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小説:Limit ~無限の彼方に~  第一章 殺人は柚子の香り 第18話

~~あらすじ 第17話までの内容を忘れた、ココから読み始める方へ~~

藍雛らんじゅは敵組織『ソドム復活委員会』のメンバーであるレイカを追跡する任務に就いていた。レイカ達は、他の時代や空間への行き来ができる『時の回廊』を飛んでいた。藍雛の予想に反して、レイカは4歳児の姿になって藍雛の幼馴染みである洋希ようきが2歳である22年前の世界に降り立ち、彼を柚子アレルギーに見せかけて暗殺しようとする。藍雛は他の時間軸の世界に降りることはタブーだと聞いていたので、レイカの行動に驚くも、時の回廊内から、新型ブラスターで、レイカを始末しようと考える。だが、洋希を巻き添えにすることにためらう藍雛。彼女の脳裏には、洋希と過ごした夜の出来事が思い浮かぶ。思い出から我にかえった藍雛は、今度は、狙いを洋希の治療へと切り替え、二発の薬剤混入ブラスター弾を発射する。浴室内は発煙し、浴室から脱出して拳銃を構えるレイカ。洋希は症状が改善して立ち上がり、浴室の向こうから誰かが助けに来ることを予感する。その時洋希の幼稚園の同級生、一ノ関いちのせき耀馬ようまエリオットが洋希の家に向かっていた。向かう途中、その日幼稚園での出来事を思い出していた。耀馬は感情が押えられなくなり暴れ、上半身の筋肉が巨大化し壁を破壊する。彼の感情の波を鎮めたのは洋希だった。そのあと、四歳児のレイカが教室にやって来て、自分の仕事を始めたのだ。洋希は彼女に魅かれ、耀馬はそれが気に入らない。

     ~~本編~~

耀馬ようま。コーヒーを淹れたわよ」
 スウェーデン製の小さな椅子でハンマーを触りながら、自分の腕の筋肉の変化を見つめていた耀馬は、メアリーの優しい声に、はっと我にかえった。
「僕、コーヒー大好き。ありがとう、ママ」


 彼は大人がやるように、カップに鼻を当て、香りを味わっているふりをする。彼にとっては格好さえ大人と合致していればよかった。実際、子どもの成長と食べ物の関連に注意を払うメアリーは、カフェインレスのコーヒーを火傷防止のために水を入れてぬるくしてから提供していたので、湯気は出ておらず、香りも微かだった。


 コーヒーを啜った時に浮かぶイメージ、彼はそれをとても大切にしていた。ほろ苦さをミルクで柔らかくした味。それが舌先をかすめると、今日の自分はなぜハンマーを奪われて泣いていたのかを考え始め、少し恥ずかしくなる。


 明日、謝ろうかな。そんな風に考えていた時、無邪気に微笑していた洋希ようきの優しい顔が頭に映った。もう一口コーヒーを啜ると、その洋希の顔が苦痛に歪んでいた。息も絶え絶えにもがいている顔、本来ぱっちりとしているのに苦しさで開けていられなくなった目、空気を求めてぱくぱくと金魚のように開閉させている口。耀馬は消そうとしても消えない洋希のイメージに戸惑いをおぼえた。


 見えている世界は本当に今日あった出来事なのかと訝しんでいると、頭の中にはっきりとした背景が浮かび上がってきた。上記で、霧のように視界の悪い場所、そこにはプラスチックの箱型が洋希を取り囲んでおり、耀馬はそれが浴室だと推測した。さらに頭の中で「あーあー」と苦しそうな洋希の声。それが聞こえると耀馬はこの幼児に何かが起きたに違いないと確信を持った。


 耀馬はぬるいコーヒーを一気に飲み干すと、小さなテーブルの上に空のカップをタンと置いた。その音に驚いたメアリーは、台所に向けていた歩みを再びリビングに戻す。
「どうしたの? もう飲んじゃったの?」
「ママ、今から洋ちゃんの家に行かない?」
 彼は懇願するような目で、母親を見つめる。


「洋希君の家って……。ええ? こんな夜更けに行ったら迷惑よ。耀馬も、もう大きくなったんだからわかるよね?」
 メアリーは、突然の息子の提案に当惑し、咄嗟に反応してでた日本語が正しいのかどうかを確認する余裕さえなかった。彼の目から決意の固さが読み取れ、𠮟るべきか、理論立てて説明すべきかで迷った。


「洋ちゃんに何かあったんだと思う。僕の頭の中で洋ちゃんが苦しんでいるんだ」
 子どもの時になんでもない虚空を見つめたり、誰もいないところに話しかけたりした経験のある人なら、そこに神秘的な何かを解釈し、子どもというものは霊的な何かを感じ取れるものだと信じたかもしれない。だが、メアリーは自分の記憶にある限りでは、そのような経験がなかったので、耀馬の頭の中のイメージを、子どもが壁の染みをお化けと勘違いするような類の錯覚だと決めつけてしまった。


「子どもの頃は、何でもないことが気になったりするものよ。耀馬は今日の幼稚園で、色々あったでしょう? 洋ちゃんと教室でよく遊んでいたし、きっとそのことを覚えていて、それが頭から離れないのよ」
「ちがう!」 
 耀馬は目に涙を浮かべていた。


「頭の中の洋ちゃんはお風呂に入っているんだ。服を脱いで。お風呂の中で苦しそうなんだよ。きっと僕に向かって何かを言っているんだ。助けてとか」
 そこまで聞くと、メアリーは薄気味悪くなって、心に迷いが生じた。強情で一度言いだしたら、なかなか自分を曲げない彼と言い争うのも、もううんざりだった。幸い、蓬沢よもぎさわさんの家はうちからほんの二三分で着く。インターフォンを鳴らして母親が出てきたら「うちの耀馬が洋ちゃんと話したがっている」と言って、一二分立ち話でもさせようか、厳しい躾よりも妥協の道を選んだ彼女だが、威厳を保つことも忘れなかった。

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