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2023年5月1日の乾杯

2023年5月1日の乾杯。
ふたりの時間が折り合わず、今回はリモートでお話を。二人が共に観に行ったiakuのお芝居を入り口に、昨今の様々な舞台やイベント、更にはお芝居でなければ表現し得ないことについても語り合います。

👱それではそろそろ始めましょうか。演劇のおじさんと
👩おねえさんです。
👱よろしくお願いいたします。春も盛りというか、もはや段々暑くなってきましたね。
👩そうですね。桜なんかもとうに葉桜で、繁りさえもしていて。
👱紫陽花もうすぐではないかと.
👩そういえば観てきましたよ、三鷹芸術文化センターのiaku『あたしら葉桜』。おじさんの名代で。
👱名代ありがとうございます。だいぶ前からチケットをとっていたのだけれど、その日にどうしても外せない用事ができてしまって、おねえさんにお譲りしたのですよね。まあ、私もべつの回を取り直して観にいきましたけれど。

三鷹芸術文化センター


👩はい。いやぁ、とてもよかったです。
👱私は初演もみているのですが、前回と比べても今回はまず美術がきりっとしていて綺麗だったねぇ。。
👩ああ、そうなんですね。いやぁ、美術はすごくよかった、うん。もうセットだけでね、まだ、誰もいないときから見応えがあるなぁって思った。
👱あの、後方の丸窓もすこくよかったですよね。
👩ああ、よかったですよね。ほんとによかった。美術さんさすが。センスが良いよね、あれ。
👱でね、上手の桜もキリッと閉まった舞台に凄く良い感じで配置されていたし。
👩どっちも好きだったなぁ。
👱はい。
👩うん、どっちも好きだった、2作品あるのですよね。『葉桜』と現代版。
👱現代版というかね。その現代版が『わたしら葉桜』ではなく『あたしら葉桜』っていうところが良いよね。
👩うんうん。
👱あの、後半はほんと関西の母娘やねぇという。
👩あははは。前半の朗読劇の方が、あの、個人的には朗読劇の方がね好みでしたけど・朗読劇の方が好きだったの。
👱ああ、あれは素晴らしいですよ。やっぱり、ふたりとも関西の有名な実力派俳優だし、実際につま先の先まで鍛え上げられたお芝居だったし。
👩そうですね。あとは好み、どちらもめちゃよかった。良かった前提のあえて好みを言うのであればと言うだけの話でどちらもすごく楽しんだから。
👱うん。
👩まあ、私の隣の方は寝ていらしたけれどね。うふふ。
👱ああ、あははは。
👩なんで寝ることができるんやっておもっちゃった、正直ね。これはもう愚痴に近いのだけれど、おうちで寝てこなかったのかなって思うような。歌舞伎的な感じで贅沢な時間を過ごしていらっしゃるのかなぁって。
👱まあ、世の中で一番贅沢な眠りは劇場のS席でオペラを聴きながらだっていう話もあるしね。でも、前半のお芝居って静謐な肌触りの中にリズムがあったよね。
👩ああ、そうだね。それは確かに心地良いという意味では眠りに誘われる要素でもあるのかもしれない。
👱あの、ふたりとも白足袋じゃない。入ってくるときから足袋の動きが。その白さの一歩ずつがちゃんと場の時間を刻んでいるのね、観ていたら。
👩うんうん。心地良く。
👱心地良いということもあるし、なんだろ、体感的に時間が伝わってくる。
👩うん、そうだね。
👱単純に会話をしているだけではない。で、感情の昂ぶりがあるときにはその足袋の白さも際だって見えたりもする。
👩はいはい。
👱で、一瞬ずつの形が舞台上にしっかりと出来ていたじゃない。
👩うん、広がりもあったよね。その場所というだけではなくて、戯曲の中の空間の広さというか、朗読劇だからこその魅力。今この目の前にはないけれど、想像の中でどんどん、こういう景色なのかなぁとか、今窓を閉めたのかなぁとか、そういう細かい機微が伝わってくるというかね。『あたしら葉桜』のほうは、こう前にある空間での会話からほんとに現代というか。それはそれでまたさ、手の届く場所で、目の前で行われているというか、すごく地続きの身近な話として受け取ることができて、良くて。『葉桜』のほうはどちらかというと距離があるからこそこう美しく観られるというか、切なく観られるというか。良さが違うよね。
👱後半の『あたしら葉桜』の方が下世話な感じがするのだれど、でもそこのところの母親と娘の心情というのは元々『葉桜』で描かれたものからちゃんとひっぱってこれているんだよね。
👩うんうん、そうですね。
👱その、互いの相手に対する想いとかね。
👩というか、続けて2本観ることができるのは贅沢ですよね。
👱うん。まあ後半の1本だけでもおもしろいといえばおもしろいのだけれど、まあ元ネタというか。
👩はい。
👱ふっと観ただけではどこが元ネタかっていうはなしもあるのだけれど、
👩うんうん。
👱どこが元ネタだっていう話でもあるのだけれど。前半の舞台のどこにゴキの話がでてくるんだというのもあるのだけれど。
👩あはは。でも、そこじゃないものね。
👱もちろん。そこじゃなくて、母娘の依存関係じゃないけれど、お互いの気持ちとか。反発したりたがいに思いやったりとかいう関係みたいなものが、ちゃんと『葉桜』で観て感動した物が底流となってそのままやってくるから。
