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ゲームに熱中できなくなった話

小学生のとき、僕の家にも香川県の条例のような"ゲームは1日1時間"のルールがあった。
"木曜はゲーム禁止の日"というルールと共に、母によって作られた。

母は僕達兄弟がゲームをしてる姿を見るのが大嫌いだった。
僕達の毎日の楽しみは、一緒にスマブラで遊ぶことだったのだが、当時テレビはリビングりある1台だけで、そのため夕飯づくりをしている母の前でしかゲームが出来なかった。
ルールが出来る前は僕たちがゲームを始めるとすぐに機嫌が悪くなり、常に小言を言ってゲームを止めさせようとしてきた。
だからなのか、ある日勝手に謎のルールが誕生し、それ以降は僕たちがゲームを始めても程度落ち着いたのだが、やはり約束の1時間が近づくにつれ高圧的な物言いで"早く止めろ"と僕達を急かしてきた。
勝手に作られたルールとはいえ、母のイライラしている態度は怖かったので、普段は嫌々ながらもルールに従っていた。ただ、ある日ステージ攻略に夢中で、"すぐセーブして終わるから!"と言い訳をして無視しして続けていると、「もうすぐボスを倒せる!」と思った矢先、ついに堪忍袋の緒が切れた母が64のコンセントを無理矢理引っこ抜き、強制的にゲームの電源を落とされた。
1時間半かけて頑張った今日のデータは水の泡になり、それ以降は決してルールを破ることなく、常に母の顔色を伺ってゲームをするようになった。

そんなゲーム嫌いな家庭だったので、クリスマスにゲームをお願いしても届くはずもなく、毎年朝枕元にあったのは毎年レゴのブロック。
田舎で車がないとゲームショップにも行けなかったので、お年玉をいくら貰ってもゲームを買うことはできなかった。
唯一、誕生日だけは買ってもらうことができたので、兄と合わせて年に2本のみ。
セーブの必要がない対戦系のゲームや、母の目から隠れてできる携帯ゲームを選んで買ってもらう事が多く、スマブラやカービィのエアライド、ポケモン等を兄と一緒に遊んでいたのが当時の思い出だ。
コンセントを抜かれたムジュラの仮面は、大人になってようやくクリアできた。

小学生の頃はそんな環境でさえ、ゲームが大好きだった。学校から帰ると早々に宿題を終え、兄と一緒にゲームで遊ぶ。
友達を呼べば1時間を越えても母に文句を言われずに遊べたので、頻繁に友達を招待しては、皆で遊んでいた。
何度か転校を経験したが、その度にゲームのおかげで友達ができた。
地域のクラブ活動でバレーやサッカーをしていたが、やっぱり当時の1番の楽しみはゲームだった。
ただ、そんなゲーム熱も中学校に上がると冷めてしまった。

僕が中学校に上がるタイミングで、田舎から街へ引っ越し、また月々ある程度の小遣いや自分の部屋も与えられ、行動範囲・金銭的にも自由も得た。
まだテレビは1家に台だったが、母親からの干渉も小学生の頃より遥かに緩くなり、ようやく思う存分ゲームに浸れる環境を手に入れた。
兄は、小学生の反動かのように、ゲームにハマっていた。
ただ、僕はゲームにハマるよりどころか、寧ろゲームから離れていった。
思春期が近づいてきたこともあり、兄と一緒に遊ぶことも少なくなり、また部活や塾で忙しくなってきたこともあり、ゲームが出来る時間が無くなったということもあったが、ゲームをしていても楽しいと思えなくなっていった。
発売日を楽しみにし、勝ち負けで一喜一憂、何度も兄弟喧嘩のきっかけにもなるほど熱心にプレイしていたゲームが、ただ攻略サイトを見ながらプレイする"作業"に変わってしまった。
"失敗しない、無駄なことをしない"、そんなことばかりを考えてプレイするようになってしまった。
ストーリーのネタバレを積極的に仕入れ、何が起こるか知った上でプレイする。
やり込み要素はハナから挑ます、追加コンテンツは課金しない。
驚きやワクワク、達成感のない、ただ作業をこなすような遊び方しかできなくなり、次第にゲームをする楽しみがどんどん薄れてしまった。
そして気付けば、引き出しからゲームを取り出さなくなってしまった。

