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悲しみと憤りの『祭姪文稿』。臨書は何を写し取るべきか

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超有名書道古典シリーズ第三弾は、『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』!顔真卿(がんしんけい)!

第一弾『九成宮醴泉銘』/第二弾『蘭亭序』↓↓

実はこの『祭姪文稿』、2019年に東京国立博物館(上野)に本物が来日しました。「顔真卿 王羲之を超えた名筆」と題され、毎日毎日、驚愕の長蛇の列!!筆者も行きましたが、そのときちょうど妊娠していて無理がきかず、、やっとの思いで入場できたのですが、特に『祭姪文稿』のあたりは人だかりが凄すぎて、遠目で拝んで断念してしまいました・・・

マジで、書道ってこんなに人気なの・・・!?!?と思ったのでした。




『祭姪文稿』プロファイル

「祭姪文稿」 台湾国立故宮博物院蔵

文字を書いた人:顔真卿(がんしんけい 709-785年)(758年,49歳の作。76歳没)
文章を書いた人:同上

時代:唐(618年 - 907年) ※顔真卿が生きた頃は日本は奈良時代
文字数:塗りつぶされた34文字を含め259文字
書体:行書体

この書が書かれた背景:
安史の乱(安禄山の乱)で殺されてしまった顔真卿の姪・顔李明(がんきめい)。その霊に告げるための祭文(死んでから2年後の祭の時に読む)の草稿を書いたのが『祭姪文稿』。悲しみと憤りが混じった感情的な書であると言われる。

特筆すべき事項:
王羲之の『蘭亭序』と同じく「率意の書」であること。「文稿」とはすなわち「草稿」。つまり後で清書をするつもりで書いた下書きであるということ。(だから消されていたり丸で囲われていたりする。)
「率意」の状態で書かれたものは、肩の力が抜け、自然体でそのときの気持ちが現れやすい。
創作物全般に言えると思うが、「率意」であることは、魅力的であることに通じているだろう。

三つの草稿「祭姪文稿」「争坐位文稿」「祭伯文稿」:
顔真卿はそれまでに無い筆法を編み出し、楷書体でも有名ですが、特に評価が高いのが、この三つの行書体の草稿(三稿)。真筆(本人が書いた本物)が残っているのは「祭姪文稿」のみ。

・「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」(758年)
 死んでしまった姪のための祭文
・「祭伯文稿(さいはくぶんこう)」(758年)
 祭姪文稿のひと月後に書かれた、伯父を祭るための祭文
・「争坐位文稿(そうざいぶんこう)」(765年)
 抗議文の手紙の草稿


顔真卿という人物


初唐の三大家である(特にビシっとした楷書体を確立した)、
欧陽詢(おうようじゅん、557~641)
虞世南(ぐせいなん、558~638)
褚遂良(ちょすいりょう、596~658)
に加えて、唐の四大家に数えられる顔真卿

それまで王羲之(303-361年)が最も尊重されてきたが、顔真卿は言わば革新派の書家。顔真卿の出現により、書はまた豊かな広がりを見せることとなる。その書法は、王法(王羲之流)に対して、顔法(顔真卿流)と言われる。

前述の行書体の三稿のみならず、新しい楷書体を打ち立てたことでも有名。
「多宝塔碑(たほうとうひ)」
「顔勤礼碑(がんきんれいひ)」
「顔氏家廟碑(がんしかびょうひ」など。

顔真卿の楷書は歴史上の逸品として重宝される一方で、「俗書」であると評価が分かれる。欧陽詢などと比して、肉厚な線、丸みのある向勢(⇔背勢)の文字、起筆は筆先を隠す蔵鋒(⇔露鋒)が多用される。

「多宝塔碑」顔真卿 752年


「祭姪文稿」現代語訳


乾元元年(七五八)、戊戌の歳、九月庚午の一日より数えて三日壬申の日、汝の第十三番目の叔父である銀青光禄大夫・使持節蒲州諸軍事・蒲州刺史・上軽車都尉・丹陽県開国侯である真卿は、礼酒や諸種の供物をそなえ、ここに亡き甥にして賛善大夫を贈られた顔季明の霊を祭る。

汝は人に抜きんでた才能をもち、幼い時から立派な人徳をあらわし、宗廟の瑚璉のような重臣、宮庭の芝蘭玉樹のような人物となり、つねに人の心をなぐさめ、やがては福禄を享うけるであろうと期待されていた。

