倉持秋、登場の謎
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先日紹介した倉持秋という作家。
彼はオリジナルな本を出版した。
だが、思うところがあって。
これは主観の話なので、言いがかりだと断ずる前に応答してほしい。
では、本題。
倉持は私の過去の記事
を読んで、
「形式じゃなくて、中身を評論してくださいよ」
と言った。
此れ即ち、
本書の「パフォーマティブな側面」ではなく、
「コンスタティブな側面」を
評論して欲しいという願望
なのである。
まあ、わかった。
中身はないよ。
ex,ただし,このような本が何冊も出版されたらその際は
東浩紀でさえ、
粉塵に帰すだろう。
なぜなら、倉持の評論は確実に存在するからだ。
中身がないだけで、存在する ――
西田幾多郎に言わせてみれば、
「彼の評論を読んで、どう思ったか。それは彼の評論を読む事自体と関係がない。」
倉持の評論は、既存の批評の補集合に存在するのだ。
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