ゲームに熱中しなくなった代わりに、別の何かに熱中するようになった...ということもなく、むしろ"何かに熱中する"といった行為が出来なくなっていった。
中学高校と、勉強も部活もやってはいたが、熱を持って取り組んでいた訳ではなかった。
勉強も部活もソコソコで、ちゃんとした結果を出すこともなく、熱心な思い入れもなかった。
学生を卒業して、社会人になってもそれは変わらない。
”男は仕事にハマるもの、社会人になれば自然と仕事に一生懸命になる”、なんて思っていたが、実際仕事を始めてみると、別にハマる事もなく、ただなんとなく続けている毎日。
家に帰っても趣味に没頭することも、何かスキルを身に着けるわけでもなく、ただただYouTubeを見て過ぎていく毎日。学生時代の方がよっぽど忙しかった。
仕事も趣味も、勉強も部活も、今までの人生で、何か思い入れを持ってやってきたほとんんど記憶がない。
振り返ると、人生で一番熱中したことが、小学生の時のゲームしか思い当たらない。
こんなにも自分は熱中することがない人生だったのか。
だから今、周りで何かに熱中してる奴が心の底から妬ましい。

熱中したヤツが成功する。
今まで生きてきて、僕なりに感じる成功の秘訣。
皆好きで熱中している奴には敵わない。
そうゆう奴が、知らないうちに極め、周りから称賛されるようになる、成功する。
仕事も趣味も、勉強も部活も、僕の周りの成功してる奴は皆そうだった。
苦労してる様子を感じない。
本人たちにとっては楽しいこと、それをやり続けていいたら、気付けば周りが変わっていた。
そんな奴らばっかだった。
僕はそうは成れない。

今僕は、何かを始めるときに意味を求めてしまう。
これをしたら何に繋がるのか。
プロになれるのか、お金に繋がるのか、無駄なお金を使わないか、意味のない時間を過ごさないか、皆から尊敬されるのか。
そして、周りの目が気になる。
自分だけの世界に浸る、周りの見えてないイタい奴にはなりたくない。
一般人から理解されないようなオタクにはなりたくない。
ただ何かを始めるだけなのに、そんな風なネガティブな感情が心の中を支配してしまい、最初の一歩を踏み出すハードルを上げてしまう。

そして、"初心者"であることが許せなかった。
”僕はもっと上手にできる、かっこよく出来る、センス良くできる”
迷惑をかけているとも気付かない初心者、自分は出来ていると勘違いし、自己満足に浸る初心者。
そんな風にはなりたくない。
周りから疎まれる視線を浴びたくなかった。
気付けば、何もはじめられない人間になっていた。
何にもは熱中できなくなってしまった。
成功者にはなれなくなってしまった。

今、小学生のあの時に、もっとゲームに熱中出来たらなって後悔してる。
母親の顔色を伺わず、もっとゲームに集中できる環境があったらよかったのにって悔やんでしまう。
あの時自由に過ごせてたら、今こんなに周りの目を気にしなくても何かを始めれたかもしれないのにって思ってしまう。

きっと後付け、きっと都合のいい言い訳。
でも、もし僕が親になれたなら、もし当時の自分の会えるのなら、思いっきりゲームをさせてあげたい。
熱中して取り組んでる事の邪魔をしたくない、熱中していることをきちんと肯定してあげたい。親の顔色を伺わなくてもいい子供にしてあげたい。
そんな風に過ごせたら…

今、再びゲームをするようになった。
PS4を買って、APEX始めた
でもやっぱり周りを気にする。
このゲームは僕がハマってていいゲームなのかな、27歳の自分が楽しんでいいゲームなのかって、くだらないこと考えてしまう。
大人になんかなってないのに、年齢で勝手に自分の事を大人だと思ってしまう。
誰も見てないのに、どう見られるかを頭の片隅でいつも考えてしまう。
めんどくさい。

あの時のように無邪気にゲームに熱中したいだけなのに。


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