自分の写真に飽きた時
昨年Private Stock 1.5という自主制作の写真集を作ってから、僕は自分の撮る写真に飽きが来た。
これまではだましだまし撮ってこれていたのだけど今回の飽きは相当厄介で、まるで自分の心が不感症になったかのように写真をPCモニターで眺めても何も感じない。
外に出かけて夕日で撮っても、部屋で撮っても「まぁこんなもんか」という言葉しか出てこない。
しかし迫りくる写真展。開催まであと2ヶ月というのにまだ何も撮れていない。
こういう時に悪知恵だけは働く。
展示点数とテーマを先に決め、2日間で撮りまくる。飽きていようがテーマに沿っていればOK。
という縛りを決めて無理矢理なんとか撮れた。
しかし気持ちとしてはまだ自分の写真に飽きている。
撮影最終日の合間に偶然撮れたモノクロ写真だけが飽きを感じないとても新鮮な気持ちで「綺麗だな」と思えた写真。
だから写真展ではこのモノクロ写真を2枚展示するという暴挙に出た。
という偶然撮れた写真に心救われたわけですが何にも根本的な解決には至ってないのです。
自分の飽きがどのくらいのものかというと写真展に参加しながら「来年は休もう」や「次撮りたいプランが何もないな」とかなり消極的な言葉が頭に浮かぶばかり。
もちろん一生懸命撮ったし、編集も行った。
でも、やっぱり自分だからわかっちゃうんですよね。
「あー、過去に撮ったあの写真をリニューアルしてるんだな」とか
「あの時と同じだな」とか
テンプレ化してるつもりはなくてもいつの間にかテンプレ化しちゃってる部分。
自分で自分の撮った写真に感動しづらくなっちゃったんですね。
だから写真展終わってすぐに写真撮ることを休みました。無期限で。
やたら悩んでも仕方のないこと
休み始めた自分の気持ちは、「よし!リフレッシュしよう!!」って感じで悩んではいませんでした。
なぜ飽きたのか理由がわかっていたから。
過去写真の焼き回し的撮り方や、自分のコントラストや色味。
そんなもん悩んだって解決しない。
ちょこちょこ人知れず試作するのみ。
撮影は休んだけど過去写真引っ張り出して来て編集し直したり、新しい編集方法試してみたり。
案件をしてみたり動画撮ってみたり、昔お世話になった人に会いに行ってみたり、ゲームしたり。
2ヶ月くらい撮らないでいるとやっぱり撮りたくなってしまう。
多分この撮影で自分の中のしがらみを断ち切るキッカケが掴めたのだと思う。
この撮影以後また僕は休みました。
なるほどと。
今まで自分は撮影を分散しすぎていたんだと。
移動して撮って移動して撮って。活動時間は6時間程度でも実質撮影時間は1時間程度。
限られた空間と光、そして被写体と彩る衣装の組み合わせ。
これで3時間くらい撮ればいいのでは?
今までの取り組み方に飽きていたのでは?
新しい取り組み方だと写真もなんだか新鮮に感じる。
「あ〜自分はいつの間にか"自然体"という言葉に縛られていたんだな」
そう感じた。
この撮影のお陰で自分の勘違いに気づいた。
写真に飽きたのではなく撮影の取り組み方に飽きていたんだと。
自然体に縛られているのは不自然なのでは?
となると次やる事は決まっている。撮影日を抑えて衣装を揃え撮影場所を探す。
自然体を撮らなければと思い込んでる自分は不自然なのでは?
その瞬間撮りたい物を撮ればいいのでは?
思いついたアイディアを失敗してもいいから試してみては?
と自分で自分を縛り付けていた事に気がついたので今は、「今目の前にある光景」を撮る。というスタンスに徐々に変化してきました。
もちろん事前準備してるので"自然体"とは言えないかもですが、これを撮影している僕自身は以前よりも自然体です。
被写体・モデルのせいにしてはいけない
以前何かで「自分は被写体Ricccoのように自然体に振る舞えているのか?」と書いた記憶がある。
自然体に振る舞うってどうやんの?状態だったけど、今ならわかる。
カメラマンとして自然体に振る舞うとは
「撮りたい物をちゃんと撮りたいと伝える事」「それを写真として共有すること」「撮りたくない・出来ない事もちゃんと伝える事」
そして良い写真が撮れたらしっかり喜ぶ事。
撮れなかったらその要因が何だったのか検証すること。
思ったような写真が撮れない時、決して被写体・モデルのせいにしないこと。
なぜなら撮りたくてその被写体を選んだわけだから。
一言でいうと素直になるということなのかな?
僕の場合は自分の撮影がある種ルーティンワーク化していたため、飽きを感じていたのだろう。
そう、まるで仕事のように。
この写真はルーティン化した撮影の合間。
「少し休もう」と声をかけて数秒後に撮った写真。
自分が感動出来る写真はルーティンの外・合間にあるのではないかな?
そう思います。
もしかしたら自分達のやってる事は写真を撮らない人、ポートレートを撮らない人からすると非常識・非現実的なのかもしれない。
確かに1度の撮影で10着以上衣装を用意したり、撮影のためにわざわざ費用かけて場所借りたり、女性を下着姿で撮ったり、それをネットで公開して本にして販売したり、冷静に考えると変な事なのかもしれない。
けどね、けどね!!
これがもう僕達の日常なんです。
もう5年、こんな感じで撮りながら飽きと向き合いながら撮ってきて公開して暮らしてる。
非日常の中の日常を今後も撮り続ける。
これが僕達の普通に5年かけてなってしまった。
こんなもんね、被写体・モデルには感謝しかありませんよ本当に。
全部僕のわがままですからね。
撮りたくて撮っておいて「こーじゃなあんだよ〜」って被写体からしたら「は??」なわけで。
ちゃんと対策しとけよって話でね。
被写体の表情が優れないのはもしかしたら撮影がルーティン化してる影響かもだし
撮影場所が新鮮味に欠けるからなのかもだし
用意した衣装が全然魅力無いからなのかもだし
こちらの声かけがツンケンしてるせいなのかもだし
あまりにも拘り強すぎて被写体を型に嵌めようとしてる影響なのかもだし
全ての要因はカメラマンである自分にある
と思っていれば解決の糸口は近い将来見つかるはずだと思います。
イメージと合わない人であれば最初から撮らなければ良い。
撮りたい人を撮ろう
撮りたいモノを撮ろう
その為に考えよう
何が必要で
何が不要なのか
そしてどんな人に写真を伝えたいのか
そして出てきた答えめいたモノをとりあえず試してみよう
そうすればまた新しい気付きがあるかもしれない
悩んでる暇があるんなら頭空っぽにしてリフレッシュしよう
(ff16やったりアマプラ一気見したり昼寝したりカメラ持たずに出掛たり)
頭空っぽに出来てからまた考えればいい
悩みに行っても、苦悩してる自分自身に酔うだけなんです。
結論
写真ってやっぱりおもしろいです
最後まで読んで頂きありがとうございました!!
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