見出し画像

12月22日 日記「憧れのその遠さ」

金曜日。アラームをかけずに、妹の行ってきまーすで目が覚める。

そらスコンと西加奈子の「i」を読む。その後五キロ割と真剣に走る。母とご飯を食べたのち、大学の図書館でいくつか文芸誌を読み、2022年秋号の「文藝」で金原ひとみが責任編集を務めていたのを知り、資料室でそれを探す。初めて中に入ったが、これまでの多くの雑誌が多分創刊号から全部、なんだか仰々しいブックカバーに入れられ保管されているその光景に圧倒される。目当ての「文藝」を読みながら、この後の高校のクラス会がやや憂鬱になる。自分は今ものすごく人に会いたいけれど、なんかすごい場を盛り上げるみたいな感じではなく、自分のヴァイブスと人のヴァイブスがなかなか嚙み合わず、結局早く帰りたくなってしまうことも多かったりね。

二月に控えた出版社の就職試験にあたって、できるだけ文芸誌や週刊誌や、全然読んでこなかった新書とか、小説とか、っていうか基本、本を読んでこなかった自分からすると、出版社で働くにあたって、読書量が圧倒的に足りていない気がし、つまりそれは自分の好き度が不足していることを意味するような気もし、だからこんなに辛いんだろうと思う。勿論、好きだからいいってもんじゃないのは重々承知で、でもモノを作ってそれを人に届けようって仕事のベースにはそれに対する愛情が無きゃお話にならないのはおそらく自明で、つまるところ、自分は本に救われたという経験を演出なしに語ることができず、出版社を受けることの大義名分のようなものを見つけることができないまま、できる限りの量のインプットをして、粘土をぐにゃぐにゃとこねるように志望理由を仕立てようとしているのであーる。

おそらく一番誠実に向き合っている人間は自分というくらいの、自己愛に満ちた、こと己の行く末には真面目な性分上、まあそこそこ熱心に就活に励んできたわけだが、苦戦しながらも、まあ割になるようになるなぁみたいな余裕を持てるぐらいな風には、今のところ、とりあえず今のところはなっていて、それにつけての大本命の出版の就活がこれほど不安かつ弱気であるのは、本にまつわるあれこれは、自分の好きなことではなく、憧れていることだからなのだろう。かのBREACHの藍染惣右介がいつか言っていたように、「憧れは理解から最も遠い感情」なのである。我々は、その対象をとらえきれないから憧れるのであり、ある一面を、しかも場合によっては最も重要な一面を知らないからこそ憧れるのであり、その理解のし難さ、自分のキャパを圧倒的に超えたその巨大物に身を投ずことに興奮を覚えているのである。だからなのだ。憧れと比肩することは何時だって叶わないのだ、と思うが基本的に、まあほとんど史上最大の推し活みたいなもんで、もうどうとだってなればいいんだけど、それにしてもまあ、この遠さが辛い、知らないことが一番辛い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?