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2-2|スマートシティに高齢者は住まない理由を「日本進化論」より【落合陽一を批判的に読む】

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今年の6月1日に出版された『落合陽一を批判的に読む』の反響がそれなりにありまして、YouTube,noteのアカウントBAN記念に全文を無料で公開します。21世紀中盤の未来を予測したい方におすすめな、最新の評論が詰まった一冊です。








テクノロジー理解の重要性

連続で撮ってるんですけど、ダニエルです。今日も落合陽一を論破する、第二回やっていこうと思います。落合陽一、覚悟しろよ!ってことで、今日は『日本進化論』について2本目になってるんで、この企画どういう企画かって言うと、こちらの本を一文一文読んでいって、丁寧に論破していくっていう企画になります。

落合陽一は確かに頭良いし、凄い良いこと言ってるんだけど、やっぱり詭弁が含まれてるんですよ。なのでみなさん注意してください。嘘を嘘と見抜けない人だと読めないというか、詭弁は詭弁なんですけど、良さもわかった上で、これは詭弁だよねってことがわからないと、そもそも議論についてこれない。本当はテクノロジーってめちゃくちゃ重要なんですよ。当たり前ですけどね。だって今、この動画をどうやって見てるんですか?スマホでしょっていう。じゃあみんな病気になったら何しますか?まず医者に行く人っていませんよね。まずGoogleで調べますよね。普通に考えてそうですよね。だから、それを前提にして今後の人生も社会もデザインしていかないといけないのに、旧来の社会システムで大丈夫かって言っているのがこの人たちなんで。落合陽一は特に筆頭ですよね。

だから、落合陽一がシンギュラリティ論者とか言われてることもあるわけですけど、この人の中身は相当文系チックっていうか、結構書いてる中身とかは、これ宇野常寛さんとか編集してるんですかね、わからないですけど。内容はすごい文系の目線から書かれているところがあるんで、ここをすごい理屈厨な私が一応、落合陽一さんより高学歴の、中退しちゃったんですけど、東京医科歯科大学の医学部行ってたんで、話していけることもあるんじゃないかって。僕も科学少年だったんでね。

 

第二章のテーマ

前回、序章・第一章ときて、序章がまずテクノロジーの歴史みたいな話、前提みたいな。第一章がテクノロジーと産業構造の変化、あるいは働き方の変化みたいなことを話すみたいな章でした。そこで僕が指摘したのは、産業構造の変化でインフラ撤退が必要だみたいなことを落合が言ってたんですけど、それはちょっと人間が都市に住む前提を考えすぎていやしませんかっていう、そういう反論を丁寧に述べました。

今回は第二章について話していこうと思います。僕これ、本当に読んでないんですよ。なので不勉強故に、間違えてしまうこともあるかもしれない。聞きたい人が聞けばいいというスタンスで話しているんで、そういう人が僕の意見の信憑性を気にされるのであれば、一回このチャンネルの一番下まで動画遡っていただくと、落合陽一批判から始まってるんですよ。T-T lifestyle第1本目の動画、当時純白批評部屋っていう名前でしたけど、それの第1本目が落合陽一批判なんで。そちらを見ていただくほうが易しいです。シンプルに彼の批判になってるんで。

今回は新しい企画なんで、あーだこーだ言うだけなんで、ヤジなんで、酒飲みながら聞いてください。こっちも酒飲んじゃいますよ。落合さんと酒飲みたい。はまぐり一緒に食べたい。鮎とはまぐり。

「第二章では、高齢者が全人口28%を占める日本において、高齢者ドライバー問題を一つの具体例として深堀し、高齢者問題という漠然とした問題の本質に迫ります」って書いてあるんですけど、さっそくこれ3行の部分で間違っています。

第一章では建物とか高速道路、幹線道路の話をされてましたね。公共交通機関とかもでしょうね。電車バスもだと思うんですけど、そういうのは過疎地域は抜いていいんじゃないかってことを言ってたんですね。それと似てて、高齢者も抜いていいんじゃないかって話ですね。悲惨な言い方ですけど。高齢者も抜いてというか、人生から撤退して頂いていいんじゃないか、ということを言ってると思うんですけど、たぶんね、この章は悲惨だと思いますよ。端的に言って、免許返納の問題を具体例にしているんで、明らかに高齢者の人権を制限しようっていう話なんですよ。

 

免許返納と安楽死

単刀直入に言います。高齢者の人権を制限しようという話なのに、恐らくこれ、高齢者の命を奪うっていう話が出てこないと思う。安楽死がありますよねってチョロっと出てくる程度で終わってると思う。

