為政者を罵りたくはない。
 でも、それは「政府を基本的に信頼しているから、税金は取られるものではなく将来への社会のセーヴィング(貯蓄)ですね」と、国民の8割くらいの人たちが思っている北欧の国々(スウェーデン、ノルウェー、フィンランドとか)においてはちゃんと響くが、極東の島国ではまさに「異国の話」だ。

 政府「一般」の話なら、FBの投稿者の言う通りだ。
 でも「オレたちの政府」の話は別だ(実に切ないが)。
 どうして瞬時にそんなに人がよく、思いやり溢れ、グッと堪えて、正しいことが言えるのか?少々乱暴に言えば、「そりゃ正しいが、ちょっとは文句と悪口ぐらい言わせてよ」だ。

 もちろん文句を言って10秒すっきりした後の11秒後のことを淡々と考えねばならない。それがこの話の前提だ。

 しつこいが、私は基本的に信頼をしている、関係者のことをよく知っている世田谷区政について、「フラフラした朝令暮改だろ?」などと嘲笑うことは絶対にしない。

 しかし、この二枚の布マスクという個別政策(それがいくら前々から用意されたのであろうと、官房の”君側の奸”のカジュアル・アドヴァイスからの思いつきであろうと関係ない!)は、鼻で笑うしかないと確信するし、政府が持っているリソースの使い方を間違えている政策だと思うし、同時に、厚生労働省の課長クラスが過労死寸前になって頑張っている「フリーランス事業への個別所得補填の制度構築」はもっとアピールされるべきだとも思う。

 現政権が壊したものは、法やルールや慣習、そしてそれへの規範意識だけではない。「ギリギリ60点くらいの仕事はするはずだという基本的信頼」を粉々にしたことだ。その流れがあって「今」の話になっている。

 正当な世論には必ずセットで「付言」と「但書」をつけておかねばならないという、民主政治の慣習にしたがって、投稿した人に感謝をしながら、私はこれを書いた。

 もちろん、目的は「つまらない分断なんか、オレたちはされねぇからな」と宣言することだ。

 こういうことは、長期戦となる今後も必ず起こる。
 人々の「気持ち」も「ロジック」も両方とも丁寧に考えたい。
 心配が多いから、なかなかキツいのだけれど。

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