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「どうしたら不登校の子が学校に行けるか?」は、第一の問いでも課題でもない:政治学徒の視点

 NHKの映像ディレクター本人の家庭のドキュメンタリー『不登校がやってきた』が、パート1、2、3と続けて放映された。

 私は、教育学者でも教育社会学者でもないし、現場の教員だが、「資格なき教員である大学人」(教員免許不要)であるから、ティーンズたちの不登校をどう解決するべきか、という問いの立て方はしない。
 辛ければ行かないで、学級の空間を回避して、学びを続けられる場所を確保してあげればいいと思う。自分も中学入学以後、「学級」をひたすらストレスフルな場所として嫌ってきたからだ。

 職業は大学人なので、「大学には学級がないぞ。カモン!」と言えるだけだ。

 同時に、私は政治学徒なので、この数年急増している(コロナの影響も大きい)不登校の生徒たち(24万人)が、学校に「行かない」「行けない」という作為、不作為によって「どのようなメッセージを発しているのか?」を考えている(気になるのは、行きたくないのに無理している「苦」登校生徒たちのことだ)。

 私は、不登校生徒たちのメッセージが、「小さく弱い個々の人間たちが協働して社会を維持していくための条件」とどう関わっているのか、という「民主政治の社会的基盤」を考える素材として、この問題を捉えている。

 この3回シリーズは、どうしても「不登校の子どもたちの前で立ち尽くす親たちの不安」というところにフォーカスが当たってしまうから(その気持ちも想像できる。まわりにそういうケースが複数あるからだ)、知らず知らずのうちに「どうしたら学校に戻せるか?」という思考の慣性に引っ張られる。

 だから一回言い切る(暫定的に)。
 「人には”学校なんか行きたくねぇよ”と思う時が訪れる」と。

 それは「子供自身や親の育て方の問題」ではなく、「そういう現象が眼前にある」ということだ。


 人間の劣化などという問題ではない。子供に問題はない。
 「そこで起こっているできごと」だ。

 全3回のうち、あらためて痛感したことが二つ。

 第一に、「子どもの声を聴く」などということは本当に困難であって、1965年から文科省がやってきた「不登校の理由調査」は「教育委員会の認識レポート」に過ぎず、「ちゃんと子どもの声など聴けていない」ということだ。そして、自分にもその自信がない。常に失敗する。
 不登校の子どもがインタビュー(第二回)の後、「わかった気にならないでほしい」とディレクターに述べたことは、すべての大人が忘れずにいたいことだ。

 第二に、「どうしてかくも苦悩する先生たちが、”どうしたら変えられるのか?”という問いに、口ごもり、遠慮し始め、急に自由にものが言えなくなるのか?」といういつもの風景が指し示すことだ。
 
 一連の事態が私に送っているメッセージとは、「どうして教育の現場において、子どもも先生もこんなに自由にものが言えない世界になってしまっているのか?」という、民主主義社会の基礎部分の綻びにともなう悲痛な声だ。

 簡単に言い直そう。

 教員も生徒も「選択肢がない」、「やるかやらないかの一択しかない」、「自分の頭で考えるという作り込みがされていない」という空間で、民主主義の基盤が壊れてしまっているということだ。こんなシステムで育った人間たちが、どうやって独裁の暴走を止めたり、偉大なる人々を地域で発見して応援することができるのか?(若者の政治離れ?笑止千万である)

 私は政治学徒だから、そう考える。そういう視角でとらえる。

 「本当の学びとは何か?」という本質問題も、「子どもがどうしたら安全・安心して、複数の選択肢から自分の学びの堪能の場を選べるのか?」という「社会基盤」の話の次にくるのだ(もちろん、これら二つの問いのベクトルは、エクスチェンジャブルではある)。

 「学校なんて行かなくていい」と簡単に言わないでほしい、と当事者は言うだろう。もちろん簡単には言えない。
 しかし、恐怖と絶望と身体的悲鳴をおして無理して学校に行かされた子どもたちの中には、年間五百人を超える自裁ティーンズが含まれている。それは放置できないから、言う。
 「生きよ。そのための邪魔になるなら学校なんて行かなくていい」と。

 全ての人間が、この社会で教育を受けてきたから、全員が一言物申すことがあるだろう。

 私は、1967年に保育園に入園してから、56年も「学校的なる場所」で生きてきた。そういう歴史を背負った者として、たくさんの失敗をしてきた者として、こんなふうに考えている。

 不登校のティーンズたちは、「150年やってきたシステムはもう使えないよ」と言っている。私はそう受け取っている。

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