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"ポートレートを盛り上げる"は慢心から産まれる言葉

こんばんは。

本日は「ポートレートを盛り上げるぞ!」的な言葉がどうしても苦手なモトオカがなぜその言葉に拒否反応が出ちゃうのか?なぜそんな言葉が産まれるのか?を考えてみた記事です。最後までよろしくどうぞ!

注意
本日の記事は過去の慢心した自分自身を振り返り2度と慢心しないために慢心の恐ろしさを忘れない為に書いた記事です。
第三者を批判·注意喚起する記事ではございません。
まんしん
【慢心】
《名・ス自》心の中で自分のことを自慢すること。おごり高ぶる心。
ザックリ読みたい方向け

結論は素直になろうよです

苦手な理由その1
ポートレートは既に盛り上がっている

1番の理由はこれです。ジャンルとしてのポートレート撮影はそもそも盛り上がっていた。
だからこそ広島の山奥に暮らしている中年男性(僕)ポートレート撮影に興味を持ち現在進行形でポートレートに取り組めているのだと思うんです。はい。

僕がポートレートを始めた頃(4年前)ですら既に広島にも素敵なポートレートフォトグラファーさんは存在しておりましたし、被写体活動なさってる方もお見受けしていました。

もう4年前の時点で盛り上がっていた。
もっというと、僕がポートレートの盛り上がりに気がついたのが4年前なだけであってそれ以前から盛り上がっていた可能性が高いです。

当時の写真始めたてな僕ですら紆余曲折ありましたが結果としてポートレート撮影に関わる事が出来たのは先人達の取り組みにより素敵な写真が沢山インスタやツイッター等で手軽に楽しめる環境が出来ていたからだと思います。

僕の場合その先人達の写真を見て、「うわーすげー」とか「やってみたいー」とか思って取り掛かるキッカケを得てやり始めたので、もう既にポートレートは盛り上がっていた説
そしてその盛り上がりは先人達のお陰であり僕はその恩恵を受けた事になります。


苦手な理由その2
ポートレートを盛り上げるんじゃなくて
自分の取り組みを盛り上げなよ


ポートレートを今よりも盛り上げたいんだ!という気持ちはわかります。かつて僕もそんな風に思って発言したりしちゃいました。しかしその言葉には「自分の写真·取り組みを盛り上げたい」という気持ちも大いに含まれてる事を発言者は自覚しなくてはなりません。

なぜなら、あなたの写真·取り組みが盛り上がればそれすなわちポートレートが盛り上がる事とほぼイコールだからです。

だからポートレートを盛り上げたいなんてズルいオブラートに包まずに、私の取り組みこんなのです!写真こんなのです!盛り上げたいんです!なんとかしたいんです!よろしくお願いします!買ってください!と素直な気持ちを見てる方々へお伝えして行くほうがよっぽど気持ちが伝わる確率上がると思います。

あなたの撮ったポートレート写真がこれまでにないくらい拡散されたとしましょう。
そうするといずれあなたの写真を見てポートレートを始めました!って方が現れるんです。
あなたの写真が拡散された事によってポートレート新規参入者が現れるんです。
その新規参入者はカメラを買い、レンズを買う。
ポートレートどころか写真、カメラ業界が僅かですが盛り上がる事にもなり得ます。

これが積み重なってポートレートが盛り上がるになるわけです。
業界?界隈?地域?全体の事を憂う前に自分自身の取り組みを盛り上げる事に専念した方がよっぽど効果的では?と思った次第です。


苦手な理由その3
理想の姿と
現実の姿とのギャップ


ポートレートを盛り上げたいと聞いてまず思うのが
どの立場の方でしたっけ?あなた??と思っちゃうんです。すみません。ほんと性格悪いですよね。でも思っちゃうんです。

おそらく、ポートレートを盛り上げたいのは本心でしょう。旗を振って思ったほど人が集まらなかった時にあなたはどういう行動を取りますか?

「なんで誰もついてこねぇんだよ」 
「熱量少ないやつばっかだな」
「レベル低いんだよ」
「やっぱ俺しかやるやつ居ないな」
「みんなその程度かよ」
とか思って発信しちゃったりしてませんか?

あなた以外の人間はあなたの事を客観的·冷静に日々の発言内容も見ています。(あなた=過去の自分です)



その上で、ついて来ないんです。


ついて来ないという立派なリアクションなんです。
無反応という立派なリアクションなんです。

「リアクションなんで無いんだよ!」って思いがちですがそうではなくて無言のメッセージであると捉えた方が今後の活動に活かされると思います。

実際に他者に見えてるあなたの姿(イメージ·ポジション)とあなたの頭の中で描いている理想の自分の姿(イメージ·ポジション)がかけ離れているから発言を聞いてる方としては納得出来ないし説得力も感じれない、要は先走った発言·不可解な発言·あなた誰でしたっけ?な発言として他者に受け取られてしまっている可能性大なんです。

素直な自分の気持ちを理解してどんな人に伝えたいのか理解して素直な言葉で発信する事を心がければ今よりも格段に伝えたいメッセージは伝わるんじゃないかな?と思います。慢心してると絶対に無理です。

自分を実際よりも大きく見せたり才能溢れる人物に見せたりってブランディングしたい気持ちもわかるんです。しかしそのブランディング手法ってとてもしんどい。実際に長い時間をかけて自分自身を磨き上げねばいけないから。

そんなのしんどいですよね?
だから最も楽な方法、他者をけなして自分の中で他人の価値を下げようとするんです。実際には下がんないですよ!自分の意識の中で他者の価値を認めない·低く見積もる事で自分自身の価値があたかも高まった錯覚を起こす。そしてこの錯覚が現実と混同してしまいリアルにブランド価値アゲアゲな人物の言葉として発信してしまう。慢心にまみれた傲慢な人間がここに出来上がりました。

なんでこんな事になってしまうのか?