👩そうだね。あれ、めちゃめちゃよかったよね。
👱そのあたりはiaku主宰の横山さんがうまく両方をつなぎ合わせて作っているのだろうなぁっていう感じがしたのね。
👩その、なんていうの、朗読の方から観て現代版、私たちがわかるほう、その手に届くというかほんとうに地続きな感覚の届きやすい方をその後に観せてもらうと、より朗読のほうも深まるし。そのなんかタイムスリップというような言葉が使われていたと思うけれど、あれだったか、当パンだったかな、
👱ああ、当パンに書いてあったね。
👩そうだなと思って。私たちにはちょっとわからない、ピンとこない、想像することはできるけれど実感をもってピンとこない良いところが、時代というかね、その時期その時期の心があると思うのだけれど、それがこう触れられるようになる。現代のものを観るからこそああって朗読の方に立ち返った時に触れられるような気がするというのがまさにタイムスリップという感じでとてもよかったです。おもしろかった。
👱『葉桜』という作品自体が、岸田國士先生がお書きになった段階では極めて現代的な話だったと思うのね、その当時としては。それまでは親の決めた縁談に対しては有無を言わさずだったわけじゃない。
👩うんうん。
👱それが、少しずつでも女性の気持ちというのも出せるように変わってきた頃のその変化した結婚観を描いた作品だともおもうのね。それはその頃としてはとても進んだ最先端の風潮の中での話だったのかも知れない。
👩ああ、そうですね。
👱それが、さらに幾重にも時代が進んで、ゴキブリを殺しながら結婚の話をする母娘の日常へと変わっていったわけで。まあ、ジェンダーのことなども今風に変わってね、いろんなことがありながらも結びついていくみたいな今のありようにかわってきたわけじゃない。まあ、横山さんはそれでもこのお芝居の初演のころから世の中の風潮は少し変ってきているとおっしゃっていたけれど、だけどそれでもそれを描いたときの、そして今に近い最先端での母と娘が描かれていて、そこには想い合う気持ちの普遍があるということだとおもうのね。
👩うん、そうだね。
👱その変わらないものが二つのお芝居の重なりの先に描かれているという感じがしたので、よく出来ているなぁって。
👩うん。
👱まあ、終演後は横山さんがそれなりにどや顔をしてお客様を送り出していらしたけれど、そのあたりの完成度には彼も自信を持っているのだと思う。
👩私は作品の余韻を感じたくて、私が観た回にはアフタートークがあったのだけれど、あえて観なかったの。とても良かったから、観たかったけれど、それより自分一人でいろいろと考えたり余韻を感じたりしたかったから。
👱まあ、アフタートークもとても作品からのものを広げてくれるものもありつつ、たまに、その余韻が蒸発してしまうようなものもありますからね。
👩いや、アフタートークが悪いわけじゃなかったのよ。それよりも余韻を感じたかった方が勝ったの。そのあとにいろんなものを入れたくなかった。良い内容とか悪い内容とか私ちょっとわからないけれど、どちらにせよ私は聞きたくなかったのですよね。それはもう好みですよね。
👱うん。
👩舞台がよかったからこそ聴きたいというのも凄く分かるし、やっぱり残っていらっしゃる方も多かったしね。それはそうだろうなぁとも思ったし。ただなんか、なんだろうな。一回自分で自由に考えさせて欲しいんだなぁと思うんだよね。だから、アフタートークをあとで配信してくれっておもう。
👱ああ、でも、たまにあるよね。アフタートークつきの配信というのも。
👩あのね、観た後に合間を置いて聞きたいんだよ、アフタートークみたいなやつって。
👱ああ、なるほどね。
👩観終わってすぐはねぇ。一回自分の中でいろいろと考えたりとか感じたりとか、受け取った物を考える時間、反芻する時間がどうしてもほしいのだよね。
👱でもまあ、今回の作品は割合とわかりやすい部分が多かったからね、そうは言っても。
👩ああ、そうだね。そうだけれど、あとアフタートークで聴いてしまうとね、それが正解みたいな気持ちになってしまうから、
👱うん。
👩自分のちゃんと受け取った物がどうあろうが、その伝えたかったものが嵌まっていようが、それはさ、うけとったものはそうやって事実としてそう受け取ったから。それはそれとしてちゃんと受け取っておきたいというか理解しておきたいのよね。
👱あの、私なんてもういい歳になっているから、けっこうもう頑固じゃないですか、けっこう。だから自分が持つ見え方に対してはそれなりに意固地になる部分もあって、アフタートークを聴いてうんうんと頷くことももちろんあるのだけれど、それはちゃうやろと思うこともしばしばで。こういう見方もあるのねくらいに聴いていることも多い.
👩それは違うだろとか思うときもあるの?うふふ、頑固だねぇ。
👱たまにあるよ。えぇ嘘みたいに思うことも。というか、そもそも私は自分が観た印象を塗り替えられるのが下手なんだよ、きっと。まあ、頑固ともいうけれどね。まあ、なにはともあれよかったよね、iakuは。
👩うん、よかったです。とても。
👱で、ちょっと話は変わるのですけれどね、そのアフタートークも絡んだ話になるのだけれど、このあいだ芸劇イーストでゆうめいの『ハートランド』を観てきたのですよ。
👩ほうほう。