人権を制限されるのと命を奪われるのって、全然違うものだって、つまり質の違いがあるって大半の人は考えると思うんですよ、これ観てる人もね。僕はこれ量の違いしかないと思っていて、免許返納っていうのは0.1安楽死に値すると思うんですよ。人によっては運転できないくらいで死んでやるって人もいるわけですから、主観的には免許返納=0.7安楽死くらいの人もいるはずなんですよ。

免許返納ってそれくらい重要なことで、卑近な例で言えば、マスクがありますね。僕は四六時中マスクをつけて働くってことをやりそうになると、それは僕にとってはもう死と結構近いっていうか、0.1安楽死なんですよね。普通の人は多分0.0001安楽死くらいだと思うんですけど、僕にとっては0.1安楽死ってくらいなんですよね。マスクを1日8時間つける生活っていうのは。だから僕は完全に拒否してるというか、つまり0.1安楽死っていうことは、主観的な寿命で考えると10%くらいは減るんじゃないかっていう風に考えてるんですよね。

 これ本気ですよ。人間だって1日の3分の1は寝るのにも関わらず…そうそう、学校の先生とか医者とか、医者はいいのかな?学校の先生とか悲惨で、常に人目にさらされているじゃないですか、教壇の上に立ってて、ずっとマスクつけたまま喋るわけですよね。あれたぶん本当に悲惨で、予備校講師とか、ああいうのは僕は絶対やりたくないと思いますね。東進ハイスクールの衛星授業は別ですが。人によっても感じ方が違うし、実際僕はマスクをつけろって言われるのは、死ねって言われるのとそんなに違いを感じないんですよ。切腹しろって言われるのとマスクつけろって言われるののって質的な差を感じないんですよ。量の問題になるんだな。切腹は流石にエグいじゃないですか。エグいんだけど、でも僕からしたらマスクしろって話はそれくらいに聞こえちゃうんですよ。めちゃくちゃ苦しいし、自分の嗅覚が使えなくなっちゃうしみたいな感じで、死ねって言われてるのと同じに感じちゃうんですね。

脱線しちゃったんですけど、この高齢者の章は、免許返納と安楽死がたぶん同じまな板で語られてないんじゃないかと思うんですよ。安楽死は安楽死だよね。免許返納は免許返納だよね。

おそらくざっくり言ってこういう論調だと思うんですよ。免許返納は、どんどん進めていくべきだ。しかし、安楽死は議論が必要だよね。みたいな、そういう感じで話が進んでいくと思うんですけど、これはもう絶対バツだよ。そこに質の差はないんですよ。高齢者の人権を制限することを考えるならば、安楽死の問題を考えなければならない。

 

高齢者ドライバーの事故だけが減らない理由

人権というのは安楽死も免許返納も同じなんですよ。安楽死っていうのは、病死とかとは全然違っていて、あれは単純に人権を制限するっていう話なんですよ。

目次から行くんですけど、第二章、「超高齢社会をテクノロジーで解決する」だって。「免許証を取り上げなくて済む社会のために」おー!意外な感じできましたね。免許を取り上げなくて済む社会にしたいですねって言ってる。ということは、自動運転の話が来るのかな、意外と。じゃあこれ、僕いきなり落合陽一に反駁され、もうマジで戦いだと思ってやってるんで、ちょっとあんまり僕のことを甘く見ないほうがいいですよ。

僕は落合陽一と勝負してると思ってるんで。結構この動画は後から見られると思います。今は全然100回再生くらいだと思うけど。

自動運転についてずっと言ってますね。気になったのが後半の「高齢者ドライバー問題から産業事故の解決を図る」あと最初の「何故高齢者の事故だけが減らないのか」これも気になるね。なのでこの2つを読んでいこうかなと思ってて。高齢者ドライバーの事故だけが減らない理由は普通に俺わかんないんすけど。なんで高齢者ドライバーの事故が減らないんですか?それは、ボケてるからとかじゃなくて?どういうこと?あーそういうことか。全然違った。

自動車がないと暮らせない人が多いということですね。確かに。足腰が弱くなると、より車に依存するようになるっていうか、ポエティックな表現を使うと、人間は徐々に機械人間になって死んでいくっていうことですよね。車無しで生きられないようなサイボーグになってしまうっていうね。だって歩けなくなるもんね、確かに。

都市部では免許はちゃんと返納されますって言うことを落合陽一は指摘してますね。たぶんここから落合が間違えると思います、予想ですけど。つまり都市に住んでいない高齢者は免許返納しづらいんですよね。だから、そういう高齢者にいかに都市に住んでもらうか、いかに電車とかバスを普段使いしてもらうか。だって都営バス0円ですよね、高齢者って。違ったっけ、わかんないけど。安いですよね。そういう感じで、いかに都市に高齢者が住んでもらうか。極端な話、老人ホームが一番いいよねっていう話をしてるんじゃないかっていうことを思っていて、そこまで言ってないと思いますけど。そういうことを言っていて、そのためにはどうしたらいいかっていう話で、地方に居づらくずるような仕組みをつくればいいっていうことを、言っていくべきなんですけど、これが言ってないんじゃないかな?

