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小説:Limit ~無限の彼方に~  第一章 殺人は柚子の香り 第13話

~~あらすじ 第12話までの内容を忘れた、ココから読み始める方へ~~

藍雛らんじゅは敵組織『ソドム復活委員会』のメンバーであるレイカを追跡する任務に就いていた。レイカ達は、他の時代や空間への行き来ができる『時の回廊』を飛んでいた。藍雛の予想に反して、レイカは4歳児の姿になって藍雛の幼馴染みである洋希ようきが2歳である22年前の世界に降り立ち、彼を譲アレルギーに見せかけて暗殺しようとする。藍雛は他の時間軸の世界に降りることはタブーだと聞いていたので、レイカの行動に驚くも、時の回廊内から、新型ブラスターで、レイカを始末しようと考える。だが、洋希を巻き添えにすることにためらう藍雛。彼女の脳裏には、洋希と過ごした夜の出来事が思い浮かぶ。思い出から我にかえった藍雛は、今度は、狙いを洋希の治療へと切り替え、二発の薬剤混入ブラスター弾を発射する。浴室内は発煙し、浴室から脱出して拳銃を構えるレイカ。洋希は症状が改善して立ち上がり、浴室の向こうから誰かが助けに来ることを予感する。その時洋希の幼稚園の同級生、一ノ関いちのせき耀馬ようまエリオットが洋希の家に向かっていた。向かう途中、その日幼稚園で洋希と会ったことを思い出していた。

     ~~本編~~

 耀馬ようま洋希ようきの近くへ寄り、教室内へ誘導しようとした。だが、その意図を実施するよりも早く、小さな子が着ていたピーコックグリーンのシャツにつけられた電車のアップリケに興味を惹かれ、それを指差した。


「あー、ようちゃん、電車、電車。僕、電車に乗ったことがあるんだよ」
 洋希は困ったような笑顔を作り、自分を見下ろすように立つ金髪の幼児とは目を合わさなかった。代わりに後ろで見守っていた母、花梨が「すごいね。うま君は電車に乗るんだね」と話を合わせた。すでに保護者席にいたメアリーは、ご近所のよしみで、花梨に目で挨拶をした。花梨はそれに磁石でひきつけられたように息子を耀馬に任せ、メアリーの隣に腰かけた。耀馬はまだ洋希の電車のアップリケを気にして、その事を話している。


 花梨は、年の割に正しい文法で言葉を話す耀馬を羨望の眼差しで見ていた。
「うま君は、言葉がしっかりしていますね、一ノ関いちのせきさん。うちはまだ言葉が出なくて」
「あら、でも洋ちゃんは聡明なお子さんだから心配いりません。言葉の遅い子は数学的才能があるというデータもあるらしいです。エジソンも言葉は苦手だったらしいですよ」


 イギリス人のメアリーは、ゆっくりと語の間を切る話し方ではあるが、ほぼ完璧なイントネーションで応えた。洋希も耀馬も、どちらも「よう」の音で始まるのだが、このクラスの先生もお母さんたちも、洋希を「ようちゃん」、耀馬を「うまちゃん」と呼ぶことで名前の間違いを防ぐことに、それとなく同意している。


 イギリス人の率直だが、心のこもった慰めに心を落ち着かせた花梨は、子育てについてメアリーにあれこれと質問を浴びせる。その間に耀馬と洋希は教室の中央に移動していた。


 耀馬の誘導に渋々ついてきた洋希は、気もそぞろにスーパーボールを手にしたまま、窓の外の運動場へと視線をさまよわせていた。窓から入る冬の寒さを和らげる日射し。その暖かさと優しさに、彼の心は奪われていた。握ったままのボールを手放すわけでも、投げるわけでもなく、教室の外遠くから聞こえてくる他のクラスの子どもたちの嬌声に耳を傾けていた。花梨は、教具に集中しない息子の様子に気を揉んでいた。マリアもそれに気づき、彼女への語りかけを止めた。クラスでは子どもの自主性を尊重するため、保護者が子どもにアドバイスすることは良しとはされていない。花梨が我慢しきれず腰を浮かせたところで、ハンマーとそれとセットになったボール付き箱をテーブルに置いた耀馬が、洋希の元へ近づき、スーパーボールを彼からそっと取り上げた。
「ようちゃん、これはこうやるんだよ」


 ボールは広口のガラス瓶の中にポトリと落ちて、中で一二回跳ねた。耀馬もまた、教具を手にして何もしない洋希が心配になっていたのだ。彼はお手本を見せると、近くに転がっていたピンク色の日光でキラキラ輝いているスーパーボールを洋希に握らせた。


 洋希は迷惑そうな顔をして、ボールを床に落とした。それは彼の閉じた世界に介入する他所者に対する反応だった。耀馬の顔を見上げるも、この大きな幼児とはなるべく関わらないでおこう、そんな目をしていた。例えば、あなたが集中して本を読んでいる時に、隣から声をかけられて苛立った経験はないだろうか。ぼんやりと外を眺めていた彼のその内面では、ひたすら自分の殻に閉じこもることに執心だったのである。


 洋希はスーパーボールが入った瓶を逆さまにすると、先ほど耀馬が入れたボールが中から螺旋を描いて落ちてきた。それを再び握ると、今度は元に戻した広口の瓶に入れようかどうか迷っていた。耀馬は、その行為に気分を害される様子を見せず、
「そうだよ、そのガラスに入れるの」
 と自分の仕事ではないものに容喙ようかいしていた。


 洋希がボトルにボールを入れ終えると耀馬はにっこりとした笑顔を見せ、そっと洋希から離れることにした。自分の仕事に戻ろうと隣のテーブルに手を伸ばすと、あったはずのハンマーと箱が無くなっているのに気づいた。

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