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ドンキのポップ職人さんに嫉妬。スゴい文字職人! - ロゴ、ロゴタイプ、ロゴマークと書道の関係。

こんにちは。お字書き道TALKSです。このnoteでは、字にまつわるあれこれ様々をざっくばらんに記録していきます。YouTubePodcastもよろしくお願いいたします。

さて、今回は「ロゴタイプ」のお話。

書道=ロゴタイプ制作

と言うお話です。等式を書いてしまう。するとロゴタイプ制作のことがわかったとしたら・・・書道のことが完全に理解できた(?)


著者作品集



前回までのあらすじ


前回は宮沢賢治「銀河鉄道の夜」ジョバンニくんの回でフォントとタイプフェイスの話をしました。フォントはかつてのタイプフェイスの意味を乗っ取った。

というややややこしい話(やややや)

そして現在では「フォント=文字デザイン」の意味で使われることがほとんどだけど、もとは違ったよと言うお話。

おさらいをしておくと、活版印刷時代にはフォントおよびタイプフェイスという言葉は、次のような意味で使われていました。

フォント ⇒
タイプフェイス・文字サイズ・斜体・太字などの印字される文字の持つ要素全体を指す。

タイプフェイス(書体)⇒
デザイン設計された印刷用文字の文字そのもの。金属。

この記事を読んだ方からTwitterでコメントをいただき、「ロゴタイプ」という新たなワードが挙がってきました。


今回は「ロゴタイプ」について考えてみたくなったぞ!


の前に!前段として。

以下の記事に目を通してから続きをお読みいただけると、話全体のイメージが掴みやすいと思いますので、よろしければ是非ご一読ください。↓↓↓

ドン・キホーテのPOPライターさん。ホントすごいです。
わたしにはとても出来ない・・・

筆・墨・文字しか使えないし・・・


ロゴタイプとは

ロゴ/ロゴタイプ/ロゴマーク/エンブレム


先に、「ロゴ」の歴史を少しだけ。

「ロゴタイプ」は耳慣れなくとも、「ロゴ」は一般的に使う言葉だと思います。企業ロゴとか商品ロゴとか。それらを象徴するマーク全般を指して「ロゴ」と言います。

一説によれば、ロゴは紀元前2300年前(日本は縄文~弥生時代くらい)の古代メソポタミアで、「円筒印章」としての利用があったそうです。「円筒印章」は円筒の側面に文字や図を彫ったもので、これがロゴの起源。その用途は明らかではないようですが、自分を示す何かだったり、商売上の証拠として押印されていたのではないかと言われています。

相当昔から、人類にはロゴ的概念があったのですね。


次に、ロゴ界隈の言葉の整理を。

・ロゴ(マーク全体)
・ロゴタイプ(文字だけ)
・ロゴマーク(マーク、図だけ)

これらは時代とともに変容することもある。
また各社複数のロゴ(ロゴタイプ、ロゴマーク)を持っていることも。

「ロゴ」という言葉は、マークだけ、文字だけを指すこともあると思いますが、ここでは、ロゴマーク+ロゴタイプが合わさったものを「ロゴ」と呼んでおきます。


また「ロゴマーク」と似たような言葉に「エンブレム」があります。

賭博黙示録カイジ - ベンツのエンブレムをもぎ取るクズ

「エンブレム」は簡単に言えば象徴や象徴的文様のこと。ここで言う「ロゴマーク」とほぼ同じ意味と言って良いでしょう。特に車において「エンブレム」という言葉を用いることが多くありますが、少し違いがあるとすれば、主に次のような感じでしょうか。

「エンブレム」は、何か概念や人や物を象徴として表すのが目的。
「ロゴマーク」は、企業や商品のイメージの広告宣伝やPRが目的。


改めて、「ロゴタイプ」とは


もともと「ロゴ」はギリシャ語の言葉という語源に由来していて、「タイプ」は活字という意味です。活版印刷時代に、会社名などの固有名詞を一つの活字(タイプ)として扱ったことから、「ロゴタイプ」という言葉ができています。もちろん現代においては、金型のある活字のみならず、デジタルデータのそれも「ロゴタイプ」です。

そして、かみ砕くと。

「ロゴタイプ」は、
文字デザインをレイアウトしたもの、
つまり文字のみを用いた完成形の図案

と言えます。

このロゴタイプによって、企業は名前をデザインごと覚えてもらったり、イメージなどを皆に認知してもらうというわけです。ロゴは時代によって変わっていくこともありますが、イメージ戦略から基本路線は変えずに踏襲していくことが多いと思います。


書道って筆文字でロゴタイプを作ってる


ふと思ったのですが「書道作品を作ること」は「ロゴタイプを作ること」ではないだろうか・・・?!