 

コンパクトシティは既に完成している

次に書かれている内容が、コンパクトシティ化で都市に住んでもらおうみたいなね。両方必要なんですよ。都市を充実させるという視点と同時に、意外と人間てわけわからない理屈で動くじゃないですか。ここが私の生まれた土地だからとか言って、嫌じゃ嫌じゃと言っちゃうような人もいるっていうか、意外とそういう理由で土地を離れられないケースが多かったりするわけですよ。

普通に東京とかってすでにコンパクトシティなんじゃないですか。家賃安いところもいっぱいあるし、店や公共交通機関が圧倒的に充実していて非常に便利ですから。落合陽一が言っているコンパクトシティって意外と東京の南西のちょい外側くらいなら、家賃5万円くらいの…1Rで6〜7万あったら全部住めるわけですよね。これくらいの年金でエンゲル係数的にも年金でカバー可能じゃないですか。

本気でコンパクトシティを考えるならば、東京になんで高齢者が殺到しないのみたいな話を考えないといけないと思うんですよね。どこでもいいわけではないですが、東京のどこかに高齢者が積極的に住むようになっている土地がないと不自然です。すでにコンパクトシティは実現されているんじゃないかっていう視点が足りないですよね。

しかし答えは出ていて、東京の便利な土地には高齢者よりも先に若者がたくさん住んじゃってますから。僕も新大久保に住んでますけど、この辺も若者いっぱい住んじゃってますから。このへんはほんと落合陽一、揚げ足取っちゃって申し訳ないんですけど、落合陽一のスマートシティの話が本当なんだったら、僕の家はコンパクトシティそのものです。本当にスーパーも近いし、駅近で家賃が安くてめっちゃ暮らしやすい。おじいちゃんおばあちゃんもいるけど、結構暮らしやすいと思いますよ。高齢者はほとんど全員、理論的には僕のところに住めるわけですよ。

家賃が結構安いんで、年金と釣り合うんで全然住めるはずなんですけど、なんでみんなここにきてないんですかっていう問題があります。ここで必要な視点が、下部構造が上部構造を規定するという視点です。マルクスの考えを利用すると、高齢者を都市に集めようと思ったら、逆に都市以外には住みづらくしてしまうことが必要なんですよ。

高齢者の生存バイアス的なのがあって、高齢者である時点で、頭なんて頑固ですから。スマートシティがいいよいいよって言ったって、来ないんですよ絶対。そういう宣伝に釣られて集まる人は若者である傾向が高いと思うんですよ。

スマートシティがいいよいいよいいよって言っても無駄なんですよ。そうじゃなくて、地方に田舎に、農村とかに高齢者が住みづらくするような仕組みを考えるべきだけど、これ書いてないんだよね。

 

産業の高齢化とテクノロジー

一旦まとめると、2つの論点でこの人が言ってることはおかしいと考えています。この章、超本当ボロボロですよ。免許返納と安楽死っていうのは、人権の制限という点でほとんど同じようなまな板で語られるべきなんじゃないかっていうのが第一の論点で、スマートシティ化で高齢者の免許の問題を解決するためには、農村に高齢者を住みづらくするような仕組みが必要だよねっていうのが第二の論点です。

一応このまま最後まで目を通します。高齢者ドライバー問題から産業事故の解決を図るっていうところがタイトルだけじゃちょっとイマイチわからないんで、ちょっと読んでいこうと思います。結局は自動運転ですね。読み終わりました。これは大したことなくて、自動運転と産業機械も一緒ですよねっていう話をしてますね。この章は意外と重要かもね。産業事故も減らせるよねっていう。逆に言うと、この間、仲本工事さん跳ねられたじゃないですか。ああいう感じで、人間が逆に腹巻きとかに反射板じゃなくて、コンピューターつけて車側がそれを感知して止まるとかね、そういうことができるようになるんじゃないかってことを言ってますよね。東京都新宿区には既に行政がスマートポール計画を進めているのでそんな話です。

産業事故の解決もできるってそういうことで、車だけじゃなくて、色々なものを、今のアイディアって結構落合陽一に言ってほしいようなことですけどね。結構よくないですか。誰かビジネスしたらどうですか。起業したらどうですか。腹巻き型のデバイスと車が通信して、高齢者にはこれ巻いといてって言うわけですよ。そうしたらその人事故らないですよ。っていう仕組みを開発して、これ標準化すると思いますよ、結構。これくらいだったらなりそうじゃないですか?逆に歩行者側からもアプローチできる、そういう話なんですよ。

