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百人百様、十人十色★誰もが創造主★

ひとそれぞれなのは、そのまま、あるがままでいい?
スピリチュアルの世界もそうなんじゃないか…そう思うしかない。それ以外にはこの現状を解釈しにくい。つまり、人によってあまりにも色々な話が多く、相違点や矛盾を見つけようとすればいくらでも見つかってしまうのだ。真実はひとつと誰が決めたのか?(それともひとつなのが真実という定義=妄想?)ひとつと思い込んでいるから、矛盾を指摘したくなる。ひとつと思い込んでいるから、他者を否定したくなる。そこに争いが起こってくる。

むかし精神分裂病という病名があった。精神薬理学(クスリメイン)ではなく精神病理学(哲学っぽい分野)がまだ主流だった頃、精神分裂病は100人の医者がいれば100通りの定義があるとも揶揄された。いまは統合失調症と名前が変わり一定の診断基準も設けられているが、人間自体が変わったわけではないから、かつてなんとなくそう読んでいた精神分裂病に詳しくなったわけではない。取り扱いが変わっただけ。

これはそのまんま他の精神世界(スピリチュアル)にあてはまる。死後の世界や見えない世界のことはどう解説しようとも、それは人それぞれだと思う。誰も証明などできない。その人がそう見えているなら、そういうことなのだ。百人百様、そう考えたほうがやっぱり自然なんじゃなかろうか。ホンモノとニセモノの区別もする意味がなくなる。どちらでもあって、どちらでもない。ただ何かをどう自分が感じようとするのか。自分がその世界をどう定義するかどうか。それだけだ。敢えていえば、証明できると言い張っているのもひとつの世界観だ。ホンモノとエセの区別ができるという主張も同じ。

エセスピ撲滅に快楽を覚えるならそれもよし。自分の信じるワールドを思いっきり展開するならそれもよし。矛盾だらけでストーリー展開を失敗してしまうのもよし。スピリチュアルのコンテンツビジネスで思いっきり稼いでやろうと思うのもよし。人を騙して弄んでやろうと思うならば、それすらもよし。誰も何も止められていないのがこの世界の実態。それぞれのお役目があるのだろう。しかし、それ相応の報酬が待っているともいえる。

誰かに騙されているようで、騙しているのは自分自身かもしれない。ひょっとしたら騙されたいのかもしれない。複雑な感情。騙されてもいいから依存したいのかもしれない。その人の自由。正しいか正しくないか、立派なことか愚かなことか、それらを判断するのも自分自身。大多数が正しいわけでもないし、少数派が愚かとも限らない。大量のお金を使ってしまうのも自分の選択。マンマと騙したものの一人勝ち。そこに意図があろうとなかろうと。嗜好品にハマるものは絶えない。それも選択。お酒、タバコ、ギャンブル、男女関係、ドラッグ、昔から同じ様に誘惑に満ちているもの。それぞれのお役目。

だいぶ話がそれたが、百人百様であればいい。
誰しもバリエーションのひとつで自身で創造する権利があるのだが、誰かの作品世界に従おうとしてしまう。その方が楽だからだ。自分で創造することの大変さと楽しさよ。それをもう一度思い出す。正解が一つしかないなんて生まれたばかりの頃に意識していただろうか。誰しも自分自身の世界に没頭していなかっただろうか。こうでなければならぬという枠の中で絵画などしていなかった。無心で紙と鉛筆さえあればいくらでも好きなように絵を描いていた頃を思い出すのだ。

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