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熊本地震と私 ⑶

2016年4月16日からスタートした避難所生活。

県外に実家のある私がなぜ熊本に残る決断をしたのか。
それはきっと実家に戻ったらやるせない気持ちに苛まれることが容易に想像できたからだ。
一年間過ごしてきた熊本に残って避難所運営しながら生活するほうがよっぽどその時の私は健全だと感じていたからだった。
(しかし、今思えばその安直な決断が震災後の私の心を蝕んでいくとも知らずに)

避難所運営にあたって最初にしたのは必要な物資の運搬や、用途別の区画分け。
一番丈夫だということで、中高の立体駐輪場が避難所になった。入り口には受付を、その近くには当初は物資スペースが設置された。

受付には名簿を準備し、氏名等を記してもらい、1Fと2Fが寝床スペースになった。
各々が自宅から寝具を持ち寄り、固いコンクリートの上で休むことしかできなかったが、校舎内より倒壊の危険性が低い為、皆そこで就寝した。一番多い時でたしか100名以上が避難所にいたはずで、それがこの日だったというのをうっすら記憶している。

日が明けて17日、その夜は雨風の予報が出ていた為、午前中に避難所の周りをブルーシートで囲う作業をした。サークルで繋がりのあった近隣大学の先輩も駆けつけてくれ、とても心強く感じた。
本当はこの日、イベントの打ち合わせで静岡に行く予定だった。でも、そうもいかず前震後にキャンセルした。一緒にイベントをする仲間からは励ましのメッセージが届き、まだ直接会ったことなかったけれどこれもまた心強かった。

そして、天候が危ぶまれる夜になった。
案の定雨風が酷く、ブルーシートでは防ぎきれないほど結構な荒れ具合だった。
さすがにそこで眠れるわけもなく、中学校の校舎に皆揃って避難した。

ある程度年季の入った校舎内は揺れると少し怖いのだけど、そこで寝る以外なかった。

翌日からは今後の天候も鑑みて、寝床と物資置き場を校舎へと移動した。
今までフル活用していた駐輪場は、その日から受付や食堂(+調理場)、憩いの場としての機能を果たしていくことになる。


⑷ へ続く

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