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400日連続投稿記念|多重債務を軽減せよ! 妻に詩を贈って却下された話

はじめに

 こんにちは吉村うにうにです。普段は、長編小説をnoteに投稿しております。いつも100日連続投稿を達成するたびに何らかの記念記事を執筆しております。前回のはこちら

 ちなみに、表紙の画像はフェリシモの日めくりカレンダーに採用されたうちの猫さんです。

多重債務のようにたまる「記念記事を書いていない感」

 300日あたりまでは順調に記念記事を作っておりました。ところが、2023年の2月3月あたりに確定申告の地獄が始まると(なんといまだに手書き)、執筆どころではなくなりました。毎日のライフワークであるnote長編小説「水深800メートルのシューベルト」とノベルピアの「天国へ行く前に、猫になった」は何とか継続できていますが、それ以外の記事を書く時間が取れませんでした。普段はフリーランスで月の半分ほど働いているのんびり生活ですが、この時期だけは会社員の方が羨ましくて仕方がないです。
 確定申告が終わったら、400日記念記事を出そうかと思っていても、つい他の賞や賞に絡む記事の執筆を優先させてしまい、気づいたら、400日どころか600日連続投稿を達成しておりました。ありがたいことです。これも読者の皆様の存在が大きいと思います。本当に感謝しております。
 ちなみに連続投稿記念記事をサボっている間に書いた記事がこちら。日経COMEMO賞を頂いちゃいました。

  特に、100日ごとに記念記事を出すと読者の方とお約束したわけではないのですが、自分の中で「何か許せない感」があって、ずっと気がかりになっておりました。それをいつか解消しなければと、多重債務者のような気分で毎日を過ごしておりました。やっと、時間ができたので、記念記事を書いて、まずは400日連続投稿記念分を清算させて頂きたいと思います。
注)多重債務者の気分で書いておりますが、執筆自体は楽しんでおりますので心配なさらないで下さい。決して義務感で書いておりません。

妻の「ちょっとした知り合い」が出産しました

 この「ちょっとした」というのがくせ者でした。妻がある夜、紙とペンを持って唸っておりました。彼女は私のエッセイを読んで「文が堅い、さくらももこのエッセイを読んで勉強したほうがいいい」などと厳しい意見を述べますが(ちゃんと読んだ上での意見ですので、わたしの顔はムスッとしていても心では感謝しています)、自分が文章を書く段になると、ペンが全く動いていません。私は彼女の悩みを聞くことにしました。ポイントは

①ちょっとした知り合いに「出産お祝いカード」を贈る羽目になった。
②赤ちゃんはちらっと見たことはあるが、その顔は憶えていない。
③赤ちゃんの性別も名前も知らない
④そのすぐ上の子の名前と顔は知っている

 無茶ぶりです。その知り合いと四女の名前、五人目のお子さんが生まれたという情報以外、何もありません。そんな人にカードを記載する必要があるのか? そもそも貰った方も、関係性の薄い人(これから深くなるかもしれないが)に書かれた手紙を見て喜ぶのか。そんな疑問が浮かびました。赤ちゃんが誰に似ていると位書ければいいのですが、妻が赤ちゃんの顔をはっきりと覚えていない以上、それも使えません。これは、抽象的に書くしかないと思ったのですが、抽象的になおかつその人に宛てた感のある具体性のあるメッセージも多少は織り込まなくてはなりません。これまで、文字数だけは山ほど書いてきた私もこの難問を前にうーんと唸りました。

私の中に生じたブレイクスルー

 そうだ「詩」を贈ろう! 抽象的な題材なのにまるで本人に宛てたような文章としてそれが浮かびました。そのひらめきの勢いのまま、妻がまだペンを持って悩んでいる間にたちまち一編の詩が浮かびました。

    栄光
         吉村うにうに
暗いトンネルの先に 輝く海
導く鳴海
それは五つ目の太陽となりて
松の葉を永遠に照らすであろう

 一分で雑に作ったけれど、それっぽくなりました。ところどころに赤ちゃんの母親とお姉ちゃんの名前の一文字が入っています(名前の文字の部分は変えています)。

妻の冷たい視線は却下を意味する。

 この意見と詩は却下されました。ここで、社会人としてまっとうに生きて来た大人の妻と、親に抑圧されてきた分、今頃になって自由な子どもで生きようとする私の感覚の違いが生じています。しかし、普段は彼女の冷静な判断で助けられている部分もあるので、文句は言えず、すぐに詩を引っ込めました。この詩をそのまま埋もれさせてしまうのはもったいないので、ここで使わせて頂きました。

結局どのような文になったかと言うと

 身バレ防止のために詳しくは書けませんが、一度挨拶した時の母親の感じの良さと、赤ちゃんの可愛さに癒されたという二点だけで攻めていました。私は、「そこは書かなくても伝わる」だの「もっとシンプルに書いて良い」と余計な横やりを入れながら、妻の仕事ぶりを見守っていました。

最後に

 何か書かなければならないお祝い事に、詩は案外いい手なのではないかというのが気づきになったエピソードでした。今後も機会があれば詩を誰かに贈りたいなとなどと身の程知らずなことを考えちゃいました。読者の皆様も「良い事があったから詩が欲しい」というリクエストあれば、ジャンジャン書きたいと思います。但し、ずぶの素人につき、結果に責任は負えません……。

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