東京芸術劇場シアターイースト


👱観ている一瞬ごとはてもおもしろかったのだけれど、ただ観ているだけでは物語をぎゅっとは掴みにくいというか、なにを表現しているかということを観ている側として整理して受け取ることが難しい作品でね。
👩うん。
👱面白い表現に満ちていて。冒頭から映画仕立てで始まるしね。演劇の本編の前に映画の予告編や広告や映画泥棒の映像まで出てきてね。
👩うふふふ。
👱要は昔映画を作っていた人とその子供のジェネレーションを俯瞰するような話なのだけれど。その時代ごとの感覚とかが切り出されていることは伝わってくるのだけれど、それがひとつの世界としてフォーカスを結ぶためのいろんな寓意がうまく消化しきれないみたいなことを感じながら観ていたのね。
👩うんうん。
👱終演時には描かれていることが混沌としているというか綺麗に自分の思索におさまらない部分があっていろいろと反芻をしてみたりもしていたわけ。
👩はい。
👱そこで、アフタートークな訳ですよ。演劇ジャーナリストの徳永京子さんっていらっしゃるじゃないですか。私がチケットを予約したときにはアフタートークのない回だったのだけれど、急遽スケジュールが追加されたみたいで。彼女の演劇を観る力についてはとても信用しているので劇場でその掲示を見て凄く楽しみにもなったのだけれど。
👩うん。
👱で、彼女のお話で、自分のなかでばらけて息づいていた舞台の印象が、綺麗に繋がった世界としてフォーカスを結んだのね。聴いていて途中から舞台のいろんなシーンの記憶に裏打ちが与えられて。なるほどって思うことが何度もあったものね。
👩へぇ、
👱やっぱり彼女の舞台を観たり感じたりする力ってまっとうで非凡なんですよ。私には体系立てることが十分叶わずにいろんな印象として残っていたことが、彼女の作品の骨組みみたいなことの説明で支えてもらえると、しっかりと組み上がるというか世界として形を与えられて膨らむんだよね。
👩うんうん。
👱私も観ていて彼女がおっしゃっていることをまったく掴んでいなかったわけではなくて、要所要所やいろんな表現に込められた寓意なども一部は受け取ることができてはいたのだけれど、だけどそれらに対する確かな骨組みを持った説明をしていただけると、記憶の重なりに歪みがなくなり新たに世界がフォーカスを定めて浮かんでくる。
👩はい。
👱その先で彼女が感じたことに全て染められたかというとそういうわけでもなくて、自分の倉庫にしまってあるいろんな記憶や感性と舞台の世界が交わって、自分なりに思うこともとても多かった。ただ、彼女に共感するにしても、彼女と違った感想を抱くにしても、そう思えるための場所にまで導いてもらえたのは間違いがなくて、彼女が作品に対して語ったことが広げてくれた視野もあって、よい評論家の存在というか言葉を伺うことの値打ちがわかった気がした。
👩なるほど。
👱作品自体の話に戻ると舞台の最後もね、エンドロールが出るのよ。
👩えぇ?
👱で、エンドロールが流れ尽きてそのままお芝居が終わってしまうのね。カーテンコールもなくて。
👩うん。
👱そうして、全部を映画の枠組の中に押し込めるのだけれど、というか冒頭に映画から歩み出してきて最後で舞台の世界が全て映画のなかに納められてしまっているのだけれど、でもその中にはそれぞれの時代とかそこに生きた人の感覚とか今と昔とかそういうものが立体的に浮かんでくるというところまでは感覚的に掴んでいたのよ。
👩はい。
👱でも、それらは居場所を定めずなんとなく揺蕩っていたのだけれど、徳永さんのアフタートークを伺って、視座を与えられ作品が形を為して残ったというか。
👩うん。
👱徳永京子さんもこの公演での2回目のアフタートークだったみたいで、一度目では言い足りなかったことがあったみたいなお話もされていたから、その世界についてはきっちりと述べたかったろうなぁとも思うのだけれど。
👩ああ、なるほどね。
👱まあ、アフタートークの全てがそうだとは限らないけれど、ああいうアフタートークならいいなぁというかありがたいなぁと思って。作品自体もすごくよかったけれど、アフタートークにも感心してしまいましたね。
👩うん。
👱まあ、これまで彼女が新聞などに書いている劇評などを読んで的確だなぁと思っていたしね。
👩ああ。
👱観ていない舞台でも興味を惹かれることが多いし、自分が観た作品だとやっぱり彼女の視線で観ているなと思うし新たな気づきも多いし。アフタートークがそういう方がやるとヤッパリ良いのですよ。もちろん、いろんなアフタートークがある方が豊かだとはおもうけれどね。
👩うふふ。いや別に私、重々言っておくけれど、勘違いしないでください、私アフタートークはどれも良いと思っている。
👱ああ、はい。
👩なんか、いいんだよ、自分たちがやりたくてやっていることだし、万一聞きたくなければ聞かなければいいんだもの。
👱あはは。
👩すごく乱暴な言い方をしますけれど。でもだから選択の自由があるじゃない。
👱もちろん。
👩勝手に期待しているだけだもの。
👱うふふふ。
👩だし、どれも本当だからと思うの。善し悪しで言える物ではないというか、どれも良いと思う。ああ、どれも良いというのは違うかな、どれも立派なアフタートークだとおもう。
👱ただ、おねえさんもおっしゃっていたように、作品によってはアフタートークを聞きたくなくてそのまま帰りたいという気持ちもわかる。私にもたまにあるから。作品自体にほかのものを入れないで自分の物にしたいみたいな気持ちになることもあるからね。
👩うんうん。
👱まあ、観劇の後っていろいろで、とにかく誰かにはなしたくて知り合いを見つけて飲みにいきませんかとなることもあるし。そのあたりはケースバイケースなのですけれどね。
👩はい。
👱「ゆうめい」という団体がけっこう評判になっているのは知っていたのだけれど私は初見で、なにか今回の舞台はそれまでとまた違った作風でもあったらしいのね。アフタートークの時に主宰の方もおっしゃっていたけれど。でも作品としてアフタートークを聞く前の混沌の残る時点でもとても面白くは思えたし、ここのお芝居はまた観に行きたいなと思った。表現の仕方とか拾えた寓意を振り返ってみても広がりとか切っ先があって楽しかったし。
👩そうなのですね。
👱はい。
👩それはよかったですね。
👱はい。あとね、また話はかわるけれど、ムケイチョウコクを観にいきました。『反転するエンドロール』という作品を。

