シェア
ホンモノ?/エセモノ?としてのエピソードをまたご紹介します。 これでもまだ信じられる方はもう信じ続けるしかないと思います(汗)。 残念ながら現在はもう先祖探索はやってません。もしできるというのなら、今からでもやってみてくださいとお願いしたいところですが、「やれます」と言わないのも分かっています。 サニワメソッドの支持者は沢山いらっしゃいますし、信仰の自由がありますから、究極的にどうこうしようという権利も資格も私にはありません。エセスピを撲滅するヒーロー像が見えるのならそれは
自分でもよく分からないものを書くことになりました(笑)。これも与えられたお役目に違いありません。S層によるプログラミングといってもいいでしょう。人事を尽くして天命を待つ。昔から好きな言葉です。 ★人それぞれのお役目がありますが、一旦視点をリセットしたい方に強くお勧めいたします。
正解か不正解かなんて何も問われずに、ただ全てを受容してくれること。あなたの世界観は、あなたのままで全て受け入れてあげますよ。誰も批判なんてしません。全てあなたの味方です。意地悪な質問するなんて、もしもそのような人物がいるとしたら、なんて下劣な存在なんでしょう。あなたが直接そんな質問には応える必要なんてありませんよ。放っておきなさい。その様な人間は勝手に神が裁きを下してくれるでしょう、なので安心して、あなたはあるがままの自分で、ただ心穏やかに過ごしていればそれでよいのです。何も
ひとそれぞれなのは、そのまま、あるがままでいい? スピリチュアルの世界もそうなんじゃないか…そう思うしかない。それ以外にはこの現状を解釈しにくい。つまり、人によってあまりにも色々な話が多く、相違点や矛盾を見つけようとすればいくらでも見つかってしまうのだ。真実はひとつと誰が決めたのか?(それともひとつなのが真実という定義=妄想?)ひとつと思い込んでいるから、矛盾を指摘したくなる。ひとつと思い込んでいるから、他者を否定したくなる。そこに争いが起こってくる。 むかし精神分裂病とい
今回は内容が少ないですが、ふと急に思い出したので書いておきます。 とある自称浄霊師のその人物は以前、有料のサロンの申し込み「◯◯鑑定」とかの対応で、ハンドルネームのままはやめて、とか、本名で申し込まないとどうこうとか、誰だか分からなくなるから非常識とか、いろいろ文句を言っていたことがあります。いつ頃の動画だったかは忘れましたが、Youtubeか何かでお願いをしていたのを覚えています。 これがまた実にアホなことが判りました。 それを書き留めておきたいと思います。 クイズ:以下
皆さん、こんにちは。 ほぼ一週間前に同タイトルの記事を書いたばかりですが、 今回も我々に目を覚めるきっかけを与えてくれるようです。 本日Youtubeチャンネルの方でツッコミどころ満載の動画がUPされたと、お世話になっている読者の方からご連絡をいただきました。さっそく拝見しましたが、「エセスピ撲滅風のエセスピ」と私が考えるその人物は、意図に反して全く動画視聴回数が伸びないと嘆いているようです。しかし、本気でそう思っているのか?と言いたくなるほど、説明が全く説明になっていな
スピ業界にも「國體スピ参謀」がいるのだろうか。 はからずも普段の國體史観における八百長がそのままヒントとなる。もし過去からの常套手段であれば当然現代でも使っていると考えるのが自然だ。 ★スピ=スピリチュアル、スピリチュアリティ ★落合史観やサニワメソッドを利用した鍋島史観における「國體」とは必ずしも一致していません(國體史観、ワンワールド國體史観、國體ワンワールド史観、など呼称)。 ★先日の下記事と全く同じ妄想に毛が生えた程度のものになります。今回は國體とのアナロジーそして
またコメントせざるを得ないことを某所で書いているようです。 やはり根拠なき訂正不能な確信(妄信)に近い・・・と思いました。 ここで何がおかしいのかをじっくりと指摘しておきます。 また「エセスピ」ということばも少し分けて考える必要がありそうです。エセスピがなぜエセスピ撲滅を謳うのか、その辺りも説明したいと思います。 これまで皆様のお陰で、さらに内容も纏まってきたのではと思っています。疑念のある方にこそ読んでいただければ、納得されることも多いのではないでしょうか。私一人の力で
いまは梅雨の真っ只中ですが、いずれまた暑い日がやってくるのでしょうね。太陽ギラギラの季節が待っています。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。毎月の習慣になってきましたが、またいつも通りただの個人的なメモです(笑)。新しい探索方法も模索中です。
スピリチュアル業界では「カルマ(業)」はあるという。 源はインド発祥の宗教からとされるが、それを引き継いで言っているのだろうか、それとも独自に定義したのだろうか。かくいう私はアホなことに何も知らずに言っているのだからどうしようもないが、今回言いたいのは、何でも用語は定義次第ということだ。目に見えない世界がさも見えたかのように語るためには、設定が必要だ。それぞれの設定は自由で良いが、その定義を明確にすることなしに話を進めてしまうと、結局あるとかないとか、元々あやふやな定義をして
今日はあらためてふとおりてきたことを書いてみます。 Youtubeでは相変わらずホンモノかニセモノかが流行っています。スピも流行ってきていますし、何かが流行ったら流行ったで今度はそれをたたく動画も出現するというサイクル。 どんどん世界は混沌としてきている様相に見えてきました。 要するに結局は何を争っているのかもわからない状態に。 自分の中でも何かひとつ軸を添えないといけないなと・・・。 以前は「スピリチュアルマトリックス」として、スピリチュアルを分類できないかと思い、「スピ
メンバーシップ限定記事です。 具体例を上げて書いてみたいと思います。
どうやらまた自慰行為のようなことをやっているようです(仮称T氏)。あまり感情で判断してはいけませんが、イラッとするのは確かに分かりますので(汗)。なるべく一般論として通ずるように纏めておきたいと思います。情報ソース不明なものに心底没入するのは危険です(発信者もエンタメ自認ならいいんですけどね:境界曖昧)。
騙された、酷い目にあった、身内が洗脳された、何百万円も注いだ・・・なんらかのきっかけに目が醒めた方々は、突然複雑な気持ちに襲われるでしょう。これまでの激しい後悔、義憤、怒り、怨念、復讐、あまり行き過ぎるとそれはそれでよからぬエネルギーと負の循環を生む可能性がありますが、ただその矛先をどうやっておさめたら良いのか。同じ目にあった方の救済、同じ目に合わないような防止策、啓蒙活動、などに繋げられるのがせめてもの救い。自分のためであり他人のためにもなる。また、エセスピリチュアルを潰す