しかし、逆臣の安禄山が朝廷の隙をうかがい、反旗を翻し挙兵しようとはいったい誰が予期しただろうか。このとき汝の父の顔杲卿は忠誠をつくして、常山郡の太守をつとめ、私もまた朝命を受けて平原郡の太守であった。

仁兄顔杲卿は私をいつくしみ、汝を使者として双方の連絡をとったのである。汝が私のもとから帰り、要衝の土門を敵から奪回して開通した。土門を通る道が開通したことで、凶賊の勢いは大いに弱まった。

しかしながら、賊臣の王承業は救援を送らなかったため、常山城は周囲を凶賊に取り囲まれて孤立し、父の杲卿は賊の手に捕らえられ、子の季明は殺され、まさに鳥の巣が傾いて、中の卵が転げ落ち壊れるように踏みにじられた。

天がわが一族に禍を下したことを悔いはしないが、何故このような苦毒を受けなければならないのか。汝、季明が残虐な死に遭ったことを思うと、私の身体を百回身代わりにしても、どうしてつぐなうことができるだろうか。ああ、哀しみの極みである。

私は天子の恩恵を蒙り、蒲州の長官として民を治めることになった。汝の兄の顔泉明が最近ふたたび常山に行き、汝の首を納めた棺を携え、ようやくここ蒲州に帰還した。汝を思うと哀れみの思いで胸が張り裂け、腸が断ち切れ、その死を悼(いた)んで心身を震わせる悲憤にかられる。

いつの日か、汝が安らかに眠る黄泉の家(墓)を作って安住できるようにしてやろう。汝の魂が私のこの思いを分かってくれるなら、異郷に長くさまようことを嘆かないでもらいたい。  

ああ、哀しみの極みである。どうかこの祭りをうけておくれ。


悲憤の文章が後世延々と臨書される


この「祭姪文稿」について筆者がよく思うのは、姪が殺されたその思いをしたためた文章(しかも下書き)が後世の人たちにしこたま眺められ、書き写されるという奇行?について。

「あなたが死んでしまって悲しくてやりきれない」という涙ながらに書きつけた文章を1000年後も皆皆に書き写されている、しかも何なら、間違えて消しにかかったその線までも。(何ならその「消し」の線がこの「祭姪文稿」の魅力を盛っている)

日本語をは母語とする日本人が中国古典を臨書するとき、粗方の意味を取って書くとは思いますが、臨書最中に言葉をダイレクトに理解しながら書いている人は少ないと思います。それはやはり、その文章が胸を打つということをさておき、書本体に魅力があるということになります。

【臨書の方法】形臨、意臨、背臨。そして自運


臨書は既存の書道作品(手本)を見て、真似て書き写すこと。書道の修練として最も大切なことと言われます。音楽なら「完コピ」かな。
臨書にもいくつか種類があります↓↓

形臨(けいりん) :
形をひたすら忠実に、手本の通りに書く。臨書者の個性を出さない。
意臨 (いりん):
手本の書き手の意図・気持ちをくみ取って書く。時代背景や来歴、精神性を考慮する。
背臨(はいりん) :
その書風を自分に取り入れて、手本を見ずに記憶通りに書く。暗書(あんしょ)とも言う。

そして、臨書に対して自分の創作として作品作りをすることを「自運」と言います。


現代の”美文字”では読み解けない、書道作品の良さ


唐突ですが、現代のいわゆるキレイな文字”美文字”がありますが、美文字が好きな人でも書道作品が好きであるという人は少ないのではないでしょうか。

美文字イメージ(美千ペン字・書道教室)

美文字は文字の大小は少なく、きっちりまっすぐ書くのが原則事項。間違えて×打っているとか、消しゴムで黒ずんでいるとか言語道断。
一方で、”良い”書道作品は、闊達に動く筆さばき、大小、太細、潤滑、自然な行の揺らぎのあるものが多いです。井上有一のコンテ書とか↓↓

(出典:モダン周遊 井上有一《魚行水濁》(部分) 京都国立近代美術館蔵)

筆者は美文字への憧れもあり本格的に書道を始めましたが、いわゆる書道作品の”良さ”に気付くまで10年くらいかかった気がします。

なんと説明すれば良いのか難しいところですが、書人が垂涎するこの”良さ”が分かるようになると、途端に書道というものが面白くなるのではと思っています。

「祭姪文稿」はその最たる魅力が詰まっている、と言って良いでしょう。



参考文献:「書家101」石川九楊・加藤堆繁


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