東中野 Space Cafe ぽれぽれ坐


👩ああ、はいはい。どうでした?
👱うん、とても面白い体験でしたよ。劇場ではいつも椅子に座ってみているものが、その空間の中を動き回れるというのは確かに新鮮で。チケットには登場人物チケットと傍観者チケットがあって、私は傍観者チケットで参加したのだけれど、
👩はい。
👱登場人物チケットのかたはいろいろと出演者との会話にも参加していて、そのあたりは傍観者になってそこにいるとインプロをみるような感じもあってね、物語への取り込まれかたが良い意味で一線を越えた感じなのだろうし、演じる面白さもあるのだろうなぁと思った。ただ、私みたいな性格の人間にとってはそれが物語を楽しむ上での負荷になるような気もして。
👩うんうん。。
👱ましてや登場人物になってしまうとその場所から動けないわけで。その役を演じるわけだからね。
👩そうね、なるほどね。色々と観ることができないと。
👱そうそう。演じる楽しさはあるのかもしれないけれど、いろいろな角度からは観ることができない。一方で傍観者は空気と同じだからどこにでも動くことができて、聞きたい台詞はこそこそ話まで、それこそ1m以内の距離で聴けるし、
👩うふふ、凄いね。
👱物語を眺めることも、登場人物が小道具に持っている資料をのぞき見ることもできて。そうやって観ることでの空間や時間へのライブ感もあるし。
👩うんうん。
👱まだ公演中でもあるし、中味は秘密だけれど、話の内容というか仕掛けには割合と早い時点、70分とか80分の上演時間なのだけれど始まってから15分くらいで気がついたのね。でも気がついても気がついたなりにいくつかの要素がそれぞれどういう風に解けていくかというのも凄く面白くて。その上での顛末の終着点もしっかりとあるしね。
👩ほう。
👱それはもう作る方は超大変だと思うけれど。なんというか、舞台みたいに見せる部分だけを照明で浮かび上がらせるみたいなことも出来ないし、会場の隅から隅まで物語を作り込み歩ませ続けていかなければいけないし。でも観ている方は傍観者であってもその物語の内に存在していることのワクワク感というのはあって、登場人物はますますのことだろうし、今までに体験したことのない演劇であることには間違いないよね。
👩いいな。興味はすごくある。
👱また、おねえさんみたいに「俳優」というスキルをお持ちだと、スキルを持って物語に参加して演じると言うことの面白さも更にあるのかもしれないし。それは私にはわからないけれど。
👩うん。
👱観終わって物語を受け取った達成感もちゃんと残ったしね。それもすごくよかった。また、いっときほどの規制もなくなっていて、終演後には俳優の方達とお話などもできたのね。で、いろいろ大変だけれど面白いみたいな話もされていたから。まあ、今回の物語だけではなく、ここからいくつかのパターンが出来たり物語を作ったり新たな進化が生まれたら、これはこれでひとつの文化というかジャンルとして更におもしろくなっていくのだろうなぁとも思ったし。
👩はい。まあ体験はねぇ。体験物はいろいろに増えているけれど、舞台でもそういうものが増えていくと私は楽しいなぁ。
👱観客が自由に動き回れるということで言えば、昔New Yorkで『Sleep No More』という作品を観たけれど。
👩はいはい、存じております。
👱あれも、建物をまるごと改造して、そのなかで様々な風景を俳優達が演じて、観客が歩き回っては演劇上のいろいろなことを体験していくというやり方だったけれどね。
👩あれは観にいきたかったけれどね。流石にNew Yorkはちょっと無理。
👱確かにちょっと遠かったけれどね。ただ、少なくともあれにはムケイチョウコクみたいに観客が物語に介入して、インプロみたいに台詞を語るという仕掛けはなかったからね。物理的なスケールという点では『Sleep No More』に比べて遙かに小さいのだけれど、物語を歩き回る密度や体験の深さという点では今回の作品の方が遙かに高かった。
👩うんうん。
👱そういう意味でも、また一つ進化したやり方だったのではという気がしたし。この団体はまだまだなにかやってくれるのではないかと楽しみになりましたけれどね。
👩期待してしまいますよね。
👱ところで、おねえさんは最近なにか体験したことってありますか?
👩いやぁ、やっぱり『あたしら葉桜』を観たのが大きかったかなぁ。ほかには・・。まあでもあんまり動けていないですねぇ、最近。
👱私は青年団の『ソウル市民』を観て参りまして。二度見もしたのですけれど。そうそう、青年団の志賀廣太郎が亡くなったじゃないですか。
👩はいはい。あと同じく俳優の大塚洋さんも暫く前に亡くなられて。青年団はコロナの期間に二人の名優を失ったのだけれど、そのお別れ会がありまして。観客も参加できるということで足を運ばせていただきましたよ。

