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借金発覚 第23話「カチカチカチカチ、価値、提案」

0〜22話までのあらすじ

五十二歳で大手生保を早期退職した父は、退職金を元手に怪しい投資ビジネスを開始するが、一年も経たないうちに退職金は蒸発。一家は貧乏暮らしに転落。それから十八年後のある日、父の隠していた借金が発覚し、兄弟たちで大騒ぎになるが、「もうすぐ大金が入るから」と父は自己破産を拒否。そんな中、十四年間失踪していた三男が見つかり、三男は母との再会を果たす。その折、次男は実家で父の怪しい投資ビジネスの書類を押収し、詐欺色の強い書類の山に呆れ返る。一方、次男は第一回目の話し合い以降、距離を置こうとする長男に不満を持つのだが・・

主な登場人物

父・・・大手生保の営業マンだったが、五十二歳で早期退職。
母・・・農家出身で看護師。メンタルが弱い。
長男・・・五人兄弟の長子。既婚。地方都市に住む。
次男・・・五人兄弟の二番目。既婚。本書の主人公。
長女・・・五人兄弟の三番目。既婚。
三男・・・五人兄弟の四番目。独身の一人暮らし。
次女・・・五人兄弟の五番目。独身。父母と唯一同居。

長男の事情

長男から電話が入ったのは、翌日の夜中だった。
「もしもし、悪いね夜中に」
「いや、どうしたの」
実はな、今俺が働いている事業所、閉鎖することになってな
「ええっ!? いつ分かったの?」
「こないだ出張中にTさんを紹介したの覚えてるだろ。あの時に上司から言われた」
そうだったのか。僕は長男を傍観者と裁いていたことを後悔した

「で、どんなオプションがあるの?」
「今のオプションは三つだな。最初の選択肢は大阪に転勤すること。ここの事業所は閉じて、大阪の事務所と合併するんだよ。だから、会社は大阪に行ってくれ、と言ってる」
「行ってくれって、家族はどうするの?」
「子供たちの学校のこと考えると、家族で引っ越しは無理だな。つまり、単身赴任ってことになる。会社からの説明だと、最低三年くらい大阪にいて、その後は東京にポジションを見つけられるかもしれないってことだった。だけど、単身赴任だと家賃が別でかかるだろう。俺の会社、単身赴任者向けの手当とか、特にないんだよ。一応上司は確約ではできないけど、事務所を引き払って浮いた費用の一部を回せるかもしれない、とは言っているけど、どうなるかまだ分からん」

「次のオプションは転職?」
「そう。次のオプションは、今の会社を辞めて、このエリアで転職活動する。もう家もここに買っちゃったしな。だけど、このオプションは今まで積み上げてきたキャリアのことを考えると、とても現実的とは思えない」
長男の働いている業界はいささか特殊で、今の地域で転職活動するということは、全くの別業種に転職することを意味している。長男がそう思うのも無理はない。

「最後のオプションは、東京に出てきて転職する」
確かに、市場規模を考えると、東京エリアの方が転職の可能性は広がる。

「でもさ、東京で転職したとしても単身赴任は変わらないんでしょ?」
「学校の状況は変わらないからな。今まで、散々俺の転勤や転職に合わせて引っ越しを繰り返して、その度に子供たちの人間関係をぶち壊してきたから、もう同じ様な思いはさせたくないんだよ」
長男の説明だと、少なくとも下の子が高校生に上がるタイミングまでは、家族は今のエリアに住まわせてあげたい、とのことだった。

「ただな、単身赴任が全部悪いわけでもなくて、ほら、うちの長女が引き篭りなの知ってるだろ? 引き篭もっている一つの理由は、友達に会いたくないらしいんだ。だから単身赴任するんだったら、あいつだけ連れて行くことも考えてみようと思ってる。環境が変われば、外に出やすくなるのかもしれないし」
高校一年生になる長男の長女が引き篭もっているという話は、今年に入ってから長男から少しだけ聞いていた。今長女は、通信制の高校に通学しているので、どこに住んでいようとあまり関係はなかった。

「長男はもうすぐ受験生だっけ?」
「今高校二年生で、来年受験生になる。大学に進学する予定だから、俺が大阪に行くなら大阪の大学、東京に行くなら東京の大学を受験してもらうかと思ってる」

「しかしなあ、いずれにせよ、閉鎖された後に迷惑をかけるお客さん、契約を打ち切られる派遣スタッフ、転勤せざるを得ない部下。バラバラになる家族。正直精神的に参ってるよ。今出張先なんだけど、一人で悶々と考えてたら行き詰まちゃってな。それで今日電話したんだ」
「なるほどね・・」
「ただね、もし東京で単身赴任するなら、実家に住めないかと思ってるんだ。最低限度の荷物さえあればいい訳だし。で、それがもしかすると今回の問題の解決の助けになるかもしれない」

カチカチカチカチ、価値、提案

家族について話すのではなく、家族と話す。確かに、兄弟の中心たる長男が一定期間でも同居してくれたら、両親と話す機会は飛躍的に増えるだろう。
「俺な、今度の話し合いで父ちゃんとどう話すべきか色々考えてるんだけど、やっぱり共感が鍵なんじゃないかと思うんだ。お前もよく分かっていると思うけど、父ちゃんの価値観や考え方は俺たちとかなり乖離していると思う。

誰かと話をするときに、同じ価値観を共有できるなら、その人と向き合えばいい。でも、違う価値観を持った人と話すときには、向き合うんじゃなくて、『寄り添ってあげる』ことが大切だと思うんだよな。今の職場でもよく言うんだけど、カチカチカチカチ、価値、提案って。相手に寄り添って、価値観を十分共有した後で、初めて相手に提案できるってこと」

「父ちゃんの価値観に寄り添うか・・僕には難しいな」
「お前も色々苦労してきたからな」
長男が言ってくれたこの言葉で、僕は随分救われた様な気がした。しかし、長男と長男の家族には人生がもたらす試練の嵐が吹き荒れようとしている。こんな時に、父のお金の問題で長男を引きずり回してしまうことに、本当に申し訳ないと思った。

24話につづく

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