語られる被告人の人間性と、語る機会を失われた被害者(過失運転致死) 傍聴小景 #6
職業病とでも言うのか、被告人への怒りというのは、裁判見始めほどは大きくなりません。毎日のように罪を犯したとされる人を見ているので、悪い意味で慣れてしまいます。
しかし、その逆に、しっかりしていると思われる人が「なんで、この人が裁判に..」と辛く感じる気持ちは強くなっている気がします。日々、理由にならない動機を毎日聞いているからでしょうか。
それの最たる例が、今回扱う交通事故系の話です。
過失は当然あるのですが、偶発的に起こることもあり、やはり他の事件と犯罪への意思決定の度合いが大きく異なるケースがあるからです。
つい、そんな気持ちになってしまった今回の裁判です。
はじめに
学生時代の傍聴では、人の死に関わる裁判はやや避けていたと思います。
今も積極的に傍聴したいわけではないですが、人生でいろいろ経験したのか見れるようになったと思います。まぁ、でも辛いのは当然辛いです。
事件の概要(起訴状の要約)
打ちどころなども悪かったのでしょうか、この速度での接触で人を死に至らしめる可能性があるってのは、運転者としてより一層の注意が必要に感じます。
歩行者視点で考えても、車が車道に進入ために、ぐいん!と車の頭だけ出てきてビクッとなる経験は誰しもあるのではないでしょうか。
今回の件、青信号を歩いているので被害者に100%落ち度はないのですが、僕も交通事故の裁判を多く傍聴してしまっているので、多分人よりは「青信号でも何があるかわからない」と思って歩いていると思います。
本当に生きづらい人生です。
検察官による証拠提示
普段、介護に関わっている方が、その業務中に年配の方と事故を起こしてしまうというのは、なんとも言葉にしづらい思いがあります。
そんな経緯だからなのか、被告人は事故後に自ら休職を申し出て、毎日自宅の仏壇に手を合わせる毎日を過ごしているようです。
弁護側による証拠提示
死亡事故の被害者遺族から、「何卒、寛大な処分を」という意見が出るなんて見たことありません。
いろんな要因はあるのだとは思いますが、少なくとも被告人の誠心誠意の対応があったことは伺えます。
被告人が行った各種対応について、文字にしてみて当たり前だと思うのもごもっともなのですが、いざ自分がその場に立って、それらをテキパキできるかというと自信が持てない人も多いのではないでしょうか。
事実、裁判ではその辺りで「保険屋に言っているのですが、話が進まなくて」という他人任せな供述をしちゃって怒りを買う人もいます。
当たり前のことを当たり前にできるって、やっぱ大事なことです。
この、当たり前のことが当たり前に本当にできる人なのか、普段の様子を聞いてみるとしましょう。
証人尋問(被告人の姉)
なんでしょうか、このエピソードの数々。
何故、その事故の瞬間、注意が不足してしまったのか。本当にそれだけが悔やまれます。
ここで改めて言いますが、被害者に全く落ち度がない事故なので、必要以上に被告人に肩入れしているわけではないとだけ補足をしておきます。
再犯をしないために、「家族の監督」がテーマになることが多いんですが、そのときに気付く会話の少ない家庭の多いこと多いこと。(僕自身も実家の両親と会話が少ないので、自戒の意味も込めて)
そんな中、ここまで言い切れる家族って本当に珍しいと思います。
なんか、文章に書きだしてみて、改めてここの証人の証言のすごさに気付いた気がします。
これって、普段から意識していないと、裁判だからって出せる言葉じゃないわ。
その後も、被告人の「どうして、今回に限って」と思うエピソードが続くのですが、
その中で最たるものが、検察官の「論告」という場でした。
論告・弁論
論告という、犯罪事実を明らかにする検察官による刑の提示の場では、たまに「過剰では?」と思うくらい、再犯の可能性などを強く説いたり、ことさらに被告人の悪質性を強調します。
ただ、今回の場合、
どんなときでも、再犯の可能性をねじ込む検察官が、危険性が高いとは言えないというなんて、初めての経験かもしれません。
本当にそれくらい、各種事故の対応や、警察などによる普段の態度などの聞き取りにスキがなかったということなんです。
僕が裁判の断片を切り取るより、検察官がこう言ったということがいかに異質であるかを是非感じてもらいたい。
後日の判決日にも行ってきました。
判決
裁判で語られてきたことが概ね、認められた形になりました。
そして最後に裁判官が被告人に語りかけました。
被告人はずっと頭を下げていました。
いろんな証拠から証明されている通り、被告人の人間性は間違いない方なんだろうなと思います。
ただ、そう思うからこそ、あえて最後に書きます。
被害者にとって、そのとき何があったのか、それを述べる機会を奪ってしまったのは被告人によるものです。
遺族がどう言おうと、被害者自らの意思を確認することはできません。
取り返しのつかないことと一言で言いますが、やはり人は、本当にその場に直面しないとそれを実感できないものなのだなと思います。
今回の話はYouTubeでもアップしています。
この話と別に、全く擁護するポイントの見つからない被告人の話もしています。
併せてご覧いただき、交通事故の危険性を改めて認識できるきっかけになればと思います。
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毎月約100件の裁判を傍聴している中から、特に印象深かったもの、読者の方に有意義と思われるもの、面白かったものを紹介します。 裁判のことを…
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