「ロゴタイプ」は、
文字デザインをレイアウトしたもの、
つまり文字のみを用いた完成形の図案

「書道」は
文字デザインをレイアウトしたもの、
つまり文字のみを用いた完成形の図案

「ロゴタイプ」の箇所に「書道」を入れてみましたが、どうでしょうか?成り立つ気がします。だって両方とも同じものを作ろうとしている。


書道ってなあにの回

では、筆跡に責任をもつために書かれたのであれば線描画、つまり文字でなくとも書道とすると書きました。

「書道のコアな部分は言わずもがな文字」なのですから。

書道ってロゴタイプを作ってる

※ロゴタイプ:文字デザインをレイアウトしたもの、つまり文字のみを用いた完成形の図案。

むしろ。

「ロゴタイプデザイナー」のうち、筆と墨を用いて、しかも文字しか書かない(描けない・・・)タイプの人を書道家と呼んだ方がイメージに近い。

(なんてニッチなんだ書道家・・・)


ドン・キホーテのポップ職人さんの字に嫉妬する


先日ドン・キホーテのポップ職人さんの記事を読みまして。この記事のポップ職人さんには同じお字書きストとして嫉妬したなあ・・・。

※冒頭にも挙げましたが再掲。
もしまだの方は↑↑ざっと読んでみてください!
画像見るだけでも!スゴイから!


私の嫉妬対象は、ポップを書く人だったり、陶芸家の湯呑の木箱の内側に入っているサインだったり、画家の文字だったり、子どもの文字だったり。

所謂「上手い」、所謂「達筆」などの熟練した書道家の作品も良いのですが、どこか子どものお絵描きの延長のようなことがしたい、素っ裸(本当はそう見せているだけだけれど)でてらいのない長時間長期間見ても飽きない字を書きたいと、書道家を志したときから変わらずそう思っていて、書道家の中でも私は特にそのような傾向が強いようにも思います。

だからこのnoteやYouTubeの名前は「書道TALKS」ではなく「お字書き道TALKS」なのです。


次の画像は上野動物園に一時現れた壁文字です。これは確か子どもがノートに書いた動物の文字を拡大して壁にプリント?したと聞いた気がします。これを見に3回くらい上野公園に行ったなあ・・・。

2016年頃?上野動物園の工事中に出現した。レイアウトもうまいよね。

嫉妬と言っても、つまり「羨ましい!」ということなので(笑)これらの文字に「ひゃっほー」と心躍り、きゅんきゅんと胸を掴まれ、ありがたく目に焼き付けつつ、創作の糧にしていきたいなって。


お字書きのライバル


書道家ではない人や子どもが書いた文字も大層心惹かれるものがあるのですが、それらは書道ではきっとない。

「良い字」というのは世の中にたくさん存在していて、その多くはワザワザ「書道」という土俵に上がってなんかこないということ。

書道家ではない人や子どもが書いた文字は、文字デザインをレイアウトしたものかもしれないけれど、「書道作品」として評価してください!と言って提出されているものでは当然ない。

書道だけに目を向けて「良い字」について考えるのは視野がせまかった。


岡本太郎さんの言葉を借りてみる。

岡本太郎・著『今日の芸術』の中で、「子どもの絵がその親以外に感動しないのは、子どもが絵を描くという行為で社会に対峙していないからだ。芸術は社会に向かってする何かだ」というようなことを書いていたと思います。

私は「私のお字書き」を社会に向かって提示している。それはポップ職人さんも同じ。だからポップ職人さんは「お字書き」芸術のライバル?!なんだなあって思ったのでした。先方からはそう思って貰えるかしら(汗)


書道家も昔は実務実用で書いていた


ところで、歴史的に考えてみると、現在でも最高峰として残る中国の古典は、ほとんど行政文書や依頼されて書いたもの、あるいは本(論文?)や手紙などです。つまり実務実用のもの。