理想の自分になれてない事は
自分が1番わかっているから


だから結果を出したくて仕方ない、でもなんも具体的な行動してない。だから焦ってしまう
だから賛同してくれない人達にイライラしてしまう
結果が出ないのは自分を理解してくれない全ての"他者"のせいだと思いたくなる
自分を評価してくれない他者のせいだと思いこんで自分自身の改善点を探ろうとすらしない
他者に対して伝えたいメッセージではなく自分自身との対話の部分を(鬱憤など)を「ろ過」せずにそのままメッセージとして発信してしまう
慢心している自覚がないから出来る暴挙以外の何物でもない。

その姿を他者は冷静に見たうえで
ノーリアクションを貫く
事を選んでいる

見られてないわけじゃないんですよね。
見られてるからこそノーリアクションなんだと。

つまり慢心した姿を晒し続ける事により日々、他者からの信用を失い続けている状態にある。といえます。


なぜこんな事言うのか?
僕自身慢心してた時期があるからです。
SNSで写真を投稿し続け、普段の地味な生活では考えられないくらい、被写体さんからチヤホヤされたり、カメラ始めたての方から何かしら頼られたり、イベントやったり、自分がポートレートでいい線行けてる、自分がある程度の影響力を持っているという小さな錯覚を繰り返し、具体的な行動を伴わず、自分にはやれる。才能があると思い込み、理想の姿はどんどん根拠なく肥大化していき、現実では思ったほどの結果が得られない。という状況を受け入れられず、全て他人のせいにして見事に慢心していた時期があるのです。(当時の自分をマウントポジションで永遠にブン○りたい)とんだ勘違いヤローです。(断言)無茶苦茶イタイやつだったんです。

自分のブランド的価値を見誤っている。
高く見積もり過ぎている。
それは妄想でしかない。
他者にその妄想が伝わるわけもない。
自分と他者とが見えてる景色がまるで違うからメッセージが他者に全く響かない。
そもそもメッセージを響かそうなんて思ってない。
その事にすら気がついてない。
なぜなら結果が出ない鬱憤を晴らしているだけだから。


長々書きましたが一言でまとめると


素直になろうよ

です



素直になるために最も大切なのが理想に届いていない今の自分を許す事·認める事です

許さずにずっと取り組んでいるとどうなるか?
目指していた理想の姿とはかけ離れていきます。

「こんなはずでは...」

という結果が待っています。(僕自身フリーカメラマン廃業しています)(そんな自分を許すのには時間がかかりましたが)

特にポートレート写真は人物を撮影するので"許す"はかなり大切な要素になります。他者を許し理解しようとする姿勢が大切。

完璧主義を否定したいわけではないですが、ダメな自分を認める、そして許す。これが出来ないと他人を許す事もきっと出来ないんです。そしてこれはきっと写真そのものにも少なからず反映されると考えています。

撮影条件厳しすぎるカメラマン時々いますよね?
(初対面でいきなり室内撮影希望やセミヌード希望など)

自分を許す事は他人を許す(条件の緩和·柔軟な対応)に繋がります。

結論

ポートレートを今よりもさらに盛り上げたいんなら自身の作品·取り組みを盛り上げる事が何よりも有効

「ポートレートを盛り上げたい」という発言は
慢心している自分自身に気が付けていない事を
露呈してしまう発言。

小さな勘違いが積み重なって大きな慢心となる
(経験者談)

他者はそのへんにとても敏感

大きな失敗を経験する事が
傲慢な自分を自覚する唯一のタイミング

失敗を犯した自分を許せるかどうかが
その後の行動を左右する


あなた、慢心してますよね?なんて誰も
教えてくれない

慢心した姿·言葉は信用を失う

ブランディングではなく
単なる勘違いである



いや〜怖いですね"慢心"って
周りが見えなくなっちゃうんですよね
慢心と自信は全然違うものなんだって事がフリーカメラマン廃業と個展開催に向けたクラウドファンディングをキッカケに知れたので僕にとっては大切な経験だったなと思います。貴重な経験をさせて頂いて有り難い限りです。


注意
以上の記事は35歳中年パートタイムカメラマン
であるモトオカが調子こいて慢心していた頃の精神状態を振り返り反省し、2度と慢心しない為に制作した記事です。
第三者に注意を促しているのではありません。
慢心の恐ろしさを忘れない為に作った記事です。





最後まで読んでくださってありがとうございます!




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