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東京・上野の森!石川九楊展に行ってきた!!

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左:書道家タケウチ 右上:書道家板谷栄司with鯖大寺鯖次朗 右下:ジャズギタリストタナカ


現在東京上野の森美術館で行われている、石川九楊氏の大展覧会に行ってまいりましたので、今回はそのレポ!

▼「石川九楊大全」展
前期展 【古典篇】2024年6月8日~30日
後期展 【状況篇】2024年7月3日~28日
※筆者は後期展のみ伺いました。


この話のYouTube版はこちら↓↓↓


石川九楊という人


1945年 終戦の年に福井県今立町に生まれる。
木村蒼岳塾(5歳~)、杉本長雲(8歳~)に学び、中学で垣内楊石に師事。
1963年 弁護士を目指し、京都大学法学部入学。書道部にも入部。研究誌も刊行。
1978年 大学卒業後、10年余り会社員を経て、書道家となる

2000年 京都府文化功労賞
2002年 毎日出版文化賞、日本文化デザイン賞
2003年 京都新聞大賞文化学術賞
等を受賞。2021年には京都市文化功労者となっている。

その後は、個展、作品集発行、書物執筆・出版、大学での教鞭、テレビ出演など、超精力的に活動。2024年現在、御年79歳!!

今回の展覧会の作品数等を見ても分かるのですが、とにかく気力体力がおばけのようなお方。それでいて、夥しい数の書籍(歴史、書論や教則本など)を出版しています。現在売られているものだけでも数十冊、絶版や自ら刊行していたものを含めるとおそらく100冊以上出版されているのでは。さらに新聞の連載も持っているなど・・・!

とにかくシゴト量が凄い、凄すぎる・・・!一体いつ寝ているのか!


作品は現代的。書道家+評論家という稀有な存在


石川九楊氏と言えば、所謂書壇からは距離を置き、自らの表現を生み出すべく常に新しさを求めて現代的な作品創作を行っているイメージ。

文筆の面からしても、書のみならず、文化全般への独自の論考をされています。

書道家は文字・文章を書くため、時折文章自体を書けると勘違いされがちですが、書道家でまともな文章を書ける人というのはかなり稀有だと言ってもよいでしょう。

石川九楊氏は、気鋭の書道家であるとともに文筆家・評論家でもあるとても稀有な存在。ましてや詩的なものではなく、学術的なものとなればさらに稀有。石川氏は貴重な存在であります。

筆者が思うに・・・
書道は、書道について専門家が熱き議論することが無いことが、衰退(というかお習字以外が一般的にならない)の元凶の一つであると筆者は思っています。それは書道家本人(私も含め)が書道についての論考を怠り、その結果、今や書道をやらない人で書作の鑑賞眼を持つ人がほとんどいないという状況をも作ってしまったのではないかと思います。
自分は書道をやらないけれど書道愛好家です!という人が増えてほしい・・

新しい紙面、見たことがない紙面


筆者も書道家の端くれとして意識しているのは、「今までに絵としても見たこと紙面」であること。何が書かれようとも、書はぱっと見においてはその紙面が全てです。そこを文字を使って紙面を埋めたり埋めなかったりするのが書道家のシゴト。

今回の展覧会では、石川氏はまさに「新しい紙面、見たことがない紙面」を目指して書作を続けているのではなかろうか、とひしと感じました。

・線の太細
・文字の大小
・滲み掠れ
・墨の濃淡
・紙の色
・紙の大きさ
・書体の使い分け
・字体のニュアンス
・消し(後から書いたものを上から線で消す)
・図や絵との融合
・縦書き横書き(斜め書き)
・行間、字間のあり方
・余白のあり方
・はみ出し

これらの書道の要素のそれぞれを全て実験するがごとく、超拡大して現前の紙面に創っていったのが石川氏なのではないかと思います。

石川氏ご本人は、書は文学である、とおっしゃっており、つまり書かれる文言を最重要に考えているという発言かと思われます。しかし、作品を拝見するに、言葉の影響も受けつつも、石川氏は紙面上の”良さ”に徹しているのではないか、という気がしてなりません。


今回の展示で気に入った作品


今回の展覧会では前期の古典篇と後期の状況篇に分かれ、筆者は後期のみ拝見しました。1060年代の初期の作品から、2020年代の最近の作品まで膨大な作品数がありました。

「図録 石川九楊大全」という分厚い作品集を手に入れました。垂涎もの!

「エロイエロイラマサバクタニ又は死篇」

1980年(69×8595㎝)
約85m!!!!そんな作品他にあるのだろうか。この作品は大きな巻物のように横に延々と続いていくため、床の低いところに斜めに展示がされていました。
石川氏は「書は文学」という言い方のほか、「書は音楽」とも言っています。この作品については本当に「交響曲」のような起承転結がありありと感じられる作品です。
パーツごとに書風を変えていき、一つの作品としてまとめ上げている。
書道家としての手数を存分に披露している策士!あっぱれ!


「二〇一一年三月十一日 お台場原発爆発事件」

2012年(60×95㎝)
石川氏の作品と言えば、この世界地図のような画面を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。この作風については1990年代からあるようです。
私は以前、これらの作品を見て、石川氏はてっきり抽象表現に傾倒していったと思っていました。しかし、今回本物の作品を生で間近で見てビックリ!なんとこれ、基本的に全部文字を書いているではありませんか・・!ふつうの文章(これは石川氏の3.11の際の原発爆発に対する意見)が書かれているのです!(現地には全文テキストがありました)
※上から書かれている?シャッと縦横無尽に走る線は文字ではなさそう。

河東碧梧桐「櫻活けた花屑の中から一枝拾ふ」

2020年(24×34㎝)
次は2020年のコロナ禍で始まったシリーズ、河東碧梧桐の109句を全て書にするというもの。句のイメージの絵を描いたのではなく、これも全て文字(この作においては四つ割りの枠組みは文字ではない)。
筆者はこれ、ほとんど文字として読むことができますが、皆さんは読めますか?古代文字や篆書体の要素が多用されています。ひらがなはちょっとやりづらい、、みたいな石川氏の声が聞こえてきそう。

そのやうなこといふて二日灸せずよ

2020年(34×24㎝)
こちらも河東碧梧桐の109句のうちのひとつ。沢山見ていると、石川氏の文字の作り方が大方分かってきます。そうすると俄然文字が読めてくる・・・!
よく分からない書を「絵的に見れば良い」というのはそうなのですが、でもやっぱり「字であるなら読みたい」というのが普通の心情ですね!「読める喜び」を味わうにはとても楽しい作品群です。


抽象ではなく、ずっと文字を書いているのでは


篠田桃紅(1913-2021年)のように、ある時から書的表現の抽象作品に転向したのかと思っていた石川氏でしたが、もしかすると、一貫してほとんど文字を書いているのかもしれません。筆者にも一切読み解けない作品もあるので何とも言い難いところですが、ほんの一部以外は、真っ向から文字を書いている、のだと思います。

ちなみに、文章は基本的に右上から書き始める普通の縦書きであることも今回分かりました。

「どこまでが文字か」という探求と、それを使って画面を構成すること、という点において、僭越ながら筆者が書作で試みていることの究極奥地まで行っているのが石川氏なのかも、と思ったりもしました。そして誠に僭越ながら、石川氏が作ろうとしている文字による紙面が手に取るように分かるような心持がしました。


いや、ホントに、スゴイものを観ました。見て良かった!楽しかった!凄かった!同じ書道家として、とっても刺激になり、励みになりました。

未見の方は7月28日(日)までに上野の森美術館まで急げっっ!!!



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※毎週火曜19時更新


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