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語られる被告人の人間性と、語る機会を失われた被害者(過失運転致死) 傍聴小景 #6

職業病とでも言うのか、被告人への怒りというのは、裁判見始めほどは大きくなりません。毎日のように罪を犯したとされる人を見ているので、悪い意味で慣れてしまいます。
しかし、その逆に、しっかりしていると思われる人が「なんで、この人が裁判に..」と辛く感じる気持ちは強くなっている気がします。日々、理由にならない動機を毎日聞いているからでしょうか。

それの最たる例が、今回扱う交通事故系の話です。

過失は当然あるのですが、偶発的に起こることもあり、やはり他の事件と犯罪への意思決定の度合いが大きく異なるケースがあるからです。

つい、そんな気持ちになってしまった今回の裁判です。

はじめに

罪名:過失運転致死
被告人:50代の男性
傍聴席:平均5人

学生時代の傍聴では、人の死に関わる裁判はやや避けていたと思います。

今も積極的に傍聴したいわけではないですが、人生でいろいろ経験したのか見れるようになったと思います。まぁ、でも辛いのは当然辛いです。

事件の概要(起訴状の要約)

被告人は、車椅子を乗車させられる特殊自動車を運転してT字路交差点に時速5~10kmで右折進入した際、右折先で青信号のもと横断歩道を歩いていた74歳男性と接触。
男性は搬送された病院で死亡した。

打ちどころなども悪かったのでしょうか、この速度での接触で人を死に至らしめる可能性があるってのは、運転者としてより一層の注意が必要に感じます。
歩行者視点で考えても、車が車道に進入ために、ぐいん!と車の頭だけ出てきてビクッとなる経験は誰しもあるのではないでしょうか。

今回の件、青信号を歩いているので被害者に100%落ち度はないのですが、僕も交通事故の裁判を多く傍聴してしまっているので、多分人よりは「青信号でも何があるかわからない」と思って歩いていると思います。
本当に生きづらい人生です。


検察官による証拠提示

・被告人はデイサービス職員で、事件当時も利用者を迎えに行くために運転していた。
・迎えが遅れていて急いでいたこともあり、安全確認が不十分であったと供述。
・自身の110番通報で事件が発覚し、現行犯逮捕されている。

普段、介護に関わっている方が、その業務中に年配の方と事故を起こしてしまうというのは、なんとも言葉にしづらい思いがあります。
そんな経緯だからなのか、被告人は事故後に自ら休職を申し出て、毎日自宅の仏壇に手を合わせる毎日を過ごしているようです。


弁護側による証拠提示

・遺族への賠償として、保険より2,500万円の支払いが完了している
・遺族の方から、被告人が十分に謝罪など各種対応をしているので、「何卒、寛大な処分を」という嘆願書を書いている。
・二度と運転しないよう自身の車を処分したことの証明書
・被告人が休日のたびに参加しているボランティア団体からの嘆願書

死亡事故の被害者遺族から、「何卒、寛大な処分を」という意見が出るなんて見たことありません。
いろんな要因はあるのだとは思いますが、少なくとも被告人の誠心誠意の対応があったことは伺えます。

被告人が行った各種対応について、文字にしてみて当たり前だと思うのもごもっともなのですが、いざ自分がその場に立って、それらをテキパキできるかというと自信が持てない人も多いのではないでしょうか。

事実、裁判ではその辺りで「保険屋に言っているのですが、話が進まなくて」という他人任せな供述をしちゃって怒りを買う人もいます。
当たり前のことを当たり前にできるって、やっぱ大事なことです。

この、当たり前のことが当たり前に本当にできる人なのか、普段の様子を聞いてみるとしましょう。


証人尋問(被告人の姉)