例えば、有名どころで言えば、次のようなものがあります。

蘭亭序』(王羲之、353年)は、蘭亭(地名)にて曲水の宴(詩を読みつつの飲み会)が開かれ、その詩集を作る際その場で書いた序文(の草稿。のちの清書が草稿より上手く書けることがなかった。)

九成宮醴泉銘』(欧陽詢、632年)は、唐の太宗皇帝が九成宮という離宮に美味な清泉を発見したことを記念して書かせたもの。(文章は別の人(魏徴ぎちょう)が書いている。)

書譜』(孫過庭、637年)は、孫過庭自らの書論。自分より昔の書家の優劣や、書学習の仕方などが書かれている。

祭姪文稿』(顔真卿、758年)は、安史の乱で非業の死を遂げた自分の一族(タイトルにあるように、特に姪の顔季明)に向けて書かれた追悼文(の原稿)。悲しみ、憤りを露わにした書きぶりで、ところどころ消されたり丸で囲われたりなどしている。

蜀素帖』(米芾、1088年)は、米芾自作の詩を知事の依頼に応じて書いたもの。


識字率も低く、筆や墨も超貴重な時代。彼らはほとんど書家であり詩人であり官僚であり・・・みたいな身分も高く才能あふれた人たちです。またこの頃、まだ文字の木版・活版印刷もなく(石に文字を彫ったものを写し取ってはいた)、手書きしか記録方法がなかったわけなので、文書でも詩でも直に紙に書いて残していたのは当然のことです。そこで有能な彼らによる筆記が行われたというわけです。つまりいずれの場合も、実務実用です。


何が言いたいかというと。

現代において書道家はほとんど「作品のための作品」制作をしている(社会的に実務実用としての需要がほぼないから・・・)

一方で、ポップ制作人は依頼者があって、社会的な実務実用としての需要があってポップを書いているということ。歴史的大家と同じ・・・!というのはさすがに飛躍しすぎかもしれませんが。

歴史的に考えるとポップ制作人と書道家は書き文字の能力を活かして依頼に応えるという点においておよそ同じ存在と言えます。


しかし。

書道家は大まかに言えば筆一種類と墨の黒一色と文字しか扱えないのに対し、ポップ制作人は何ならマジックも筆も使い、色とりどりを操る・・・加えて絵も描けるときた。あれ、ぐぬぬ・・・負・・・。


書道は活字やデジタルなどの発展によって、実需をほぼ失ってしまいました。一方同じ書き文字のポップ制作人は需要があります。(ドンキ、ポップライターの求人・バイト情報は検索するとすぐに出てくるくらいです。)

個人にとってはさておき、社会における価値はポップ制作人の方が上と言わざるを得ません。

悔しいよう・・・(泣)


光の指す方へ!


書道界の作品のための作品を書くことがメインになった書道。

それが悪いわけではないのですが・・・

せっかく書道家をやっているのだもの。

書道自体はもっと皆のものになっていかなければならないのではないか閉じた書道界での評価ではなく、開かれた世界での評価を目指した方が良いのではないか。

と思うのです。

書道をしない人たちにも楽しんで価値を認めてもらえるような!!


一つ光明と思うのは、以前より話に挙げさせて頂いている(株)昭和書体さんの栄泉さんのフォント

栄泉さんの存在を知らなくとも、このフォント、この感じは見たことある!という人は俄然多いはず。このことは開かれた世界における書道界、筆文字の光明に他なりません。

エンドユーザーがこの筆文字フォントを使って無限に好きな単語や、それよりも長い「文章」を書いて楽しめる。もちろんポップ制作も出来る!という点において優れているなあと。


光明!光の指す方へ!

筆文字フォントは書道界において開かれた世界への一つの道であると言えそうです。

開かれた。つまりエンドユーザーが自由に扱える。


・・・でもドンキフォントが発売されたら、それもまたエンドユーザーが自由に扱えるわけで、世の中に手書きのニュアンスを扱えるフォントが充実するほど、書道家の立場は危うくなるなあ・・・

ポップ制作においては必ずしも手書きである必要はないのだし、デジタルで制作しやすくなるのは大歓迎なはず。すると立場が危うくなるのはパッと思いつく限り書道家くらい?!

いやしかし!!がんばれ書道家!!


筆者もいつか書道コンテンツで、ドン・キホーテのポップ制作人に嫉妬してもらえるように頑張ります!!うおー。


※毎週木曜19時更新

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