こまばアゴラ劇場


👩へぇ。
👱2階の劇場に花をいっぱいに飾られた祭壇があってお二人の遺影が置かれていて。二人のご出演になられた舞台とかの映像も流れていて。中には私が観た舞台もあって、そういうのを拝見するとお二人が亡くなられて舞台に立つこともないということが嘘のようにも思えたりして。また、映像に加えて彼らの遺品や資料なども展示されていて、そこには私がお芝居をたくさん観出したころのものもあって。そうすると、当たり前の話なのだけれど、私が舞台を観続けていた時間に、彼らはずっとお芝居を続けていたのだなぁみたいな感慨も降りてきて。そうして、俳優達が人生として過ごしたお芝居の時間のボリューム感みたいなものやそこに生き続けたふたりの遺徳なども偲ばれて。
👩うんうん。
👱良い舞台をたくさん見せて頂いたあぁとか感謝もあって。なんか、いろんなことを考えながら帰ってきましたけれどね。
👩うふふ。
👱ひとつ凄いなぁとおもったのは、いうても演劇関係者のみなさまのやることだから、ちょっとした美術や装置を作るのはお手のものみたいで、劇場から出る手前のところにマネキンを2体ならべて衣装を着せてお二人の顔写真をくっつけて立ててあるの。で、そこでふたりと記念写真をとれるようになっているの。
👩えぇ。
👱私は俳優でもないし、ご一緒に写真を撮らせて頂くのは少々気が引けたのだけれど、どうぞどうぞって勧められて、私もお二人の間に立たせて頂いて記念写真をとってきましたけれどね。
👩うふふふ。満足しているじゃないですか。
👱なんかそのあたりにも、なんだろ、それは一種のウィットでもあるし、観客も含めて彼らの舞台に拘わりたくさんをもらった人の気持ちに寄り添ってもいるし、ちゃんと心に刻まれることでもあるし、ああいうも良いなって思いました。
👩それはよい経験をしましたね。
👱うん、行って良かったと思う。で、その会はアゴラ劇場で二人も過去にご出演されていた『ソウル市民』の公演が終わったすぐ後でね。その『ソウル市民』も観たのですが、それと同じ時期に詩森ろばさんが作・演出をされた流山児事務所の『キムンタウリOKINAWA 1945』も観たのね。
👩あぁ、はいはい。

こまばアゴラ劇場
ザ・スズナリの掲示板(劇小劇場外壁)

