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「何がこの作品で問われたのかが放置されること」が最大の危機である〜半世紀ぶりの再読『はだしのゲン』をめぐる所感〜

 『はだしのゲン』(中沢啓治作)を50年ぶりに再読してみた。

 平和教育に関する論点が拡散し、かつ曖昧となり、何が本当に問題なのかが共有されづらくなってきていると感じたからである。

 小学生だった頃、少年漫画雑誌にひょんと現れた『はだしのゲン』の衝撃は、半世紀を経た今も忘れることができない。父親が収集していた戦時中の記録・写真・資料を時々眺めていた早熟な自分であったが、それでもこの漫画は「キツい」ものだった。悪夢にうなされたこともあった。

 今年の冬、広島県教育委員会が、小3の平和教育のために資料に引用をしてきた、この漫画を差し替えたと報じられた時、「被爆地広島までこんな事態に・・・」と、ある種の危機感を持った人もいただろう。つまり、「平和教育の象徴だったゲンが忘れ去られる→軍国主義の復活(平和の危機)」、という連想ロジックである。
 ※今回のこの作品の取り扱いをめぐる変更は、「平和教育用の教材資料引用」であり、かつて醜悪な行政の忖度によって展開した「図書館から『はだしのゲン』を排除せよ」と暴走した事件(山陰地方のたったひとりのクレーマーの繰り返される電話を自治体が過剰に受け止め、それが全国の自治体にも部分波及して、現代の「焚書」的事態となったこと)とは、やや性格が異なる。ここでは「平和教育の素材として」というところにフォーカスを当てて考えを述べる。もちろん現代の焚書など、あってはならないことだ。

 戦争体験は古今東西必ず「風化」するから、それをどうやって継承させていくかは永遠の課題だ。だから「ゲンが外された」→「平和の危機」という膝蓋腱反射を相変わらず示して見せるだけでは、嘆きとともにまた少し戦争体験は独自に、自然に風化することだろう。

 そんなことを思いながら、50年ぶりにこの作品を熟読してみた。

 当時は、被爆地広島の惨状を描いたグロテスクな画調に恐怖と悲しみの突風を受けて、心が苦しくなった時もあった。しかし、この作品はその悲惨な被爆地のヴィジュアル的現状をひたすら写し伝えることだけが目的ではなかったことを、あらためて確認した。

 「あれほどの苦しみを受けた人たち」と「さほどの影響がなかった人たち」との分断、被爆者への「広島の人たちの無理解」と「弱者を顧みることのないエゴイズム」、政治権力が転換しても、何ら信念を持つことなく無意識に「転向」する社会的中間団体のリーダーたち、大樹に寄りかかり、事大主義と生活保護主義の中で何の反省もない「普通の人たち」への失望と怒り、「いつ病気になるかと怯えながら生きる人間の苦しみへの無理解」に対する絶望などが、あらゆるエピソードの下敷きの文法となっている。

 そして、昭和天皇は亡くなり、平成上皇は退位し、令和今上天皇の時代に、この作品が平和「教育」にどのくらい有効であるかについては、あらためて議論が必要であることを痛感した。
 「ファクトをきちんと示せば時空を超えて子供たちはそこから平和の尊さと民主政治の偉業を理解するものだ」と決めつける怠惰を回避せねばならないからだ。伝わらなければ、伝える側がその結果責任と向かい合わねばならない。つまり、平和教育とは政治行為である。道徳に還元されてはならない(もちろん道義的信念のない政治行為は論外である)

 我が中二の息子は、小四の時に参加した沖縄離島キャンプの初日に、フェリーが欠航になった時に見せられた『この世界の片隅で』ですら「見ていてキツかった。トラウマになった。もう2度と悲惨なシーンは見たくない」と絞り出すように思い出していた。なるほど、戦争体験が風化するワン・シーンだと確認した。もちろん「見せた側」には悪意の欠片もない。

 作品の中で、あらためて当時との温度差を感じたのは、著者中沢啓治の持つ「昭和天皇への憤り」である。「一身にして二世を生きた」(戦前と戦後)天皇裕仁の、あの戦争にたいするおとしまえの付け方は、塗炭の苦しみを受けた作者本人からすれば、到底許されるやり方ではない。
 それゆえ作中のゲンやその他のキャラクターの口をして、天皇の無責任ぶりに対して、徹底的な非難と糾弾の呪いを語らしめている。
 昭和天皇の「責任」については、戦後78年を経ても論じ尽くされたわけでもなく、もはやそれは過去の問題だとする根拠もない。GHQの民生部のサジェスチョンによって全国を巡行し、人々に直接「あっそう。学校の本はあるの?そう」と、不器用かつ誠実に語りかける天皇の数年にわたる「禊」が、この議論を不要とさせるわけでもない。

 しかし、昭和天皇の責任をどう考え、ああならざるを得なかった背景や統治構造をどう説明し、その教訓の何をハートに刻みつければ、今を生きる人々の幸福と未来の平和を担保するかについては、「ゲンをとにかく読ませておかねば」というやりかた「だけ」でいいと言うわけでないのである。
 息子はその後、全巻揃えて「ゲン買っといたぞ」と知らせた私に、「読みたくなったら、読んでみようと思う」と静観し、10歳の時に受けた「キツかった」という気持ちを払拭させてはいない。今年の夏に広島旅行をした後ですら、まだそういう精神状態である。
 平和教育問題とは、道義の問題(「人として『はだしのゲン』くらい読まなくてどうする!」と杜撰に扱うこと)ではない。今を生きる、未来を作るものたちのハートを開かせるやり方を、懸命に考えねばならないという、すぐれて「政治的」な課題なのだ。

 かつて鶴見俊輔らが残した壮大なる「転向研究」や、生き残った海軍エリートによる「反省会」の記録をまとめた戸高一成の仕事、原爆という人倫に反する、慣習法としての「国際人道法」に明白に違反する行為に全く触れない極東軍事裁判という政治的糾弾など、この『はだしのゲン』で描かれていた大切な問題をあらためて「今を生きる人たちのために切り分けて、和文和訳して、我らの日常との連続性を身体化させることのできるやり方」で、平和教育、民主主義教育はなされねばならない。

 今回の広島県教育委員会の決定は、そうしたやり方をする教育技法も、センスも、知見も、知的環境も、我々が準備できなかったことを示している。その原因の何割かは、教員教育の不十分さ、何割かは怪しげな政治的意図、そして何割かは「戦後」の意味の転換という不可避的な条件であったろう。
 だから、今回の決定を、こうしたところを潜らずに素朴に「戦前回帰」として終わらせてしまうべきではない(もちろん戦前的状況に回帰しているのでは、と思いたくなるような事態も散見されてはいる)。
 我々の前には「国内310万人(併合された朝鮮半島の人たちも含む)、推定で1500万人とも言われるアジアの戦争犠牲者たちの死を無駄にしないためにも、我々は問いの立て方を丁寧にもう一度確認するべきだと思う。

 『はだしのゲン』が平和教育の素材としては比重を下げてしまった理由を、「平和の危機であり戦前回帰への兆候である」として片付けるのではなく、中沢啓治があの作品で叫び続けたことを、「今を生き、未来を作る人たちにどうやって身体化させることができるのか?」という問いである。

 この所感を通じ、かつて読んだこの作品を今一度読み直し、「ここにあることをどうしたら心を開かせながら次世代に伝えられるのかをともに考えましょう」とお伝えする次第である。
 

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