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「派閥解散」宣言の馬鹿馬鹿しさ:何の進歩もない政治家とメディア


<何の進歩もない「派閥解消」とその報道>
 自民党安倍派のマネー処理に端を発して、政権党全体に検察の手が入り、令和の一大問題となり、これは政局になるかと思いきや、検察は各派閥の会計責任者を数名起訴して、お茶を濁す結果となりつつある。
 そして、数千万円、数億円の政治資金のキックバックの報を受け、通常は怒りの沸点の高い日本の有権者の中には、「増税を押し付けてくる連中がこれですか?」と憤激している人も急増しているだろう。
 もはや支持率的には墜落寸前の低空飛行を続ける岸田内閣は、こともあろうにこんな事態を前に、旧態依然の弥縫声明を出した。

 派閥は解散する、と。

 馬鹿馬鹿しい。


 この数十年、日本の政治では「政治とカネ」という「A&B」という何の意味もない、「何かヤバいものを示唆する」だけの、ジャーナリズムの怠惰な見出しが、その時の政権の綻びが現れた時だけ掲げられ、「それの一体何が問題なのか?」について、ついぞ一度も議論が詰められた事がない。
 そして、あいも変わらず全く同じパターンで「派閥解消」と、有権者を完全に馬鹿にしたコメントを政治家がして、それをそのまま伝えるという「子どもの使い」のようなジャーナリズムのていたらくぶりだ。

<問題は派閥にあるのではない:ザル法の水漏れを止めよ>
 最初に言っておこう。
 派閥など解消できるはずもないし、解消したり解散したことなどない。

 そして、それは自民党という政党の中の話にとどまらず、日本のあらゆる社会集団に共通することだ。

 派閥があるから出鱈目な金のやり取りになっているのではない。
 金の処理の仕方について取り決めた法律がザル法で、政治の「何に」使われるのかがわからない金が、税制のフィルターを通ることなく、蓄財できるというシステムと法の欠陥が原因なのだ。

 金の動きをルール通りにきちんと総務省に届けるという「記載義務」を怠ったことは、法に反する。だからそれは責任が問われる。
 しかし、いわゆる「キックバック」という、怪しげな行為を連想させる金の処理自体は、現行法では許されているのである。だから、「検察は仕事をしろ!」と怒りの声が交差していても、司法は「現行法に照らして」判断する以外に仕事のしようがないのだ。

  故安倍晋三の覚えめでたかった、諸々の案件を起訴せず放置した検事たちへのSNSでの罵詈雑言は読むに堪えない。気持ちはわかるが、彼らの仕事の枠組みからすれば、不起訴になるのも致し方がない面があるのだ。

 だから、するべきは現行の政治資金規正法等を改正して、お金の出入りと用途をより透明にすること、政治資金が次世代へと相続される時にはきちんんと税のフィルターを経て処理がなされるというルールを強化することだ。
 例えば、日本の政治がどうして二世、三世議員跋扈の「家業」となるのか?その理由はいくつもあるが、そのうちの最大のものの一つが「政治資金団体に残したお金を、後を継いだ息子が相続税など払わずにそのまま手に入れることができる」ということだ。

<派閥は無くせないし、無くしたら政策の錬磨ができない>
 かつて田中角栄元首相が構築した派閥は、「田中軍団」と称され、まさに「日本の議会の過半数→そのための自民党内の過半数→田中派を衆参両院の自民党議員の半分以上にする」というシンプルなやり方で、己の「中央ー地方格差を解消する公共事業政治」に邁進する拠点となった。そこには、明確なビジョンと野党の政権参加の意思の無さを見込んだ「擬似社会民主主義(国民所得の地方への再分配)」という政策があった。
 しかし、それを進めるための党内多数派工作資金を無理して作ったため、政治不信、金権政治批判を浴びて失脚し、その後の党内闘争にも敗れて、病に伏せることになった。爾後、竹下登に派閥を乗っ取られた。
 この印象から「派閥」という言葉には、暗く厳しく汚い「政治闘争」であるとか、暗躍する権力ゲームのプレーヤーの奇々怪々なる姿が重なり合い、政治腐敗の諸悪の根源であるとされたのである。

 しかし、400人も議員を抱える政権党が、一枚岩で寸分違わぬ政策志向性を持っているはずがないのは、普通に生活する人間の常識で判断すれば簡単にわかることだ。私が関わっているNPOの運営ですら、その方向性、手法など、ぼんやりカウントしても三種類くらいのグループがあるかもしれない。

 それを「派閥」と言えば汚く、「政策競合グループ」と呼べばどうなるか?

 それは、右から左まで多様な政策方向性を持った政党における、エネルギーをもって競争する「人もお金もアイデアも票も集まるアクティブな政治家の集団」となる。そして、本来そういう健全な競争があってこそ、議会構成の多様性と同時に、政権政党内の自浄作用や政策推進力を生み出す「党内の多様性」が担保されるのである。異論を唱えるだけで除名される恐怖政治をやり続ける政党には無縁の話だ。

<もう「派閥解消」論のようなレベルから離脱しよう>
 現状は、そうあるべき政治集団が、ひたすら多集団競合を「総裁人事」や「政府・党内ポスト獲得」のためだけに行い、かつそうした内向きな政治活動のための資金の分配のゲームの拠点に成り下がっている。

 総理大臣を輩出するために集団が徒党を組んで競争することは、悪いことではない。
 そのために活き活きとした活動が必要なら、金は必要だから、法の枠内で政治資金を集めるために協力関係をもって行動することも、悪きことではない。

 しかし、そのための金集めと差配と、次世代へのバトンタッチのためにする金の処理の仕方がのルールが「あまりに好き勝手に出鱈目ができる」ものとなっており、そのためにこの事態を招いているのだ。

 だから、繰り返し指摘する。
 派閥が悪いのではない。金を扱うためのルールがダメなのだ。

 賢明な有権者は、首相の「効かないデオドラント効果」のための「派閥解消」発言や宣言など、三十年も使い古された「子供騙し」だと断罪して、本当には何をしなければならないかをもう一度確認する必要がある。

 自民党を除くあらゆる政党には、フォーマル、インフォーマルを含めて、大中小の派閥がある。それが人間の社会であるし、それを派閥と呼べば派閥になるというだけの話だ。昔は「徒党」と言ったのだ。

  もう、こういうレベルで政治を考えるのはそろそろやめませんか?
 「問題は派閥ではない。法の改正である」と、野党は毅然と主張するために街に出よ。

  私にでも言えるようなことを、君たちが言わなくてどうするのか?

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