👱でね、どちらも日本人が無意識に抱いていた偏見や差別の感覚みたいなものが内包されていて、『ソウル市民』の場合は日韓併合前夜の日本人のありようや朝鮮人との距離感や意識が時にコミカルにすら思えるような日々の生活の中に描かれているし、『キムンタウリOKINAWA 1945』はアイヌの人も沖縄の人もみんな日本人として沖縄で戦ったという話なのだけれど、そこにも日本人が抱いた偏見や差別が描かれていて。20世紀初めに大阪で学術人類館と称してアイヌや沖縄の人を展示物にしたという事件があって、それをモチーフに知念正真さんが書いた『人類館』という戯曲がとりこまれているのだけれど、でも、そこにはシニカルではあってもまったく教条的な匂いはなくて、重くて暗くてみたいなこともなくて、最初はそうして描かれるそれぞれの時代の当たり前に、良心の痛みや居心地の悪さや違和感があるのだけれど、なんだろ、作品にはそれを凌駕するような淡々とした部分やダークなウィットや明るさや諦観もあって、場面によってはミュージカル的なグルーブ感すら醸成されていてね。
👩うんうん。
👱でもね、それをバイアスをかけて暗くあるいは黒歴史のように表現すると、その暗さに、あるいはそこから引き出される良心の光に眩んで見えなくなってしまうような人間が本来持っている物があり、それが明るさにおびき寄せられ晒されたような印象があって。
👩ふーん、うんうん。
👱それが面白く興味深くて。まあ、面白いなんて言ってはいけないのだろうけれど、それは演劇だから為しえた表現だし訪れたものだとも思うのね。もしそれをテレビでやろうとしたら、きっと今の放送コードだの倫理委員会だのにバシバシ引っかかる気かするのですよ。
👩うん、そうだね。
👱でも、あの語り口をすることで、人間が自ら気がつかずに持っているものが意外にも浮かんでくるのだなと気がついて。で、詩森さんもその『人類館』という戯曲がもっているものにインスパイアされて観たいな話を終演後のカーテンコールの時に流山児さんもおっしゃっていて。また平田オリザさんの描き方の根底にも形こそ違うけれどおなじような企みを感じて。
👩うんうん。
👱それを暗い側にバイアスを掛けるのではなく、日常の生活に寄り添って織り込むことで、あるいはむしろありのままに表現することで、観る側がはっとしたり気づくものがあるのだなと思って。それは、意識して観るということもないのだけれど、でも観ていて踏み込んできて心に残り気づくことができたから、それは演劇のやり方だし、他の表現にはない武器だし力があるのだなぁって思った。
👩はい。
👱ある種の勇気は要ると思うのですよ。そういうやり方をするというのは。
👩そうだね、だいぶね。いや、どこでもこう窮屈になって、いや窮屈というよりなんていうのかな、今いろんなことが固まっていないときだから。成長しようとしている成長痛みたいなもので、いろんなことがね、まだはっきりとみんながそういう風に、こうなんだ、デリケートなところに対して、どういう物に対してもね、まだ成長途中、考え途中みたいな、みんながみんな同じ考えをもっているわけではない、それはもちろんいつだってそうなのだけれど、でもなんか、はっきりしないみたいな時だけれど、だからとにかく注意しなければいけないみたいになっていて。出来なくなっていることとか敏感になるところも多くなるし、実際問題私も生きていてうんっ?っとなるところも気をつけなければとおもうあまりいろんな所に敏感になっている自覚があるんですよね。でも、だからこそ、考えなければいけないことはいっぱいあるけれど、舞台という、演劇という、劇場という場所でまだそれがチャレンジできるというか残しておいてくれていること、今そこでしかできないことであってくれている、戦ってくれている人がいるということはとてもありがたいことだと思うけどね。