「被告人の運転車両に乗ったことはありますか」
「はい、何度もあります。いつも安全に注意して運転しています」

「被告人の性格はいかがですか」
「真面目でやさしい。一度、目の前でお爺さんが線路に挟まっているのを見たときも、一目散にかけていった

「仕事の姿勢などはいかがでしたか」
「真面目に働いていたと聞いていますし、休みの日でも、施設の利用者の方が喜ぶならと、朝夕に花に水をあげたりしていたようです」

「ほかに休日の過ごし方を知っていますか」
「人のためになるならと、盲導犬の募金や、地域の清掃のボランティアなどに参加しています」

なんでしょうか、このエピソードの数々。
何故、その事故の瞬間、注意が不足してしまったのか。本当にそれだけが悔やまれます。

ここで改めて言いますが、被害者に全く落ち度がない事故なので、必要以上に被告人に肩入れしているわけではないとだけ補足をしておきます。

「今後は被告人をどう監督していきますか」
「もう車も処分していますし、普段から家族の方針として話し合っていく家族なので、みんなで話しながら支えあっていきます」

「今後も変わりませんね?」
「部屋が違うマンションに住んでいますが、被告人は外出する際は必ず顔を出してきますし、私たち家族は何か変化があればすぐに気付きます

再犯をしないために、「家族の監督」がテーマになることが多いんですが、そのときに気付く会話の少ない家庭の多いこと多いこと。(僕自身も実家の両親と会話が少ないので、自戒の意味も込めて)

そんな中、ここまで言い切れる家族って本当に珍しいと思います。

なんか、文章に書きだしてみて、改めてここの証人の証言のすごさに気付いた気がします。
これって、普段から意識していないと、裁判だからって出せる言葉じゃないわ。

その後も、被告人の「どうして、今回に限って」と思うエピソードが続くのですが、
その中で最たるものが、検察官の「論告」という場でした。


論告・弁論

論告という、犯罪事実を明らかにする検察官による刑の提示の場では、たまに「過剰では?」と思うくらい、再犯の可能性などを強く説いたり、ことさらに被告人の悪質性を強調します。
ただ、今回の場合、

・日常的に使っている車での事故なので、本来特に注意すべきところであった
・ただ、再犯の可能性については、この被告人の場合、ことさら危険性が高いと言いにくいと思われる
・被害者遺族が「寛大な処分を」と言っていることも十分に考慮する必要がある

求刑 禁錮一年六月

どんなときでも、再犯の可能性をねじ込む検察官が、危険性が高いとは言えないというなんて、初めての経験かもしれません。
本当にそれくらい、各種事故の対応や、警察などによる普段の態度などの聞き取りにスキがなかったということなんです。
僕が裁判の断片を切り取るより、検察官がこう言ったということがいかに異質であるかを是非感じてもらいたい。

弁護人による弁論
・低速度で起きた事故であり、悪質な運転により起きた事故ではない
・寛大な処分をと求めている遺族感情であるが、これは被告人の真摯な姿勢が伝わってるから
・社会人としても全く問題ない人間であり、社会内で更生の機会を与えるべき

後日の判決日にも行ってきました。


判決

主文 禁錮一年六月、執行猶予三年
・職業運転者でありながら、重大な結果を起こした
・被害者に落ち度がない事故である

・速度超過など、危険な運転ではない
・反省の姿勢が大いに認められる

裁判で語られてきたことが概ね、認められた形になりました。

そして最後に裁判官が被告人に語りかけました。

あなたは、前回の証言で、今後もずっと被害者のために手を合わせ続けると言っていましたね?
その通り被害者のことはこれからも忘れないようにしてください。

ただ、
あなた自身の健康、そして生活もそれもまた大事なことです。
それもよく考えた上で、今後の生活を送ってください。

被告人はずっと頭を下げていました。

いろんな証拠から証明されている通り、被告人の人間性は間違いない方なんだろうなと思います。

ただ、そう思うからこそ、あえて最後に書きます。

被害者にとって、そのとき何があったのか、それを述べる機会を奪ってしまったのは被告人によるものです。
遺族がどう言おうと、被害者自らの意思を確認することはできません。

取り返しのつかないことと一言で言いますが、やはり人は、本当にその場に直面しないとそれを実感できないものなのだなと思います。

今回の話はYouTubeでもアップしています。
この話と別に、全く擁護するポイントの見つからない被告人の話もしています。
併せてご覧いただき、交通事故の危険性を改めて認識できるきっかけになればと思います。


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