インフルエンサー妄信の危うさ(エッセー)

曰く、「本は頭の主食、ウェブはおやつ」は最近誰かが言っているのを聞いた気がするので書いているのだけど、インフルエンサーはおやつレベルですな。最近、竹花氏の炎上ネタをnoteにしていたのでああいうのに騙されないためにと思いnoteに私の考えをまとめてみた。

最近インフルエンサー炎上事案をよく耳にするようになりました。ホリエモンの餃子しかり、書くとすぐ訴訟起こすらしいので名前は避けて妊活周りの話も聞く。そして、ライジングスターの竹花氏、またサロン系の人でも詐欺臭いといわれている人が多々散見される。

ただ最近こういった炎上ネタを見るにあたり、どんなに立派な人であっても単なる一個人に妄信するのはアフォなんじゃねと思うわけだ。そりゃ大成功している人の話は多分に漏れず面白い。また苦労や、類まれな才能をもって何かを成し遂げた人には魅力がある。

私自身も例えばホリエモンとか結構好きで、彼の話から得る気づきや学びも多いと感じている。
それでも、時としてホリエモン氏に対して個人的にあぁくそなこと言ってるなとか思うわけだ。つまり語弊を恐れずに書けば「人を完全に信用しない」のである。

理由は至極単純で、いかに魅力的な成功者であっても所詮他人だし世の中に完璧な人間がいないからに他ならない。カリスマであっても間違えたことはする。むしろそういう人こそたくさん失敗コストを下げた失敗を多くしている人かもしれない。そして、最も重要なのは他人の成功を完コピしても自分が成功できる保証がどこにもないのだ。となると、他人の情報は、収集後に取捨選択し咀嚼して使えるものを使うというのが正しいのだと思う。

例えば、ホリエモンのNoテレフォン。言っていることはよくわかるが実際のサラリーマンがそんなの真に受けて実行したらクビだろというのは少し考えなくてもわかる話だ。また彼が餃子屋でなにか憤慨し餃子屋のアラを動画メディアで叫ぼうが氏の一方的な主張であって、必ずもう一方の当事者の主張もあるわけだ。そして、泥棒にも3分の理という言葉が示す通りどちらかが100%正しいとかありそうもない。これも普通に考えればわかるわけだ。

竹花氏の代理店に6割上げまずは相手を儲けさせるという話も同じだ。別に代理店の販売力頼りのビジネスでは6割も高いマージンじゃないんじゃないと思いつつ書くと、ビジネスには粗利の分配をどうするかという話が常に付きまとう。例えば、Appleのように広告にお金を大量投下しユーザー需要を大きく喚起することに粗利を配分し、Outletとなる販売店には低マージンを強いるビジネス形態もある。はたまたアマゾンのようにそもそもの粗利を低くしエンドユーザーに対する提供額を下げることでメーカーを泣かせているビジネス形態もある。ご存じの通りアップルもアマゾンも大成功しているビジネスだ。つまり、代理店優遇施策で売れる仕組みを作るという考えは数ある方法論のうちの一つでそれが絶対的な成功パターンではないというのは普通に考えればわかるわけだ。

つらつら書いたが、つまりあなたがあこがれている人の成功談話が自分の取り巻く環境でうまくいくかどうかはわからないということだ。話に面白みがあり示唆にも富んでいる彼らの話は、まず参考として聞き、自分に取り入れられるか咀嚼しなければならないのだ。つまり、より重要なのは咀嚼する自分だ。そうでなければただの盲目的宗教、つまり他人に依存し自分を持たない人間になってしまうからだ。

そして、人の話を咀嚼するにはある程度基礎素養が必要だ。基礎的素養を身につけるには、検証されている基礎理論から始めるのが良いと私は思う。つまり、各分野でデファクトスタンダードとなっている本を読めばいいじゃんということだ。

ここで世の中には、意味論と型論というものがある。この二つは学びにとって非常に重要だと思う。例えば、私はラグビーを幼少期から大学時代(の途中まで)やっていたのだが、例えば幼少時代ハイパント(ボールを高く蹴り上げること)のキャッチのときは肘を締めてとれと言われた。

ごく幼少期にはその意味が分からなかったが、とにかくやれと言われるからその「型」を見真似でやった。

しかし、それを続けていくとわかるのは上から落ちてくるボールは重力で意外と勢いがありそのボールを受け止める際に手だけでは抑えきれないことが多いから肘でボールを取りこぼさないようにしないといけないと、肘をしめる「意味」を理解する。

この型と意味はビジネスおいては「手続きやベストプラクティス」と、「その目的」という言葉に置き換えられるかもしれない。

私はオンラインサロンに属したことはないが多くのオンラインサロンから漏れ伝わってくる話は「型」論ばかりだ。給与所得でなく事業所得で税金安くするとかいうかなり危ない型論も聞いたことがある。そういったベストプラクティスを学ぶことで自分のビジネスに取り入れたいと思うのかもしれない。しかし、「型」には裏に潜む意味がある。ビジネスにおいてはあなたの社内外の人間関係であったり、取り扱っている商材の特性であったり、ターゲットしているマーケットであったりだ。もちろん成功体験者の型は特定の条件下におけるベストプラクティスに他ならない。だから、意味を無視してNoテレホンしてみたりしても破綻するわけだ。N=1人が力説するベストプラクティスは特殊例である場合があるからだ。

もちろん特殊でない一般化された「型」を学ぶのにはビジネススクールに行ったり、その分野でデファクトスタンダートとなる何冊かの本を読むほうがより良い選択肢だ。一般的な「型」を学びその「意味」を一度理解したうえで、インフルエンサーの特殊かもしれない話を聞くことで、型論の進化や意味論の深化を狙えるのではないだろうか。

私が昨今のインフルエンサーを妄信する養分に対して思う危うさは、この型と意味がかなり抽象化され、インフルエンサーそのものが型であり意味になっているという点だ。要はインフルエンサーを教祖としてあがめる絶対視だ。

そして、時として神であったはずのインフルエンサーがただの張りぼてであったということがある。少し前では与沢翼氏だし直近では竹花貴騎氏のことだ。そういう、インチキに騙されないためには、まずは一般化された「型」と「意味」を身に着けたうえで人の話を聞くことだ。

そもそも、自分に必要な情報をちゃんと調べられない人間が再現性の高い成功を行えると思えない。そのような人間がオンラインスクールに通っても成功できないのではないかと邪推しているわけだ。

冒頭に「本は主食、Webはおやつと書いた」、意図としては一般化された情報を基本知識として取り入れたうえで、おやつたるN=1の話を聞いてみようということだ。そして念のため書くとインフルエンサーの全ての発言をクソと思ってるわけではない。このnoteでは一部の言葉を捉えて書いたが、むしろ有用なことが多いのであろう。ただこのnoteで書きたかったのはN=1の発言を咀嚼できるようになってから気になるインフルエンサーとどの距離で付き合うか見極めてみたら良いのではないかということである。

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