👱そうなんだよね。それがしっかりと踏み込めないとか意図しているわけではないにしても隠れてしまうということは良くないことだと思うのね。良くないっていうか、やり方によっては隠れてしまうものってあるんだろうし、それがさらけ出されることによって生まれる気づきも大切なことだと思うし、たとえば今回の流山児事務所の舞台を観るまでは、アイヌの人も沖縄の人も同じ日本人という意識しかなかったし、ああいう描き方をしてもらえなければ、そこには歴史かあってこちらにはわからないけれど痛みを持っている人達がいるということを概念でしか理解し得なかっただろうけれど、なんだろ、自分の実感としてというかその根底からやってくるものがあったというのはああいう風に描き出された舞台の力だったと思うのね。
👩まあ私が観ることができていないからね、ああいう風にというのがどういう感じだったのかを感覚で掴むのは難しいのだけれど。申し訳ない。
👱いえいえ。でも、平田さんにしても詩森さんにしてもそういうことがしっかりと出来る演劇人なのだなぁとおもったけれどね。
👩うん。なんかでもそういう風に聞くと、演劇が存在する意味ってしっかりあるなぁと。今だからこそまた再確認しますね。
👱というか、いろんなモラルみたいなものが、今普通に崩れてきているじゃない、良しにつけ悪しきにつけ、ここ何十年かで。良いと思うこともあるのだけれど、プーチンさんみたいに最悪なこともあるしね。
👩まあまあ、はい。
👱「隣の国を攻めちゃお」みたいなことを平気でやるわけじゃないですか。👩でも、それはあれだよ。何万人ものというかとんでもない数の命が失われていることに対して鈍感でいてはいけないよ。鈍感でいてはいけない。そうやってなるのは、やっぱり他人事だよ、そうやってなるのは。命だから。
👱もちろんそれは重々承知しているからこそ、モラルが崩れたなという気がするのだけれどね。
👩ああ、そうだね。
👱あれがおおっぴらに為されるというか許されてしまうということに対してね。もちろん演劇にはいろんな力があるけれど、そのどれもが失われるべきではないとおもう。
👩いや、再確認。舞台、劇場がある意味みたいなものが、残ってきた理由みたいなものもあるし、感じるしね、昔から。良い舞台たちの話が聞けて嬉しいですよ。
👱はい。
👩ということで、今日はこんな所ですかね。
👱そうですね。あと今後のお勧めとして、えーとねぇ。ああ、そうだ、今回の岸田國士戯曲賞は金山寿甲さんと加藤拓也さんが受賞されたじゃないですか。
👩はいはい。
👱金山さんが取られたのは舞台を観ているから特にそうなのかもだけれど、『パチンコ(上)』という作品がきちんと戯曲賞の枠組みで評価されたのがとても力強く感じてうれしかったです。東葛スポーツはそのあとの『ユキコ』にも見入ったし。
👩ああ、そうですか。
👱それで、もうひとりの受賞者である加藤拓也さんが主宰をされているた組の公演が今月あって私はそれも観に行きたいなぁって思っているのね。芸劇イーストで『綿子はもつれる』という舞台なのだけれど。
👩なるほど。
👱あと、お勧めとしては『道学先生』の公演がありまして。鈴江敏郎さんの戯曲を上演されるみたいで。鈴江敏郎さんはご存じですか?
👩ああ、聞いたことがあるかな。
👱彼の戯曲を上演されるということで、面白そうだなぁと。
👩うん。
👱それと、もうひとつ、私もつい最近まで知らなかったのだけれど、八王子にスペースM&Aという演劇が出来るスペースがありまして。まだ新しいところなのですけれどね。キャパは多分40~50だとおもうのだけれど。
👩へぇ。
👱そこで「疾駆猿」という団体が公演をされるので観にいこうかなと思っています。脚本・演出の佐藤信也さんがとても切れのよいというかドライブ感のある舞台を作られる方で、個人的にはとても上質なエンターティメントだとも思っていて、「疾駆猿」としての公演はコロナ以降見ることが出来ていないので観に行けたらなぁと思っておりまして。こちらもお勧めです。
👩公演の情報はいつものように↓にのせておきましょうね。
👱はい。さてと、それでは今日はこのくらいにしましょうか。
👩そうですね。
👱それでは演劇のおじさんと
👩おねえさんでした。
👱また、次回もよろしくお願いします。