あとは、産業機械だから…産業機械を、高齢者が事故るなんて当たり前なんですから、これは…高齢者に限らないのか。AIによるテクノロジーで若者も仕事を効率化するでしょう。機械の言うこと聞いているだけでいいんだよ、ということですよ。ウーバーイーツ的なギグワークの効率化をテクノロジーが担うようになります。あまり本筋には関係なさそうな気がします。

高齢化が著しい林業と建設業での対策急務っていうのが最後の章です。林業と建設業は高齢化が著しいですね。林業は第一次産業ですね。対策が急務になってて、どうすればいいんですか?林業がだめになるとどうなっちゃうんですか?もう全部機械で良くないじゃないですか。テクノロジーを導入して、林業とか建設業とかに積極的にテクノロジーを導入しましょうっていう主張ですね。これは別に妥当です。

 

拡張現実こそが重要な革命

全然安楽死の話は出てきませんでした。第二章の全体を読んだ感想としては、林業とかがテクノロジーでもっと変わっていくみたいなのってクソ当たり前過ぎて、もっと医者とかがなくなるっていう話のほうが重要な話だと思っているんで、もちろん林業がうまく自動化するっていうのはいいんですけど、ただ結構例えば、林業だったらどちらかというと、自動ロボットが刈り取りをするという話よりは、どちらかというと林業自体が、木を切る人たちの動きがすごいスムーズになる方で解決されるっていうか、木の育て方とか、切るべき場所とかがすごい楽にわかって、いっきにそこを切るだけとか、そういう感じですごい効率化するっていう風に考えているので、産業機械の効率化はそこまで重要な話ではないと思います。なんなら、林業自体のノウハウもさっき後継者問題云々とかありましたけど、そもそも全ての産業にノウハウは必須ではありません。機械の取扱説明書すらなくなってるんですよ。

普通にネットにアップすれば終わりなんですよ。検索して。これ結構すごい革命で、機械の取扱説明書いらないんですよ。すごい革命なんですよ。型番入力して、極端な話「SONY イヤフォン Bluetooth 不具合」とかで検索すれば出てくるわけですから。説明書なんか取っておく必要ないわけですよ。

普通に起動方法とか。「SONY スピーカー ○ 起動方法」とか言ったら出てくるから、全然説明書いらないんですよね。そういう感じで、説明書いらないってどういうことかというと、仕事を教える必要がないんですね。基本的にマニュアルにしてしまって、ネットにアップすれば終わりですから。そしたら林業のマニュアルの伝授とか、もちろんもっと細かい点ではあるんでしょうけど、これ自体がもっと楽になっていくということですよ。たぶん、林業やったことないんでわからないですけど、どこの木を切るとかが結構毎日大変な問題ですが、全てググればOKです。

車で運転して、今日はあっち行っておくかとかが、結構多分大変なんですよ。あとは、卸すまでにどういう場所に行ってとか、どこのセンターにいくつ卸してとか…直販とかができるようになれば利益率も上がるし、直販でいいじゃないですか。指示された場所に指示された分量だけ持っていくUber Eats方式で、直販とかで普通に出していけばいいって思うんですけど。

本来林業はそういう感じで、合理化するんですよね。その過程で確実にUber Eats的な働き方がめちゃくちゃ流行るっていうのは『超AI時代の生存戦略』で言ってたような気もしなくもないけど、Uber Eats的な働き方ってギブワークが増えるっていう。Uber Eatsみたいに機械の指示をひたすら聞いてこなすだけって、そういうゲーム的労働が多い。多くなっちゃうっていうことがあると思うんですよ。

だから林業もそういうゲーム化するっていうか、Uber Eats化するっていうか、AR化するっていうか、そういう本当は…今ポロッと言っちゃったんですけど、これAR化なんですよ、要は。現実が機械に基づいて動いていくっていうことで、ARなんです。拡張現実なんですけど、機械の上でコンピューターが計算した理想論が実現していくっていう世界観になっていくというか仕事観になっていくんで、林業とかはすごい最たる例じゃないかと思いますね。なので、普通に後継者不足の問題もないし、やりたいやつがやればいいし、そんな極端なことじゃないと思いますけど。みたいな、話とかが広がっていたんだろうなと思って、意外とそっちの話がメインでしたね。

もっと哲学的な安楽死と人権の制限について述べられているのかと思いきや、思ったより肩透かし食らったっていうのが今回の第二章でした。聞いてくださってありがとうございました。

こんな調子で、何章まであるの?第六章くらいまであるんですか。そしたらあと4本撮れるってことで、さようなら。

 

 

 

 

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