東京芸術劇場

(ご参考)

・iaku『あたしら葉桜』
2023年4月15日~23日@三鷹芸術文化センター星のホール
脚本: 横山拓也
演出: 上田一軒
出演: 林英世、松原由希子(匿名劇檀)

・ゆうめい『ハートランド』
2023年4月20日~30日@東京芸術劇場シアターイースト
脚本・演出: 池田亮
出演: 相島一之、sara、高野ゆらこ、
児玉磨利、鈴鹿通儀、田中祐希

・ムケイチョウコク『反転するエンドロール 2023』
2023年4月21日~5月20日@space caféポレポレ坐
構成: 今井夢子
演出: ムケイチョウコク&All cast
出演: 大塚由祈子(アマヤドリ)、生田麻里菜(キャラメルボックス)、
望月光(疾駆猿)、手島沙樹、池田レゴ(ClownCrown)、
遊佐邦博(大統領師匠)、小島啓寿、村上ヨウ(豪勢堂GLove)、
山本美佳、小林未往、市川真也(マサオプション)、
窪田道聡(劇団5454)、佐野功、塚越光、
AGATA(ProjectUZU)、藤田祥
(回ごとに異なったキャストの組み合わせ)

・青年団『ソウル市民』
2023年4月7日~27日@こまばアゴラ劇場
脚本・演出: 平田オリザ
出演: 永井秀樹、天明留理子、木崎友紀子、
太田宏、田原礼子、立蔵葉子、
森内美由紀、木引優子、石松太一、
森岡望、新田佑梨、中藤奨、
藤瀬のりこ、吉田庸、名古屋愛、
南風盛もえ、伊藤拓、松井壮大

・流山児事務所『キムンウタリOKINAWA1945』
2023年4月6日~23日@下北沢 ザ・スズナリ
作・演出: 詩森ろば
出演: 塩野谷正幸、伊藤弘子、上田和弘、
甲津拓平、里美和彦、山下直哉、
荒木理恵、五島三四郎、竹本優希、
本間隆斗、山川美優、龍昇、
かんのひとみ、杉木隆幸、浅倉洋介、
三上陽永(ぽこぽこクラブ)、福井夏(柿食う客)、
工藤孝生、鈴木光介(時々自動)
(Okinawa 2部作 1945↔1972「キムンウタリOKINAWA1945」「OKINAWA1972」の一作品として上演された)

(今後のおすすめ)
・劇団た組『綿子はもつれる』
2023年5月17日~28日@東京芸術劇場シアターイースト
脚本・演出: 加藤拓也
出演: 安達祐実、平原テツ、鈴木勝大、
田村健太郎、秋元龍太朗、天野はな、
佐藤ケイ

・劇団道学先生『宇宙の旅、セミが鳴いて』
2023年5月17日~5月24日@新宿シアタートップス
脚本: 鈴江俊郎
演出: 青山勝
出演: 中村中、尾身美詞、浅野千鶴、
月海舞由、鈴木結里、稲葉佳那子、
佐藤正和、速水映人、青木友哉、
川合耀祐、本間剛

・疾駆猿『VAGUENIGMA -Two Detectives Act2-』
2023年5月25日~6月4日@八王子 スペースM&A
脚本・演出: 佐藤信也
―明地百華のお節介目モアーズ【締糸】―
出演: 清水那奈子、塩原奈緒、南沢泳
大山カリブ、小沼枝里子、東達也
木村圭介、れいちぇる井上、辰巳真有加
藍葉舞、森本圭吾、長門佳歩
林真由美、音野暁、
―重圧世代の彼方此方アイデンティティー
出演:石塚みづき、澤田圭佑、名倉周
山本真夢、妻木尚美、堀健二郎
原澤彩、末続祐幸、桜井ゆるの
門田拓真、田村美夢、高須すみれ
望月光、三浦沙織、牧野純基
声の出演:松木わかな


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